美咲の顔をじっと見つめて、ミヤコはゆっくりと口を開いた。
「残念だけど、あなたがエレメンツであることは間違いないわ。しかもグレード7。この世にそんなにいないであろう、公式には最上級のエレメンツよ」
わかっていた。あの時、エレメンツ検査のときの大人たちの混乱ぶりを思えば。
それでも、死刑宣告のようなミヤコのその言葉は美咲の心に重く、そして、深く突き刺さって見えない血を流す。それこそ、ついさっき、感覚的には遠い昔に、麻子と交わしたあの朝の会話もあって、その現実に対する強烈な拒否反応が、美咲の身体を這い回った。
心臓が高鳴る。体が震える。意識が遠のきそうになる。
ただ、涙は、ぐっとこらえた。
「気持ちがわかるなんて、言わないわ。私とあなたでは立場が違う、置かれている境遇も何もかも違う」
ミヤコはそう言うと、握っていた手をそっと引き寄せ美咲の肩を抱いた。
震える肩を。そっと、暖めるように。
「それでも、我慢しなくてもいいのよ。泣きたければ泣きなさい、叫びたければそうしなさい。私が、ここにいてあげるから」
ぎゅっと、力強く美咲の肩を抱きながら、ミヤコは慈愛に満ちた声で、そう言った。エレメンツである、化け物である自分に。スーツの男が、震えながら銃を向けるような、混乱しながら発泡するような自分に。
きっとミヤコだって怖いはずだ、なぜなら、今の美咲は人類の脅威だからだ。
だからこそ、それが、美咲にはうれしかった。
不安で仕方のない自分。それでも、そんな自分を出さないように押さえ込んでいた自分。そんな自分を、この目の前の女が理解してくれていたことに。だからこそ、美咲は小さく首を横に振った。
だからこそ、泣かなかった。
「キャラじゃないですから、私、泣かないし叫ばないです。ただ」
「ただ?」
「おなかがすきました」
ぷっと吹き出して、ミヤコはそのまま大声で笑い始めた。
「お腹すいたって、美咲ちゃん想像以上に大物ね」
「私、食欲には自信あるんです」
美咲も、精一杯の力を振り絞って明るい声を出して微笑む。
そしてミヤコは、そんな美咲の健気にして力強い声に、感心したような表情で微笑むと、その頭をポンポンと軽く叩いて言った。
「気に入ったわ、ますます欲しい人材ね」
「人材?」
美咲は、ミヤコのその言葉にひっかかりを感じて聞き返した。
「ええ、人材。でも、説明の前に、何か食べましょう」
そう言うとミヤコは、美咲の手をつかんだままうれしそうに立ち上がる。
つられて美咲もベッドを降りた。
そして、ミヤコの手を一度振り払うと、その場で何度か屈伸をし、小さくぴょんぴょんとジャンプして、自分の体が
「なにそれ?」
「動けるって、安心しません?」
「ごめんわからないわ」
ミヤコはそういうと、再び美咲の手を引いた。
「そんなことより、こんな陰気な部屋でご飯なんか食べたくないでしょ、こっちいらっしゃい」
たしかに、この部屋は食事をするには少し陰気だ。
しかし、この、飾り気の全くない殺風景な部屋がある建物のどこに行っても、ご飯が美味しく食べられるような素敵な部屋があるとは、美咲には到底思えなかった。しかし、ミヤコはとまどう美咲の手を握ったままつかつかと小さな飾り気のないドアまで近づくと、少し自慢げにゆっくりと開いた。
「さぁ、どうぞ」
ミヤコは、美咲の手を離して、まるで高級ホテルのドアマンのように深々とお辞儀をすると、右手でドアの向こうへといざなった。
美咲は、きょろきょろと落ち着かない視線をさまよわせながら、部屋を出る。
そして、小さく感嘆の声を上げた。
「うあぁ」
ふっと漂うコーヒーの香気とジャズの音色。
そう、そこは、紛れもなく、食事の美味しくなる場所だったのだ。
見渡せば、アンティークに統一された飴色の家具たち。
大きな窓のない店内は薄暗く温かみのある白熱灯に照らされていて、観葉植物のひとつ、壁に飾られるポスターのひとつ、椅子、テーブル、その上に並んでるもののどれひとつとっても、統一感とセンスに彩られた上質の空間。
若い男女がワイワイと紙コップでコーヒーを飲む場所ではなく、平安と静寂を好む大人が、コーヒーをただ楽しみたいだけの趣味人が、極上の時間を過ごす場所。
カフェでもコーヒースタンドでもなく。
それは、まぎれもない喫茶店。
「ここって……」
「どう、素敵でしょ、私のお店」
ミヤコは事も無げにそう答えると、カウンターでグラスを磨いていた黒服の大男に声をかける。
「タクミちゃん、ブレンドツー」
そしてそのまま、次に、観葉植物の陰にひっそりと立っている、ウエイトレスというよりはメイド服のようなものを着た、小柄の少女に声をかける。
「セイラちゃん、何か美味しいものひとつね」
「はぁい。みっさーは食べられないものあるぅ?」
み、みっさー?
美咲は、私のことですか?と言った表情で自分を指差した。
「うんうん、食べらんないもの作っても意味ないっしょぉ」
「ないです、なんでも食べます」
すると「りょぉかい」と軽快に返事して、セイラと呼ばれた少女は厨房のほうへ消えた。一方ミヤコは「なんでもって」と笑いながら呟いて、さらにセイラに指示を飛ばす。
「ちょ、セイラちゃん、先にお冷二つ持ってこなきゃ」
「ふぁい」
厨房の奥から間の抜けた返事が返ってきた。
「ったく。どうしてああ緊張感のないしゃべり方しかできないかな」
ミヤコは不機嫌そうに、でも笑いながらそう言うと、どうぞ、と椅子をひいて美咲を誘導する。
美咲は、いざなわれるまま席に着き、再度店内をキョロキョロと見回した。
一体何なの、これ。どうなってんの?
そう、美咲にとって今日一番の混乱はこのときに訪れていたのかもしれない。非日常と非現実とが次々と連なって現れている最中に、人生最大の悲劇が訪れたその直後に、突然現れたあきれるほど普通の風景。
今日のすべてが嘘に思えるような、普通の安らぎ。
その戸惑いが、美咲の中で軽い疑念を生む。
セイラとかいう人、私の名前を知ってた。
美咲はセイラの消えていった厨房の方を睨んで、心のなかでつぶやく。そして、この状況下で、自分について知っていることが
私に、この田辺美咲に今日起こったことのすべてとその結果を。
きっと知っているはずだ。
なのに、この喫茶店の中の雰囲気は、あまりにも普通で。そこにいる人間の顔に、恐怖も緊張もまったく感じられなくて、美咲は戸惑っていた。
ここにグレード7のエレメンツが座っているのに。
最上級の化け物が座っているのに。
「どうしたの、納得いかない顔ね」
「え、ええ、はい。なんか、すごい普通なんで」
「そりゃそうよ、普通の喫茶店ですもの」
楽しそうにミヤコはそう言うと、すっと立ち上がってゆっくりと頭を下げた。
黒いロングヘアーがさらさらとミヤコの肩をなでて落ちる。
甘い、いい匂いがした。
「ようこそ純喫茶ニルヴァーナへ」
気がつくと、タクミと呼ばれた男もメイド服のセイラも、美咲の方を向いて深く腰を曲げて頭を下げている。
「ゆっくりくつろいでね」
純喫茶ニルヴァーナ。
そこは、涅槃の夢を見るところ。
そして物語は、ここから始まる。