「逃げませんよ!」
急にアリーシャがシュタルクヘルト語で声を上げたので、室内に居た全員が振り向く。
注目を浴びたアリーシャは、クシャースラの背中に完全に隠れるとーー何故かオルキデアは複雑な気持ちになったが。今度は小声で話し出す。
「その……私には、ここしか居場所がないので……」
「そうか」
オルキデアが返事をすると、クシャースラの背から顔だけ出したアリーシャは俯いたのだった。ーー顔が赤くなっているのは、気のせいだろうか。
シュタルクヘルト語がわからず、首を傾げていた新兵にアリーシャの言葉を通訳をしながら、オルキデアは続ける。
「……だ、そうだ。少しぐらい外に出しても、逃げ出す心配はなさそうだ。……どうだ、頼めるか?」
「少将が、そこまで仰るのでしたら」
渋々、新兵が承諾すると、「はあ」という溜め息が傍らの親友から漏れた。
「犬の散歩みたいに頼むなよ。オルキデア……」
クシャースラの呆れた声が聞こえてきたが、それは無視しておく。
「じゃあ、行ってきます」
部下に案内されてアリーシャが出て行くと、二人はまたソファーに座って向き直る。
これで、しばらくは二人きりになれる。
「それで、いつまで隠しておくつもりだ。隠し続けるにも、限界があるだろう」
「そうだな」
アリーシャを見つけた時から、箝口令を敷き続けた。そろそろ、限界だろう。
「国境沿いの基地では、アリーシャへの暴行を理由に手元に置けたかもしれん。けど、ここではそうはいかない」
国境沿いの基地にいる時、何があったのかはクシャースラに説明している。
「ここへの移送時は、人目を避けてこの部屋に運び込んだ。まあ、勘のいい奴が気づいて、噂し出すかもしれんが」
部下には引き続き箝口令を敷いているが、時間の問題だろう。
そろそろ、アリーシャをどうするか考えないといけない。
「国境沿いの基地では、アリーシャ嬢の正体に気づかれなかったが、こっちではそうもいかないだろう。
軍部の中には、アリサ・リリーベル・シュタルクヘルトの顔を知ってる者もいる」
「そうなのか?」
「お前さん、昨日配信されたシュタルクヘルトの新聞を読んでないのか?」
クシャースラに言われて、オルキデアは執務机に戻って、新聞のデータを立ち上げる。
昨夜は疲れていたこともあって、重要度の高いメールと書類しか読んでいなかった。
データを立ち上げると、シュタルクヘルトの新聞の一面に、葬儀の写真と共に大きく書かれていた。
『慰問中に死去したアリサ・リリーベル・シュタルクヘルト氏の国葬がしめやかに営まれる』
葬儀の写真以外には、軍事基地と軍事医療施設の探索の結果、生存者を発見出来なかったといった報告と共に、オルキデアたちが王都に向けて旅立った日に、シュタルクヘルト軍も捜査を打ち切ったと書かれていた。
紙面を飾る写真は、以前も新聞に載っていた隠し撮りのように撮られたアリサ・リリーベル・シュタルクヘルトの写真だった。
無理矢理引き伸ばしたのか、やや画質の悪いその写真の周りを、大量の花が囲み、写真の前には大勢の人が並んでいたのだった。
「つまり、ここの奴らはアリーシャの正体に気づく可能性があるんだな」
アリーシャが逃げ出す心配がないからと外に出したが、今更不安になってきた。
ペルフェクト語がわからない振りをしていたアリーシャのことだから、何かあっても上手くやるだろうが、果たして大丈夫だろうか。