ここは……どこ……だろ……。
目を覚ました美咲の目に飛び込んできたのは、じりじりと音を立てながら細かく点滅する蛍光灯。そして、粗末な、それでいて一目で清潔だとわかるベットに横たわる自分の身体。
見慣れない、無機質な天井
見慣れない天井かぁ。と心で呟いて、美咲は、なんてありきたりな感想だろ。と落胆した所で、突然、声がかかった。
「お目覚め?」
若い、女の声だった。
だから、少しだけ安心して、美咲ははっきりとしない意識のままでそちらの方へ目をやった。
そこには、若い、といっても、美咲よりは10ほど年上に見える女が、その派手で目を惹く容姿には不釣り合いの、なんのそっけもないパイプ椅子に座ってこちらを見ていた。といってもそのパイプ椅子そのものは、コンクリートの打ちっぱなしの壁に囲まれたこの部屋と保健室にあるような無機質なベッドには、似つかわしいものだったのだが。
「あなた……誰?」
美咲は、やはり朦朧とした意識のまま、たずねる。
すると女は、くすっと小さく笑い、ゆっくりと立ち上がって美咲のほうへと近づいてきた。
「なかなかたいしたお嬢さんね、この状況で、その質問をするなんて」
確かに、それは女の言う通りかもしれない。
しかし、なぜだか美咲には、いま自分の置かれている状態が危険なものだとは思えないでいた。
ただ、それは、根拠のまるでない勘のようなものだ。
「知りたいことを、聞いただけ」
美咲は、布団を身体にまとわりつかせたままゆっくりと身体を起こして、なぜか挑むように女に正対した。
目の前の女はそんな美咲に優しく微笑む。すべてにおいて均整の取れた、それでいてどことなく愛嬌をたたえるその笑顔は、美咲の心に暖かい安らぎと共に冷静さを呼び戻した。
美人は強いなぁ。
美咲は嫉妬まじりにんなことを考えつつ、その場で肩をぐるりと回すと、膝にぐっと力を入れて伸ばした。
よし、異常なし。
身体に痛むところはどこにもないらしい。美咲が、心底安心するにはそれだけで充分だった。
「私は、躑躅ヶ
ミヤコと名乗った女は「もちろんさん付けでね」とお茶目な顔で付け足しながらウインクをして、美咲の隣に座った。
美人特有のいい匂いが、した。
「私の名前は……」
「知ってるわ、田辺美咲さん。美咲って呼んで、かまわないわね」
「ええ」
奇妙な空間と、奇妙な状況で交わされる、ありきたりで他愛もない会話。
ゆっくりと現実感を取り戻しつつある意識の中で、美咲はそのことがおかしくて仕方がなかった。
だから、自然と笑みがこぼれる。
「何か、おかしいことでも?」
そう尋ねていながらも、自分も笑みを浮かべ、ミヤコは美咲の顔を覗き込む。
うわ、まじで美人。
近づいたミヤコの顔は、遠目で見るよりも、よりはっきりと美人だった。
女の美咲が見惚れてしまうほどに。白い肌と整って均整がとれているのに一つ一つの印象がはっきりしたパーツ。なのに、ナチュラルメイクにとどめられている感じが清楚感まで引き出していて、正直ずるいとさえ感じる。
「ん?私の顔、変?」
「あ、いや、すいません」
ミヤコの言葉に、初対面の他人の顔を無遠慮に凝視していた自分に気付き、美咲は少し俯いて取り繕うようにミヤコの質問に答えた。
「その、なんか、きっとこんな普通の挨拶を交わしている場合じゃないんだろうな。なんて、思って」
美咲の言葉にミヤコはまたくすりと笑い、そして、急に真剣な顔になって質問を投げてきた。
見つめなければならない、その、現実について。
「今日のこと、どれくらい覚えてる?」
今日のこと。
美咲は、まだ少し重い頭を軽く振って、その、非現実的で、それでいて悲しいほどの現実を突きつけてくる
いや、思い出さずとも、はっきりとわかっていたのだけれど。
思い出すそぶりを、してみたかった。
もしかしたら、記憶とは違う何かが、出てくるかもしれなくて。
しかし。
「うん、残念だけど、はっきり覚えてる」
そう残念ながら、頭のどこをどうひっくり返してみても、覚えていた最悪の現実しか見当たらず、美咲は肩を落とした。と、同時に、とある自分の失態を思い出して、今の自分の服装が気になり布団の下の自分の身体を急いでのぞいた。
思い出した現実で一番心にこたえたのは、ソレだったから。
見ると、着ていたのはやたらと派手なピンクのシャツ。それに、自分では絶対に買わないような、ダメージ加工の大胆なジーンズ。
「こ、これって」
美咲は布団の中を見つめたまま、ミヤコにそう言った。
恥ずかしさから、顔を上げることができなかったから。
「大丈夫よ、制服、洗濯してるからシミにはならないわ」
「で、でも、パンツは」
感触で、自分がそれを穿いていないことにも気づいた美咲は、震えるほどの羞恥の中で恐る恐るたずねる。
そんな美咲を、やはりミヤコは微笑みながら優しく見つめていた。
「それも洗ってる。残念ながらパンツの替えはなかったけど。いいでしょ、脱がせたの着せたのも、私ともう一人、どっちも女よ」
真っ赤な顔でうつむく美咲をよそに、ミヤコは、あきれ顔を浮かべ、肩をすくめて続けた。
「まったく、ほんとに変な娘ね。あんな目にあって、まず最初に確認することがお漏らしの件だなんて。ねぇ、聞きたいことは、ほかにもたくさんあるんじゃない。例えば、あなたが本当にエレメンツかどうか……とか、ね」
ミヤコの言葉に美咲は身体をびくりとさせて、ゆっくりと顔を上げる。
確かに、それは聞きたい。
しかしそれは同時に、聞いてしまえば確定する事実に思えて。いや、すでに確定している事実に裏付けを与えてしまうように思えて。なによりも聞きたくない、耳に入れたくない、最終宣告だった。
だから美咲は、なにも言い返せない。
なにも、口から出てこない。
「うん、そうね、意地悪な言い方だったわね。じゃぁ、私から言うわ」
そう言うとミヤコは、布団の中から美咲の手を引き出してぎゅっとかたく握った。
冷たい手だった。
なのに、安心する手でも、あった。
だから美咲は、この先にきっと突きつけられるだろう現実に、なんとか耐えられるんじゃないか。震えずに要られるんじゃないか。
そんなふうに、ほんの少しだけ。
思えた。