「せ、先輩……これって……」
デブの方はそう言って、画面をノッポに見せる。
ノッポの方は、次の生徒用に準備をしていたのを中断してデブの差し出した画面を覗き込み、そして、叫んだ。
先程までののんきな雰囲気が急激に吹き飛ぶ。
「シチュエーションA、入り口に鍵をかけろ!!」
突然の大声に、美咲はびくりと身体を揺らした。
すると、そんな美咲を見たスーツの男が、懐から何かを取り出して声帯を弾き飛ばすような声で叫ぶ。
「動くな!動くと撃つ!!」
「ひぃっ」
その言葉と保健室中を圧倒するプレッシャーに身体を硬直させて、それでも美咲は、そのスーツの男が握っているソレをじっくりと見た。
そう、ソレは、紛れもなく。
「ピ、ピストル!」
あまりのことに、美咲は声を上げていた。
初めて見る、本物の銃。
それがどんな種類のなにでどんな威力のものかはわからないけど、ひと目で明らかにおもちゃではない風格と殺気をみなぎらせる暴力の塊だった。
「そうだ、動かなければ撃つことはしない、しかし、動けば即座に射殺するぞ」
必死でしぼりだした余裕の雰囲気を漂わせながら、スーツの男はそう言うと白衣のデブのほうに向き直ってたずねる。
「間違いないんだな」
「は、はい、間違いなくEBWです。でも、こ、これは……」
答えるデブの声が震えている。見れば、その額からはぎらぎらとした汗が滴り落ち始めていた。
「でもなんだ、はっきり言え!」
突然うしろから声がして美咲がそちらのほうを向くと、どこに隠れていたのか、もう一人いたスーツの男が保健室の扉を背にしてこちらに銃を構えている。
な、何なのよ……これは。
この異常な状況に戸惑いながらも、美咲は、その心の奥底で、この事態が指し示すひとつの真実にすでにたどり着いていた。
しかし。
う、うそよ。そんなはずは……。
「早く言わんか、でも、何だと言うんだ!」
美咲の困惑をよそに、美咲の目の前で銃を構えるスーツの男は青筋を立ててデブをどやしつける。しかし、白衣のデブの方は、それでも何も答えず、ただタラタラと汗を滴らせて黙り込んでいた。
見かねて、ノッポの方が答える。
それでも、たどたどしく、震えながら。
「そ、その娘は、そいつは……」
男の言葉を、そこにいた全員が固唾を呑んで待つ。
狭い保健室に、狂気にも似た緊張が張り詰める。
緊張感が互いに引き合う「キーン」と言う音が聞こえるようだ。
そして、そんな、極限にまで張り詰めた空気の中、ついにその事実を告げられた。
「そいつはE-7!最警戒能力保持者です!!」
絶叫と聞き間違うような声で男は答えた。
そしてその瞬間、部屋の空気がまた一段ガラッと変わった。
より、息苦しいものへと。
「う、嘘だろ、ま、まさか……グレード7なのか?!」
美咲の前で銃を構えていた男が、うわごとのようにつぶやく。
「間違いありません、最警戒能力保持者、脅威種です!」
脅威……種?
美咲の中で、白衣のノッポが叫んだ言葉が、ゆっくりと組みあがる。
E-7、最警戒能力保持者、脅威種。
う、うそよ!
「畜生、何だって俺のときにこんなバケモンが……」
バケモン?
いや、いやよ、違う!そんなはずない!!
