「私達はここでお待ちしております、ここから先に進んだ本殿にて鬼神様がお待ちです、粗相のないように」
仙太郎くんがそう言って奥をしめす
「わかりました、ここまで案内してくれてありがとうございます」
私は仙太郎くんのほうにペコリと頭を下げてお礼を言う
「何かあったらすぐに呼ぶんだよ!」
そんな仙太郎くんの隣でおばさんは今にも泣き出しそうだ
「あ、ありがとうございますおばさん」
最初は私だけを連れていくとのことだったのだがおばさんはどうしてもついていくと折れることはなかった
そんなおばさんに御礼を言って拝殿を通り本殿の奥を目指せば思っていたよりすぐ襖の前まで着いた
「……」
襖に手をかけたところでピタリと動きが止まる
この奥にいるのは神様だ
それも何故か私と結婚をしたがっている
そう考えると今になって緊張してきてしまいなかなか襖を開けることが出来なかった
「何をしている、早く入ってきなさい」
「あ、は、はいっ!!」
襖の奥から凛とした少し低い声で促されて慌てた私は勢いよくバンっと音を立てて襖を開けた
「あっ、申し訳ありませんっ! 襖壊れてないですよね!?」
私は急いで襖を確認する
「……それぐらいで壊れたりはしない、中に入って戸を閉めなさい」
「っ! 取り乱して申し訳ありません!」
凛とした声にたしなめられて私は部屋に飛び込むと今度はゆっくりと襖を閉めてから膝をついて謝る
「……構わない」
「此度はお招きいただき誠にありがとうございます、して本日はどのような……」
「堅苦しい挨拶はいい、用件は仙から聞いているだろう、こちらへ」
「は、はい」
呼ばれて視線を上げれば今日初めて鬼神様の姿を瞳に映した
見るからに高そうな着物に身を包み立てた膝に肘をついた黒い短髪の青年
ただその顔の上半分は鬼の面で見えないがそれでも端正な顔立ちであることは見てとれた
この鬼の面に関しては祭事の際でも外した姿は見たことがない
さらに言えば村の人達も見たことがあるという人は聞いたことがない
「何をしている?」
「あ、また私ったら! 申し訳ありません!」
鬼神様の見目について考えているうちに今度は動きが止まっていたようで再度促される
あわてて鬼神様の前まで行って再度膝をついて頭を下げる
「……今日の君は謝ってばかりだな、顔を上げなさい」
「は、はい……」
仙太郎くんにあれだけ粗相のないようにと言われていたのにこの有り様である
もう泣きそうで穴があったら入りたいくらいだ
「……」
「……顔に何か付いてますか?」
言われた通りに顔をあげればまじまじと見つめられてついご定番だとわかっていながら聞く
「いや何も」
「……そうですか」
即答で否定されたのはまぁ構わないのだがなんというのだろうか
仮面越しの鬼神様の顔が少し笑ったように見えたのだ
「1つ気になることがあるのだが、君は何をそんなに緊張しているんだ?」
一間おいて鬼神様が不思議そうに訊ねる
「な、何でって言われましても村の守り神様を前に取り乱さない方のほうが少ないかと……」
神を前にして緊張しない人がいるのであれば逆に見てみたい
「? 私と君なのにか?」
「……?」
さっきから何を伝えたいのだろうか
「ああそうか」
鬼神様が思い出したようにぽんっと手を叩いた
「どうしましたか?」
「君は覚えていないのか」
「……何をでしょうか? もしかしてどこかでお会いに?」
祭事の時以外にお見かけした記憶はない
というか見かけていたら忘れることはないと思う
「……」
鬼神様は何かを考えるように黙り込んでしまう
「鬼神様?」
「いや、祭事以外に会ったことはない、私の勘違いだ気にするな」
「そうですか……」
鬼神様は少し経った頃に口を開いたがその言葉にはこれ以上聞くなという圧が込められていて返事を返した後また無言の間が続く
「……して婚儀のほうはこの神社で近いうちに行う予定だ」
「え?」
