確かに、親友である美咲は、まじめで一直線で、思ったことは躊躇なく口にするタイプの人間だ。
それでも、やはり、いまどきの女子高生であると言う一面はわずかでも持ち合わせている。いくらなんでもこんなにも場の空気を崩壊させるような過激なことを、朝っぱらから平気で口にするような娘じゃない。たとえ、美咲の意見が世間に急激に広まりつつある類のものだったとしても、だ。
「ねぇ、美咲、あんたなんかいやなことでもあった?」
深入りを嫌う世代の麻子ではあったけれど、それでも恐る恐るたずねる。そして、確信した。
「な、なによ、いきなり」
わかりやすいな、美咲は。
麻子は、まるで“そうです図星です”と自ら告白しているかのような表情でそう言った美咲を見ながら、そう心の中でつぶやいた。
そして、さらに続ける。
「吐いちゃいなぁ、楽になるよぉ」
一方美咲は、そんな麻子の態度に少なからずの苛立ちを覚えたけれど「これも心配してくれてるってことだよね」と思い直して麻子の柔らかな耳に唇を近づけた。
すると麻子も、うれしそうに美咲の口元に耳を近づける。
「実はね……」
「うん、うん」
「私、もう、陸上部じゃないんだよね」
美咲の告白に、麻子は目を見開いて美咲を見つめ、一瞬沈黙すると、突然大声を張り上げた。
「えええええ、まじぃ?うそでしょぉ!」
「ちょ、ば、麻子、声でかい」
麻子の突然の叫びに、美咲はきょろきょろと教室を見渡しながらあわてて麻子の頭を押さえつける。しかし、時既に遅しで、何人かのクラスメイトが何事かとこちらをいぶかしがっているのが見えた。
「たく、内緒話の意味ないでしょう」
そんなクラスの視線から身を隠すように身体を縮めながら、美咲はそう麻子に釘をさした。
麻子も「ごめん、ごめん」と小さくあやまりながら、身をひそめる。
しかし、麻子としては、その美咲の告白が大声に価するものだという思いはあった。
高校に入って間もない、初めての自己紹介の日。
「陸上は私の恋人です、だから彼氏は必要ありません」
と、バカ正直に大声で宣言をした変なクラスメイトこそ、目の前の美咲なのだから。そして、宣言どおりに、勉強も恋愛もそっちのけで陸上に明け暮れ、一年生にして都大会のリレー選手に大抜擢された、その美咲が。
陸上以外の取り柄が大食いしかない、この美咲が。
陸上をやめた?
「でも、どうして、なにがあったの」
恐る恐る小声で麻子がそう訪ねると、美咲も同じく小さな声で、ため息とともに絞り出した。
「二連続赤点よ、うちの運動部の鉄の掟」
「ま、まじですか……」
「嘘、つくと思う?」
美咲の言葉に、麻子は「あちゃぁ」とつぶやいて机に突っ伏した。
「あんた、一年の学年末で数学赤点だったでしょ、ってことは、こないだの定期実力考査でも数学が赤点だったってこと?」
机に突っ伏したまま、顔だけを美咲に向けて麻子は情けなさ気につぶやく。そして美咲も、そんな麻子と同じように情けなさそうにこたえた。
「うん。昨日顧問に呼び出されてね、おとといの夜に数学の田村から連絡があったんだって、で、そっこうで退部」
美咲はそう言って机に突っ伏す麻子の隣に同じように突っ伏す。
「で、何点だったのよ」
「う……、じゅ、12点?」
まさか百点満点だったとは思えないような美咲の点数に、麻子は大きなため息をついた。
一時間でも勉強してれば、取らない点数だ。
「ごめん、同情できない」
「だよねぇ」
力なくそうつぶやいて、美咲は盛大に頭をかきむしった。
どう考えても、部活への復帰は望めない点数だ。ぎりぎり赤点ならばまだしも、赤点の基準である35点にすら……半分足りない。もうそれは赤点という領域ですらないといっても過言ではない。部活どころか学校から追い出されても文句の言えない点数だ。
「仕方ないんだよね、うん、仕方ないんだよ」
そう自らに言い聞かせるようにつぶやいて、この残酷な決定から今までずっと納得しようとしている美咲だったが、とはいえ青春のすべてをかけようと思っていた陸上からの追放は痛い。喪失感も、尋常ではない。
でも、それより。
「ああああ、もう、勉強のない世界にいきたいよぉ」
これが本音。
陸上を愛するゆるぎない気持ちより、勉強を嫌う圧倒的な想いの方が、今は明らかに勝っていた。
「んな世界、あったらろくなもんじゃないわ」
麻子は、もうお手上げですよ。とでも言いたげに、そう言った。
ほんと、別に馬鹿というわけじゃないのに、どうしてこうも勉強ができないんだろ、美咲は。
「もう、高校辞めて、そんな世界を探しに旅に出ようかな」
ああ、この性格が悪いんだ。
美咲の発言に、麻子は妙に納得した。
そんな世界に思いをはせる暇があったら、少しは反省するべきよね。
人の良い怠惰な親友に、麻子は半ばあきれながらそう心でつぶやくと、ふと、良い考えが浮かんだ。
「そうだ、エレメンツになっちゃえば収容所行きでしょ、だったら勉強しなくていいんじゃない?」
確か、収容所送りになったエレメンツは終身収容が義務付けられているはずだ。
麻子は、笑いながら美咲をからかった。
「バカじゃない、そんな目にあうなら、毎日勉強したほうがましよ」
麻子の言葉に、美咲は「ありえないわよ」と吐き捨てるように言い放ち、ブンブンと首を振り、続ける。
「確かに私は勉強できない女だけど、エレメンツみたいなバケモノよりはまし」
そう言うと美咲は、かばんから参考書とノートを引っ張り出して机に並べた。
「と、言うわけで、数学だけは得意な麻子先生。昼休みに実施予定の私の追試に向けて勉強を教えなさい」
「何よ、その偉そうな言い方は。悪いけど美咲より低い点数なんかどの教科でもとんないからね」
言葉とは裏腹に微笑みながらそう言った麻子は、付け加えるように言葉を続けた。
「やっぱあんたエレメンツになるといいよ」
「何よ、そんなにバケモノにしたいわけ」
美咲がそういって睨むと、麻子は満面の笑みで答えた。
「でね、勉強できる能力さえ身につければ……」
「あ、それいいね」
「でしょ」
「うんうん」
うららかな春の日差し差し込む教室で、二人の女子高生が楽しげに話をしている。
世界を包む薄暗い影の存在になど気付くことなく。
その、選ばれた彼女に待つ運命のことなど知るはずもなく。
「必ず100点取る能力のエレメンツかぁ」
「最強じゃない?」
「それは、なりたいわ、実際」
ポカポカと温かい春の教室で、ふたりは、のんきに笑いあっていた。