なぁ、俺はなんで生きているんだ?
そんな風に虚空に問いかけた。
答える者は誰もいない。
俺はただ一人、アスファルト舗装の道に佇み、暗い藍色の空を眺めていた。
そんな時である。
「なら、ボクがその希望を見出してあげようか?」
頭の中に、少年のような声が響いた。
驚く俺。しかし、その声は続ける。
「魔法少女になってよ」
全くもって飲み込めない。
俺は男だ。それが、魔法少女? 馬鹿げているにもほどがある。
第一、魔法少女なんて、アニメや漫画だけの存在じゃないか。
「違うよ。魔法少女は実在する」
なにを言っているんだ。
そんな風に言おうとした時。
俺は口を開いていなかったことに気がついた。
まさか……思考を読まれているのか?
「正解。これも魔法の力さ」
俺は戦慄した。
思考を読むだなんて、普通はできるようなことではない。
頭に何かついているのか、いや、何もない。
まさか、本当に……。
「そう。魔法は存在するんだ」
冗談だろう⁉︎
そんな風に言おうすると、声はこんなことを言った。
「信じていないんだね。じゃあ、証明してあげよう」
そして、轟音が鳴り響いた。
地震か⁉︎
揺れる地面、空中から何かが降ってきて——目の前に、怪物が降り立った。
それは、蠢くヘドロの塊のような、なんとも形容し難い、見るものに生理的嫌悪を抱かせるような、そんな化け物であった。
「怖いだろう?」
少年のような声は、俺の心を見透かしていた。
「あの怪物は、放っておくと人や建物を食らって大きくなって、最終的に全てを滅ぼしちゃうんだ」
教える声。俺は恐怖に震え、助けを乞おうとしたが。
「無駄だよ」
俺は絶望した。
「人間には太刀打ちできやしないよ。これを倒せるのは、魔法少女だけさ」
なんだ、それ。
「でもいまはその魔法少女はいない」
じゃあ、どうすればいいんだよ。
俺は死んでもいいけど、世界はどうなってしまうんだ?
そんな問いが、俺の脳内を駆け巡った。
「だけど、君は魔法少女になる資格がある」
俺はハッとした。
「君が、世界を救えばいい。君にしか、世界は救えない。ほら、君の生きる意味が見つかった」
そういうことなのか。
俺はしばらく逡巡し……結局、うなづいた。
次の瞬間、うなじにピリピリとした痛みを感じ、光に包まれ——変身した。
元の自分とは似ても似つかない、可愛らしい服を着た少女が、見上げた先の民家の窓ガラスに映る。
俺は赤面し……窓ガラスに映る少女も赤面する。
これが、俺。
悟った瞬間、唸り声が聞こえ——怪物はさっきよりも大きくなって、俺を睨みつけていた。
そのまま襲いくる化け物。
それに向かって、俺は半ば導かれるかのように正拳突きを放った。
果たして——怪物の胴に、大きな風穴が開き……それは崩れて、消えていった。
これが、魔法少女の力なのか。
元の姿に戻った俺は、暫くは世界を守るために生きようと誓ったのだった。
それから俺は、一ヶ月ほど戦い続けた。
一日から二日間隔で襲ってくるその敵に、俺は魔法少女に変身して正拳突きを放ち続けた。
いつも俺の目の前に現れる怪物は、日毎に大きく、強くなっていった。
毎回一撃で消えるものの、俺は不安を拭えなかった。
そして、二十八日目。
今日も目の前に現れた。これで大体二十一体目か。
自らの意思で変身する。
そういえば、変身するときに感じるうなじに感じる刺すような痛みも最近は強くなっていた。なにか、因果関係があるのだろうか。
とにかく、いつも通り襲い来る敵に、いつも通り正拳突き。
これで怪物は消える、筈だった。
しかし。
怪物は消えることはなく、むしろさらに大きくなったのだ。
理解できない現象。
俺はもう一度怪物に攻撃したが——全く効果はない。
むしろ、攻撃を吸収して大きくなっている感じさえある。
俺は跪いた。
襲い来る怪物。その巨大なヘドロのような体から触手を生やし、それで俺の華奢な身体を絡め取る。
俺は必死に抵抗する。体を拗らせ、触手から抜け出そうと試みるが——不可能であった。
俺は絶望した。
触手が体の中に侵入する。
穴という穴から、泥のような、ゲルのようなものが侵入する。
激しい感覚——とても形容しがたいような感覚。
俺は言葉にならない叫びを上げた。
そのとき、初めて魔法少女になったときに聞こえたあの声が聞こえた。
「やあ、久しぶり」
どういうことだ!
そんな風に叫ぼうとする。しかし、声は出ない。
ただただ嬲られながら、心の中で叫んだのである。
「この時を待ってたんだ」
絶望。
「ボクが見初めた、最上の名器。それを犯すことで、最上級の絶望が手に入るんだ。君が倒してたのは、ぜ〜んぶ、幻。偽物。本物はどこにでもあってどこにもないんだよ」
俺のしていたことは全部無駄だったのか。
この一ヶ月のことが、いや、俺の存在そのものが無意味に思えた。
「君のおかげで、ボクは完成するんだ。この星を、ようやく滅ぼせる」
すなわち、俺が世界を滅ぼしたも同然というわけなのか?
ああ、俺はなんてことをしていたのだろう。
股間から汁を垂れ流す。
力なく虚ろな瞳。
俺は全てを諦めた。
その時であった。
「まだ、世界を救える可能性があるとすれば、どうしますか?」
女の声が、聞こえた。
「誰だ⁉︎」
少年のような悪魔の声は叫ぶ。
「私は神。ようやく見つけたました。覚悟しなさい、怪物よ」
「嘘だ! 神にボクが見つけられるはずがない!」
叫ぶ化け物の声に、女神の声は続ける。
「そこの少年のおかげです」
……俺が? どうして?
聞く前に、女神は答える。
「少年に力を与えたからです。人間はすべて私の監視下にあるのですから」
「い、居場所は⁉︎」
「彼の動向から探ることができました。あとは、滅ぼすだけ」
慌てる声をよそに、女神の声は俺に聞く。
「あとは、あなた次第。あなたの意思で、世界を救うことも、滅ぼすこともできる」
俺は涙を流しながら、暗い灰色の空を見上げた。
「君はこの世界に嫌気がさしていたんだろう? 生きる意味が見出せなかったんだろう? ならば、いっそ全てを滅ぼして仕舞えばいい。そうすれば、生きなくて済むよ」
悪魔が囁きかける。
「世界を救いなさい。滅ぼすなど、もってのほかです。全ての人は生きなくてはならないのですよ」
神が命令する。
俺にできることは、まだあるのかなぁ。
まだ、あるとしたら。
俺は選択する。
俺は——
ある朝、目覚めると、俺は少女の姿で見知らぬ部屋の大きなベッドに横たわっていた。
そうか、成功したんだな。
俺は全てをやり直したのだ。
全てを一旦解体して、世界を再構成した。
あの世界に嫌気がさしていたのは本当だ。しかし、それも無駄ではないとしたら。
もともとあの世界にあったものを使って新しい世界を作れば、もしかするといい世界になるのかもしれない。
そんな風に思ってのことだ。
あの世界の記憶を保っているのは、俺しかいない。
でも、それでいいんだ。
俺は微笑んだ。
母親が俺——いや、私を呼ぶ。
「はーい」
私は上機嫌で部屋を出て行ったのであった。
Fin.
*
初出:2019/12/06 ノベルアッププラス掲載