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第6話 蛋包饭

 親子連れが手を振りながら笑顔で店を後にすると、店内はひとときの静寂に包まれた。静寂を破ったのは、ハオだった。


「たいしたもんだぞ、シン!」


 今にも飛びつかんという勢いで、ハオが厨房から飛び出してくる。


「野菜嫌いの子どもを喜ばせるなんて、料理人の鑑だ! お前、本当に料理の神が降りて来たんだな!」


 そう言いながら、ハオは勲の腕を叩き、しきりに褒めた。


「さあ、夜に向けて、俺たちも腹ごしらえだ! お前に賄いを任せるぞ!」

「えっ。賄いは、俺たちが……」


 ハイの発言に、賄いの準備に入っていた厨師たちが戸惑いがちに厨房から声を上げる。


「生まれ変わったシンの料理が、すぐにでも食いてぇんだよ。お前らもそうだろ!?」


 同意を求められた厨師たちは、はっとして勲の方を見る。


 ――生まれ変わったシン。


 元々のこの男のことは知る由もないが、勲からすれば、まさに生まれ変わったのだと思う。

 最期に見ているこの長い夢は、幸運なことにまだ覚めそうにない。


「私も、ぜひみなさんの賄いを作りたいと思っていたんです」


 笑顔で声を張り、深く頭を下げる。

 誰ともなく歓迎の拍手が起こり、勲は顔を上げ、もう一度会釈すると、前掛けの紐を締め直しながら厨房に入った。

 調理台の上には、先輩厨師らの準備していた材料が置かれている。

 トマト、にんじん、キュウリ、ナス、玉葱と、消費期限が近そうな野菜を中心として、ご飯やチャーシューの端の部分や卵――それらを眺めながら、勲はハオに訊ねた。


「ハオさん、何人前をご用意しましょうか」

「客席担当は交代で食べたから、六人前だな」


 ハオの答えを聞きながら、卵を一瞥する。 ちょうど人数分の六個だ。そうわかった次の瞬間には、勲の中で賄いメニューが定まった。

 にんじんとキュウリ、たまねぎ、チャーシューは細かく刻み、一口大に切ったナスは、水にさらしてアクを取る。

 平行して中華鍋に沸かした湯の中に切り込みを入れたトマトを入れてさっとゆで、皮を湯むきして細かく刻む。


 すかさず水にさらしていたナスをざるに上げ、布巾で水気を吸わせる。


 トマトの湯むきに使った鍋の水を捨て、強火の窯に戻し、水を蒸発させた勲は、最後の一滴が弾けると同時に鍋肌に油回しかけ、トマトを入れた。 小気味よい音を立ててトマトの水分が躍り、消えていく。 


 勲がトマトを入れて潰すように炒める音に混じり、厨房を興味津々に覗いていた先輩厨師らから感嘆のため息が漏れた。

「あぁ、たまんねぇ。このトマトだけでも旨そうだ」

「野菜嫌いの子どもも、これなら食いつくんじゃねぇか」

 厨師らの声が聞こえていない様子で、勲は忙しなく中華鍋を振る。

 焦げ付かないようにトマトの水分を充分に飛ばすと、刻んだにんじんと玉葱を加えて手早く炒めた。

 にんじんと玉葱の香ばしい香りが立ったところで、さらにキュウリとチャーシュー、昼の営業で残ったご飯を入れ、鶏ガラスープを一玉分落とし、炒飯の要領で炒めていく。

 塩と胡椒で味を調えたあと、勲はそれらを火からおろし、別の鍋に油を注ぐと、布巾で水分を拭ったナスを素揚げしていく。


 こんがりと表面が香ばしく揚がったところでナスを皿に盛り付け、同じ中華鍋に卵を落として薄く焼くと、先ほどのトマトベースの炒飯を中央に入れ、大きく鍋を振った。


 卵に包まれた炒飯が宙を舞い、勲の手元の皿に吸い込まれるように着地する。


 流れるような鮮やかな調理はそうして繰り返されて、瞬く間に六人分の賄いが完成する。


 温かな湯気を立てる皿が調理台に並ぶと、わっと拍手が起こった。


「すげぇ! 料理って見ても楽しいもんなんだな!」

「同じ竈で作ってるとは思えねぇよ」

「これは、餡のない天津飯なのか? こんな料理、初めて見るぞ」


 喜びと驚きを抑えきれない様子で、ハオと厨師たちが待ちきれずにレンゲを構える。


「オムライスをアレンジしたものです。どうぞ召し上がってください」

「おむ……?」

「わかった、お前のオリジナルってことだな!」


 耳慣れない単語を聞き取れなかったハオが、前向きに解釈して、レンゲで薄焼き卵とトマトベースの炒飯を口に運ぶ。


 一口食べた瞬間、その目が大きく見開かれた。


「うっまぁあああっ!」


 ほとんど悲鳴のように叫び、ハオが厨師たちに早く食べろとばかりに皿を指して促す。


「潰して水分が飛ぶまで炒めたトマトが濃厚!」

「爽やかな酸味と甘みをご飯が吸って、鶏ガラスープのだしで炊いたみてぇになってるぞ! こりゃたまんねぇ!」


 厨師たちが口々に口にしながら、せわしなくオムライスを食べ進めている。


「キュウリを炒めるなんてって思ったけど、撤回する! 食感が楽しいし、揚げた茄子もばっちり合う!」


「薄焼き卵のまろやかさが、全部をまとめてやがる! 餡なんてなくても最高に旨い!」


 咀嚼するたび喜びと驚きに見開かれる彼らの表情を眺めながら、勲も自分の分の賄いを食べようと厨房に戻ったその時。


「あの……」


 いつから店にいたのか、一人の少女が厨房に迷い込んできた。

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