目次
ブックマーク
応援する
いいね!
コメント
シェア
通報
第7話 姑娘

 後ろ髪と顔周りを残し、頭部の高い位置の左右で丸くまとめた少女は、艶やかな濃紺色の髪を揺らしながら、厨房の様子を窺っている。


 細かな刺繍の施された旗袍チーパオに身を包んだ少女は、店の従業員の制服とは明らかに身なりが異なる。


「すみません。次の営業は夜からで――」

「なんでもいいの」


 今にも厨房に入り込みそうな様子の少女は、勲の言葉を遮り、眉を下げて訴えかけた。


「お腹が空いてたまらなくて……」


 痩せてはいるが、肌は透き通るように滑らかで、日に焼けた様子もないことから、物乞いには見えない。

 どう応じるべきか戸惑っていると、厨房の様子に気づいたハオがこちらに向かってきた。


「お嬢ちゃん、今は昼の休憩中だよ。食べ物がほしいなら、昼市に行くんだ」


 ハオの言葉などまるで耳に入っていない様子で、少女は勲の分の賄いを指さす。


「だめだめ。これはこいつのだ」

「お金なら払うわ」


 即座に断るハオに、少女が食い下がる。


「金があるなら他へ行ってくれ」


 所持金があるとわかったハオは、少女に向かって顎をしゃくり、外へ出るようにと促す。


「あれが食べたいの。ここを通ったときに、とってもいい匂いがしたんだもの」


 少女が勲とハオ、賄いのオムライスを見比べながら声を上げる。


「絶対に美味しいはずよ。そうでしょう?」


 淡褐色の瞳を大きく見開き、少女が真剣な表情でハオに訊ねる。

 ハオは少女の勢いに気圧されしたのか、やや態度を軟化させ、素直に応えた。


「ああ、旨いよ。俺だっておかわりがほしいのを我慢してんだ」

「足りなかったなら、私の分を――」


 皿を持ち、ハオに差し出そうとする勲の前に少女が立ちはだかる。


「あなたが食べなくてよいのなら、ぜひ私にちょうだい」

「……だからさぁ、嬢ちゃん。そういうことじゃねぇんだよ」


 ハオが困ったように耳を掻きながら、溜息を吐く。


「いいから、とっとと帰ってくれ。でなきゃ、夜に出直してくれ」

「あの人の返事をまだ聞いていないわ」


 自分を追い払おうとするハオに物怖じすることなく、少女は勲の目を真っ直ぐに見つめている。


「……いいですよ。そこまで召し上がりたいなら、どうぞ」


 見ず知らずの少女がしぶとく食い下がる様子に興味を持ち、勲は皿とレンゲを少女に手渡す。


「謝謝!」


 少女は背筋を伸ばして頭を垂れると、許可を得たとばかりに客席のひとつに座り、嬉しさを滲ませた表情で手を合わせた。


「あーあ、知らねぇぞ」

「自分の分はまた作れますから」


 知らないという割には笑顔のハオに苦笑を返し、少女の様子を眺める。

 すぐに食べ始めるかと思ったが、少女はくるりと首を巡らせ、声を張って勲に問いかけた。


「ねえ! これ、あなたが作ったのよね?」

「そうですよ。冷めないうちに召し上がってください」


 誰が作ったとは一言も話していないが、手をつけていなかったのが勲だけであったのを見抜いたのだろう。

 少女の観察眼に驚かされながらも鷹揚に応じると、少女は皿を顔の前に持ち上げ、食い入るようにオムライスに見入った。


「いい匂い……」


 一刻も早く口に運びたいのを我慢しているのだろう。

 少女の細い喉が動き、唾を飲み込む音が聞こえたような気がした。


「薄焼きの卵に、トマトの濃い香り……。こんな料理、初めて見る……」


 真剣な表情で料理に見入っていた少女は、恭しく皿をテーブルに置き直すと、一口すくって口に運んだ。


「あぁ……」


 うっとりとした声を漏らし、少女は一口、また一口とオムライスを食べていく。


 美味しいという一言を発しないものの、湯気を追いかけるようにレンゲを巧みに使って綺麗に食べ進めるその姿は、食事を楽しむ喜びに満ちているように勲には感じられた。

コメント(0)
この作品に、最初のコメントを書いてみませんか?