「また来るからね! また明日ね!?」
「ははは、明日か~。そりゃいいな!」
目にも舌にも美味しい料理と仲間たちとの交流にすっかり気分の良くなった常連客が帰って行ったのは、午後九時のこと。幹事の三希だけが会計のために残り、勲と二人で店内へと戻った。
「一杯だけ付き合ってよ、いいでしょ?」
三希はそう言いながら小さなグラスに余ったビールを注いでいる。
「もう注いじゃったものは、断れないな」
勲は笑ってそれを受け取り、三希とグラスを合わせた。
「本当にありがとうな、三希。わがまま聞いてもらって」
「わがままは私たちの方よ。こんなに私たちの好物ばっかり用意してもらえるなんて」
三希はそう言いながら、綺麗さっぱり空になった皿を見渡す。誰一人残さず食べてくれたことに、勲も安堵の息を漏らした。
「誰がどれだけ食べるかわかってるのも、さすがよね」
「この道五十年は伊達じゃないってことだよ」
勲が料理人となり、自分の店を持ったのは二十歳の頃。それからの五十年間のほとんどを、勲はこの店で生きてきたのだ。
「それにしても、七十か。あとどれくらいやれるかなぁ……」
「まだまだこれからでしょ。……座ったら?」
三希に促された勲が座ろうとしたその時、店の扉が開いた。
「ごめんなさい、今日は貸し切りで――」
「違う」
店内に入ってきた男の異様な雰囲気に、勲が短く三希の言葉を遮る。
深く帽子を被り、サングラスをかけた男は、後ろ手に隠していたものを二人へと向けた。
「か……金を出せ!」
包丁を突き出した強盗に、三希が咄嗟に立ち上がる。弾みでグラスが落ち、床に散った。
「動くんじゃねぇ! 金はどこだ!」
「……店の奥だ」
強盗を刺激しないよう、冷静に応じ、勲は自分の背後に三希が来るように庇う。
強盗はじりじりと包丁を二人に向けたまま店内の奥へと進んでいく。
「……三希」
三希に耳を寄せ、視線で開いたままになっている扉を示す。三希は頷くと、隙を突いて駆け出した。だが、すぐに勲がついてこないことに気づき、悲鳴を上げた。
「勲ちゃん!?」
「てめぇ! 嘗めた真似を!」
強盗が激昂して向かってくる。勲は三希を逃すために敢えてその前に立ちはだかった。
「……っ」
息が詰まるような衝撃とともに、熱いものが腹部を中心に広がっていく。
「……包丁はそんなことに使うんじゃない」
刺されたのだとわかった瞬間、勲の全身が震えた。
「くそっ! 抜けねぇ!」
腹に力を込めた勲は、強盗の手ごと血に濡れた包丁を掴み、その顔を睨み付けた。
「人を喜ばせるために使うもんだ!」
「ひっ、ひぃいいっ!?」
勲に一喝された強盗は尻餅をつき、這いつくばるようにして逃げていく。途端に力が抜けて立っていられなくなり、勲はその場に膝をついたかと思うと、横倒しに倒れた。
どこからか、パトカーや救急車のサイレンの音が近づいてくる。
だが、刺された腹部が火で焼かれているかのように熱い。全身の血もそれが巡って、まるで沸騰しているかのようなのに、頭の芯だけが急速に冷えていく。
誰かに呼ばれているような気がしたが、それを確かめる術もなく、勲の意識は遠のいていった。