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後編 修道院での生活

 結局私、シンシア・ベインズは修道院に入った。

 ここは王都に近い町の、外れにある修道院。敷地内に孤児院を併設している。王都で仕事にあぶれた人間なんかが集まる地域で、少し治安は良くないの。

 むしろ私の方から、ここに入るのはどうかと提案した。殿下の婚約者時代にこの孤児院を知って、どうにかしたいと望んでいたから。

 私が侯爵令嬢で、第一王子の元婚約者ということは、孤児院の院長と修道院長だけが知っているわ。最初に多額の寄付をして、父であるベインズ侯爵が挨拶してくれたしね。こういうのは初めが肝心なのよ。


 やることは他の修道女と一緒で、掃除、食事の支度、慈善活動、お祈り。さすがに家事は未経験なので、まずは洗濯から教わっている。何故かお父様から料理は厳禁されてしまったわ。刃物を持つな、と申し付けられたの。

 包丁で王子を刺しに行くとでも誤解しているのかしら。まさかそんな、武器なんてなくても人は殺せるのに。


「また来ました……」

 さてお客様ね。来たのは孤児院の敷地を狙っている、タチの悪い借金取り。私は同室のメイドに目で合図をした。さすがに侯爵令嬢だから、メイドと護衛は付けさせてもらっているの。

 今までメイド任せだったから、急に一人になったら服も満足に着られなかったわ。もっと自立しないと……。

「私に任せて頂きますわ」

「シンシア様、大丈夫なのですか? 憲兵を呼びましょうか」

 憲兵はもともと軍内部の秩序を維持していたけれど、今は主要都市で犯罪の取り締まりもしている。警備兵よりも上かな。

「心配いりません、護衛も連れておりますから」

 私は二人の護衛と一緒に、修道院の敷地内にある、孤児院の応接室へ向かった。

 そこには人相は悪いけれど体格のいい三人の男がいて、悪趣味な服を着た二人がソファーに座り、若い男はその後ろで立っていた。


「お待たせいたしました。修道女のシンシアです」

「男連れかよ、姉ちゃん。それで何とかなると思ってんのか?」

「思っております」

 まずは威嚇してくるわね。ここは呑まれてはいけない。

「はっ、気の強い女だな。だがな、そっちは借金が一千万もあるんだ。そうそう小銭を貰って帰るわけには行かねえぜ。明け渡しの期限は明日だ」

「これを」

 メイドが持つ布袋を、テーブルに置かせた。そこには借金分の金貨が入っている。男は布袋の中身を確認して、もう一人と顔を見合わせた。


「こ、こりゃ……」

「受け取られましたね。お引き取りを」

 この孤児院の借金をしっかり返す。これが、私のやりたかったことなの。これで子供達が怖い思いをせず、健やかに過ごせるようになれば。

「だ、だが借金には利息があるんだ」

 百も承知よ。前世でも利息は根雪みたいにそうそう溶けないものなのに、貯金した利子は砂粒より少ないと、パパがぼやいていたわ。

「そちらの計算が不可解だったので、こちらで当初の契約通りの利息を計算いたしました。本来ならば、これでは返し過ぎておりますわ」

「なんだと……っ、勝手な」

 私は思いっきり足で床を蹴って立ち上がった。

「ガタガタ抜かすんじゃねえよ! 穏便に払って済ませてやろうってんだ、金を持ったらさっさと帰りな、ロクデナシどもが! ガキどもの居場所を奪うなんざケチなことしてねえで、その無駄にデカい図体で真面目に働けってんだよ!」


 声を張り上げてタンカを切ると、ソファーに座る二人があんぐりと口を開けたまま、私を見上げる。なんともマヌケだわ。

「ク……クク。これはこちらの負けだ。……引き上げるぞ」

 後ろの男は見習いか荷物持ちかと思ったが、どうもあっちが上司か。納得できないような表情だったが、男達はうながされるままに席を立った。

「もう来んなよ」

「我々の事務所はこの近くなんだ。改めて挨拶に来るよ」

 ご近所さんか。ヤなご近所だな。


 せっかく終わったと思ったら、ウォルター王子が訪ねて来やがった。

「何しに来たんだよ、クサレ外道」

「……はは。あの……シンシア、元気かな……?」

「はあぁ? テメーに呼び捨てにされる覚えはねえわ!」

「し、シンシアさん……」

 聞いた話によると、王子はあの一件以来、初めてビンタされて怒鳴られた興奮が忘れられないそうだ。コイツは変態か。

 怒りのあまり机を蹴ってしまった。王子は一瞬震えて、顔を赤らめている。

 お前の反応おかしいからな。

 だいたいコイツのせいで前世を思い出して、たまに前世の頃の自分っぽい性格に戻っちまうんだ。口調は、ママのがうつったのよ。

 以前よりサッパリしたけどきつくなった、と言われる。令嬢としては規格外な自覚はあるよ。


「手土産もねえのか」

「よ、様子を見に来ただけなんで……」

 王子は手ぶらだ。お付きも護衛も何も持っていない。孤児院に来てんだぞ?