「婚儀後は神社近くの私の住居に移り住んでもらうことになるから今のうちに荷を纏めて……」
「ま、待ってください!」
とんとん拍子に話が進んでいき慌てて止める
「何かわからないところがあったか?」
鬼神様はきょとんとした様子でこちらを見る
「あの! 何故私なのでしょうか? 私は見目が格段良いというわけでもありませんし頭の出来もずば抜けて良いということもありません、鬼神様の妻にふさわしい方はもっと他にいらっしゃるのではないでしょうか」
「……」
「鬼神様?」
今日何度目なのかもうわからないがまた鬼神様は考えるように黙ってしまった
「……仙から家事や裁縫の腕が良いと聞いている、畑の手伝いの手際も良いし性格が辛抱強いとも、私もそろそろ妻を娶っても良い頃合いだ、だから皆からも好評嘖嘖で村一の器量持ちのお前を妻に迎えることにした、理由はそれだけだ」
やっと話してくれたと思えば義務報告のように淡々と理由を伝えられただけで会ってすぐの時は少しだけだがあった気さくさはすっかり影を潜めていた
何か気に振れることでも言ってしまったのだろうか
「……わかりました、ご説明いただきありがとうございます」
言いながら私は頭を下げる
「……わかったのならもう行きなさい、婚儀の日程は改めて仙に知らせに行かせる」
「はい、失礼いたします」
私は立ち上がるともう一度深く頭を下げて襖に手をかけた
これは断るという選択肢など最初から無かったのだろう
いや、神様から婚姻の話があるとなった時点で断る術がないことぐらい最初からわかっていた
だからこそ何故私だったのか聞いた
しっかりと私を選んでくれた理由があれば納得出来たからだ
それなのに理由がただ周りからの評判が良かったから、なんてものなのだと言われてしまえばそこにはあまりにも愛なんてものが無いではないか
私が望んだ家族の暖かさなんてそこにはない
そんなことを考えながら私は外に出ると襖を閉めて来た道を引き返していく
「お帰りになられましたか、鬼神さまには粗相なされませんでしたね?」
「紬ちゃん! どうだった? 大丈夫かい?」
仙太郎くんの声のあとにおばさんがこちらを確認して駆け寄ってくる
「おば、さん……」
「どうしたんだい紬ちゃん! 酷い顔をして、何かあったのかい?」
「鬼神様が私を嫁にしたい理由は皆から評判がよくて村で一番の器量持ちだからだそうですよ、笑っちゃいますね」
言い切ると口から少しの自嘲的な笑いがもれる
「なんだいそれは! そんなの結婚じゃなくてまるで人身御供じゃないか!」
「……鬼神さまがそう申されたのですか?」
仙太郎くんは考えるように口元に手を持っていってから確認のように聞いてきた
「うん、鬼神様ご本人がそう申されたんだもの」
「そうですか……」
仙太郎くんはそう呟くと黙り込んでしまった
「顔合わせも終わったし帰りましょうか、近いうちにこの神社で式を上げることになるみたいです、そのあとは鬼神様のご住居に住むことになるので荷物を纏めないと……」
「紬ちゃん、無理して嫁ぐことないんだよ? とりあえずうちの旦那に相談して、あんなでも一応村長だから、鬼神様だって話せばきっとわかってくださる……」
「それはありえませんね」
仙太郎くんがおばさんの話を遮る
「え?」
「鬼神さまが紬さまとのご婚姻をお辞めになることは万に1つもありえません」
「仙太郎くん! それはなんでなんだい!?」
「私からは理由は申せませんがいずれ鬼神さまから直にお話になる時が来るでしょう」
「そんな、そんな殺生なことがあるかい……」
仙太郎くんの話を聞いておばさんが目頭を押さえる
「おばさん、私は大丈夫です! むしろ今まで住まわせてくれてお世話までしてくれてありがとうございました! あともう少しの間だけですがよろしくお願いします」
そう言って頭を下げればおばさんも仙太郎くんももう何も言うことはなかった