わたしには好きなひとがいる。
「せーんぱい!」
その好きなひとに、わたしは後ろから抱きついた。
――女の子の柔らかい匂い、絹糸のような黒髪がわたしの顔にかかってこそばゆい。
彼女は振り返って、その綺麗な顔をわたしに向け。
「なに?」
凛とした声で言った。
せんぱい、今日も素敵。つい見惚れそうになってしまう。
「その……一緒に帰りませんか?」
鼓動を抑えながらかろうじて絞り出したわたしの言葉に、しかし彼女は目を伏せて。
「ごめんね。今日は予定があるから」
わたしの好きなひとには、別の好きなひとがいる。
――わたしの好きな彼女が、男と手をつないでいる。
なよなよした気弱そうな男。彼女も頬を染めて、いかにも初心なカップルに見える。
幸せそうな二人。その姿をこっそり見て、わたしは少し
わたしの恋は、叶わない。
彼女は幸せそうに、あの男と一緒に笑っている。
……何か月も前、わたしがせんぱいと初めて会った日の放課後。
その日に、彼女は告白されていた。それをわたしはこっそり見ていた。
否定してほしかった。
出会ったばかりの彼女に、わたしはすでに惚れていた。
けど、頬を染めた彼女は、あっさりと許可した。
きっとわたしと出会うずっと前から、ふたりは仲が良かったんだと思う。
愛し愛され両想い。わたしの介在する余地なんてない。
あの幸せを壊すことなんて、わたしにはできない。
せんぱいの幸せが、一番だから。
だから、わたしの恋は叶わない。
曲がり角、なんだかみじめになった。
先輩に執着し続ければ、いつまでもひとりきり。
現に、高校に入ってから友達は一人もいない。学校で話す相手はせんぱいただ一人。そのせんぱいとも学年が違うから少しの時間しか話せない。
それでいい。それでよかった。
はず、なのに。
――なんで、涙が出るんだろう。
始まる前から終わってた恋。
叶うことのない禁断の恋。
知ってる。諦めてた、はずなのに。
こんなに悔しいのは、なんでだろう。
いつのまにか、二人を見失っていた。
そこに少年少女の笑い声はすでになく。
住宅街に、ひとつのすすり泣きが響いた。
次の日。
わたしはいつも通りに、部室に向かう。
文芸部、静かな部室には、わたしとせんぱいのふたりきり。
「こんにちは」
「こんにちは、せんぱい」
せんぱいは相も変わらずわたしに話しかける。
けど、その顔は少し暗く。
「……どうしたの」
とわたしに顔を向けて聞いた。
どうやら暗かったのはわたしの顔のほうだったみたいだ。
「なんでもありません」
「その割には元気なさそうじゃないの」
言って、心配そうにわたしに近寄る彼女。
揺れる黒髪。きっとその香水の香りも、わたしのためのものじゃない。
「……なんでもないです」
口を尖らせたわたしを、せんぱいは。
「なんでもあるでしょ」
と抱きしめた。
「何でも相談していい。だから、隠さないで? ……あなたのこと、好きだから」
誤解させないでよ。
そんなこというから、わたしは。
「もう、がまんできないです」
あなたのことが、すきになっちゃうんだから。
「せんぱいの、せいです」
彼女に全体重を委ね、彼女の香りに埋もれて。
床に押し倒した彼女の口腔に、己の舌をねじ込んだ。
「にゃ、なに!? 突然――」
「突然じゃない! ずっと、ずっと好きだった!」
舌をほどいた。
感情がとめどなくあふれる。
「んっ……あ、んぅ……っ」
愛撫する。
なまめかしい声も、きっとわたしだけのものじゃない。
でも。でも、いまだけは!
「ごめん、なさいっ」
あなたを、わたしだけのものにさせて。
いまだけでいい。もうこの関係すらなくなったっていい。
だけど。
「すき、だった。わたし、せんぱいが……すき、だったっ!」
ぶつける。感情を、ぶつける。
「せんぱいはわたしのものじゃない! いつも……いまだって……っ」
泣きそうになりながら。
快楽にあえぐ彼女を。
愛した。
愛した。
一方的で暴力的な愛を。
彼女に、捧げた。
そしてわたしは、せんぱいのスマホを手に取って。
「えへへ、彼氏くん、見てる……? ……今日だけ、あなたの彼女、借りるから」
ビデオメッセージを撮った。
汗と汁に汚れた
――最後に、最低な
「ずっと、愛してました。……ごめんなさい……ありがとう、せんぱい」
*
最低。
ビデオメッセージを見て、あたしはそう思った。
いまは亡き、あの少女を想いながら。
……あたし、最低だ。
自分を慕ってた後輩「も」好きになっていた、なんて。
あたしは高校に入って一年、好きなひとができた。
友達だったけど、その優しさに着実に惹かれていって。
ついには恋人になった。両想いの、恋人同士に。
けど、ふたりが付き合い始めた日、あの子があたしの前に姿を現した。
人懐っこくて、優しい。かわいい女の子。
あたしは、その子も好きになっていた。
二人に恋をしていた。
最低。わかってた。でも、言えなかった。
あなたも好きよ、なんて。とても言い出せなかった。
怖かった。関係が切れることが。
どっちか一人としか付き合えない。そう思ってた。
彼女があたしを好いてるなんて思いもせずに。
――どっちとも両想いだったなんて、わかるわけないじゃない。
もしも「二人と付き合う」なんて選択肢があったらどうなってたんだろう。
「……」
微妙な顔であたしの顔を覗き込む彼氏。
恋敵の墓前なら、そうもなるか。
一回忌。あの日から一年。
あたしの目の前で、ビデオメッセージを撮りながら首を吊った彼女。
もしもあの子にも告白したならば。
いま隣にいる彼は、彼女を受け入れただろうか。
星になった彼女は、彼を受け入れただろうか。
叶わなかった恋。
叶うことのなかった恋。
終わらなかったかもしれない恋。
――終わってしまった想い。
あたしは墓石に額をなすりつけて、抱きしめ。
「……あたしも、好きだったわ」
夕暮れの墓地に、ひとつのすすり泣きが響いた。
*
初出:2022/03/06 小説家になろう、pixiv、ノベルアッププラス、アルファポリス