美咲の中でしっかりと像を結んだその最悪の現実は、認識すればするほどに美咲の体内に強烈な拒否反応を引きだし始めていた。そしてその反応は、むずがゆいような衝動となって美咲の身体を駆け上がり、そして、その口から一気に吹き出した。
「間違いよ!何かの間違いに決まってる!私は、私は……エレメンツなんかじゃない!!」
美咲は、声の限りに叫んだ。
認めたくない現実に反旗を翻すように、この悪夢が覚めるように。
しかし、その叫びを合図に、スーツの男が更なる現実を突きつけるように叫び返す。
「だまれ!!」
――パァン
クラッカーに似た炸裂音、しかしその何倍も大きく重く殺気に満ちた音。
「いいか、動くな、しゃべるな。今度何かしゃべったら、貴様の身体を蜂の巣にしてやる!!」
その声に我に帰った美咲は、天井に向けられたスーツの男の銃から白い煙が立ち昇っているのを見た。
「い、いやぁぁぁ!!」
「うるさい!!」
――パァン
スーツの男の怒号とともに、また銃声が走った。
そして今度は、その瞬間を美咲はしっかりと見ていた。しっかりと聞いていた。閃光も銃声も、彼女のすぐ耳のそばを通過した不気味な風切音も。しっかりと、その目と耳で。
「ひぃぃ」
全身にわきあがる恐怖、硬直して力を込めているはずなのに、まったく力が入らず、がたがたと震えだす手足。
自然と流れ出す涙、そして、股間に感じる生暖かい感触。
意識することもなく、美咲は、座ったまま失禁していた。
「動くな!いいか!動くんじゃないぞ!!いいな!!」
発砲したスーツの男は、美咲のそんな様子を気にとめることもなく、うわごとのように警告を繰り返しながら、手に持った銃で美咲を威嚇する。
しかし当の美咲には、すでにそんな警告の必要はなくなっていた。
動くことなど、もう、できない。
だらしなく口を広げ、鼻と目と口と、顔中の穴と言う穴からだらだらと液体を垂れ流しながら、放心したように天井を見つめるだけ。いや、ただ、瞳が天井のほうに向いていただけで、美咲は何も見てはいない。
それでもスーツの男は、威嚇の言葉を繰り返す。
「いいな、動くな、動くんじゃないぞ!」
いいながら男は、ゆっくりと美咲に近づく。
声を震わせながら、足を、拳銃を持つ手を、がたがたと震わせながら。蒼白となった顔には冷たい汗が光り、眼球はキョロキョロと眼窩をうろついている。
そう、この男も、いやここにいる全員が、一様に恐怖しているのだ。
美咲と同じように、いや、むしろ、美咲よりもっと強烈な恐怖が、四人の男たちに襲いかかっているのだ。
と、その時、突然耳をつんざくようなベルの音が響いた。
――ジリリリリリリリリリリ
「なんだ、こんどはいったい?なんだ!」
音にはじかれるように、美咲の目の前のスーツの男が叫ぶ。
学校内でこの音だ、それが火災報知機であるのはわかりきったことだった。
しかし。
「なんなんだ、いったい!これはなんだ!誰か調べろ!!」
男たちは、それが火災報知機の非常ベルであることに気付かない。いや、気付けない。
恐怖と緊張とに支配された彼らは、もう、それすらわからないほどに混乱しきっているのだ。
「おい、お前、扉を開けて調べろ!」
美咲の目の前の男が、扉の前の男に命令する。
「わ、わかった」
震える声で、扉の前の男が、保健室の扉をゆっくり開けた、その瞬間。
――パリーン
今度は、ガラスの割れる音が響いた。
「どこだ!」
男たちは、音の出所を探して、一瞬、美咲から視線をはずした。
その瞬間。その刹那。
少しだけ開け放たれていた保健室のドアから、一条の風のようなものが吹き込んできたかと思うと、放心している美咲の体にぶち当たった。そしてそのまま、ぶち当たったその、風のような影のようなそれは、美咲の体を抱きかかえると、もと来た扉から外に飛び出していった。
しかし、誰もそれに気付かない。
それもそのはず、扉から影が入り込んで出て行くまでに経過した時間は、瞬きほどの間もないほんの一瞬。まさに、神がかりの早業だったのだ。
と、ちょうどその時、警報ベルの音がやんだ。
「な、なんだったんだいったい」
扉の方を見ながら、美咲の目の前にいたスーツの男がつぶやいたとき、白衣のデブの方が、大声で叫んだ。
「いっ、いません!!」
「なに?!」
男の声に、そこにいた全員が、今しがたまで美咲の座っていた椅子のほうを見た。
しかしそこにあったのは、ぐっしょりと湿った丸椅子のみ。
そこに座っていたはずの美咲の姿は、どこにも、なかった。
「探せっ!」
スーツの男は叫ぶ。
しかし、美咲の姿はどこにもない。
もうすでに、影が、すべてを連れ去ってしまっていたのだ。