「使えねえ、マジ使えねえわ!」

 腕を組んでソファーに座り、ドカッともたれかかる。

「ごめん、次は何か持って来よう」

「来んじゃねえよ! 迷惑だって分かんない? 消えろよ、お前」

「いやその、きっとシンシアさんを喜ばせられる物を用意する!」

 必死に謎のアピールをする王子。婚約者時代にも、そんなの聞いたことねえぞ。意味が分かんねえよ。

「ちげーよ能ナシ。ガキどもに食いモンでも運んで来いや。ルークはそのくらい、言われなくてもやるけど? お前マジでグズ!」

「すみません……」

 ウォルター王子は、小さくなって帰って行った。本当にまた来るつもりか。


 ちなみに男爵令嬢のジェリーは、一応王子の婚約者におさまっている。今は教育で忙しいようだ。王子の妃になるんなら、どこか身分の高い家の養女にでもしてもらう必要があるだろう。男爵令嬢のままでは、認めてもらえない可能性が高い。

 ちなみに私のことを恐れていて、授業やマナー講習をちゃんと受けないなら、私の元で修行しろと脅すと、真面目にやるようになるそうだ。

 人をダシに使うんじゃねえよ。


 ルークは婚約者とともに、孤児院の慰問などをしてくれる。アイツは本当に気のいいヤツだ。結婚ももうすぐ。披露宴には私も呼んでもらおう。


 それからまた数日。なぜか花束が届いた。

「愛しいシンシア様へ。心当たりがないわ……」

 差出人の名前は、エドガー・フットと書かれている。フット……、子爵家のフットかしら。でも全く関わりがない。首をかしげていると、男性が姿を現した。

「届いたね」

「地上げ屋か」

 孤児院を奪い取ろうとした、短いこげ茶の髪の男性だ。今度はおかしなカードを付けて花を贈るとか、頭が狂ったのかしら。

「やだな、マトモな不動産屋をしているよ。君のタンカに惚れたんだ。俺と商売をするのにふさわしいのは、君しかいない」

「それはどうもありがとう。あ、シスター、この花をこの方から頂戴しました。小分けにして、子供達に売りに行かせてください」

 通りがかった同僚のシスターに渡すと、困惑したように花と私とエドガーに視線を巡らせた。


「好きにしてもらっていいけど……、売る?」

「飲食店とか客商売で、生花を買っている人はいるからね。そういうところを回れば、買い手は付くのよ」

「なるほど。いい着眼点だ。やっぱり私と付き合おう」

「アンタも頭おかしいタイプ?」

 どうもロクな男がいないな。一生シスターでいいやと思っているのに、変なご近所の目に留まってしまった。

 エドガーは笑って、私の後をついて来る。私は掃除をするんだよ。

 箒を手にして床を掃いているのを、壁際に立ち眺めている。

「お嬢様、まだいますね……」

 メイドがこっそりと囁いた。最近は少しずつ、私も自分で色々と出来るようになっているのよ。

 前世を思い出したおかげで、掃除やちょっとした料理の手順なんかも思い出てはいる。ただ、亡くなったのは中学生の頃だからね。ほとんど親任せだったわ。


「終わったらデートしない?」

 バカじゃねえの。私はこの後、奉仕活動があるのよ。スラムでの昼食の炊き出しさ。この修道院は、スラムの入り口にあたる場所に立っている。

 正確には、金が無くて食えないヤツらの為に炊き出しをしてたら貧困層が集まって、スラムができちまったんだけどね。

「……アンタ、フット子爵と関係あったりする?」

「それは俺の親だね。俺は次男だから、気にしなくていいよ。親も貴族の娘じゃ俺の相手はしてくれないだろって、諦めてるから」

 正解だった。ガラの悪い息子だ。人のことは言えないけど。

「なら私の噂は耳に入っているでしょ。シンシア・ベインズっていえば、スキャンダルの真っただ中よ」

「……ベインズ……、ベインズ侯爵の!?」


 青い瞳を大きく開いた。さすがにこの国で貴族の血が流れていたら、私は恋人の範疇はんちゅう外だろう。

「そっ。第一王子の婚約者だったのに、男爵令嬢に奪われて破棄された女」

「は~……! そりゃ良かった。なら俺と付き合おう」

 素っ気なく去るかと思ったエドガーは、むしろ嬉しそうに私の手を握った。

 なれなれしいわ。とりあえず叩いてやる。

「は? なんで」

「いやあ、王子が相手じゃ敵わないが、今はフリーってことだろ。社交界なんて、正直どーでもいーし。とはいえ、侯爵令嬢を連れて帰ったら、両親は驚いて腰を抜かすな。こりゃ気合を入れないと!」


「……シンシア……さん、その男は」

 お付きにお菓子をこれでもかというほど持たせた、ウォルター王子だ。一応、気は利かせたようだ。また手ぶらだったら、蹴り出してやったのに。

「アンタに何か言う権利ある?」

「……ありません……」

 しかしコイツも毒気を抜かれてるな。大人しいもんだ。

「その菓子、さっさとガキらに配んなよ」

「それより」

「うるっせえよ! さっさとやれっつってんだろ、ボケ!」

「はいいい! やはりこうじゃないと……!」

 喜んで孤児院に向かったよ。本物の変態だな。 


「なんだアイツ。おかしなヤツだな」

 エドガーは不審者を見る目つきだ。気持ちは解る。

「そのおかしいのが、この国の王子」

「マジで!?」

「マジ」

 やっぱり誰の目からしても変だよね。エドガーは王子が去った扉を、まだ眺めていた。

「フッた女に貢ぐとか、どういうつもりなんだ??」

 頭を掻くエドガー。

 今日は天気もいいわね。夕飯の買い出し、私の番だったかな。

「アンタ、荷物持ちでもする? 食材を買うのよ」

「それなら任せてくれ。こう見えても力はあるぜ!」

 アピールするように、腕を叩いている。こっちは下僕志願か?

「なら、掃除の後に出掛けよう」

「やった~!」


 喜ぶエドガーだけど、楽しく買い物をした帰りには「やっぱり誰か連れてくれば良かった……」と、重さに音を上げていた。普段は数人でするんだよ、買い出しは。

 面白いから、しばらく使ってやろう。

 修道院も悪くないわね。

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