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 クシャースラ・オウェングスが、オルキデア・アシャ・ラナンキュラスを知ったのは、士官学校の寮に入寮した春の日のことだった。


 全寮制の士官学校だけあって、この日は貴族出身者だけではなく、平民出身者たちも親や身内に見送られて、これから四年間を過ごすことになる寮に足を踏み入れた。


 そんな見送りの中でも実家が王都の郊外で農業を営み、両親の反対を押しきって士官学校に入ったクシャースラには見送りはおらず、一人賑やかなロビーの片隅にいた。

 寮監となる兵がロビーに来て、寮部屋の鍵の引き渡しを始めても、別れを惜しみ、激励する見送りの声は止むことはなく、少年たちの名前を呼ぶ寮監の声は次第に怒気を含み始めた。

 名前が呼ばれるまで手持ち無沙汰だったクシャースラは、自分と同じ様に見送りがなく、ただ一人で入寮した仲間はいないだろうか、とロビー内を見渡していた時だった。

 別れを惜しむ同期生となる少年たちとその家族の輪から離れたところで、壁に寄り掛かりながら、寮部屋の引き渡しを待っている少年がいた。


 ダークブラウンの短い髪に黒みがかかった紫色の瞳。軍人というよりは俳優や舞台役者と言われた方がしっくりとくる鼻梁の整った顔立ち。

 見送りに来た家族と話す少年たちや使用人を連れて名前が呼ばれるのを待っている少年たちをどこか冷めた目で眺めている秀麗な顔の少年に、自然と視線が吸い寄せられた。

 その少年こそが、オルキデア・アシャ・ラナンキュラスであった。


 少年に話しかけようと、クシャースラが人垣を掻き分けていた時だった。

 部屋の引き渡しを行っていた寮監が「オルキデア・アシャ・ラナンキュラス!」と叫ぶ様に名前を呼んだ。

 すると壁に寄り掛かっていた少年は、傍らの荷物を持って、寮監の元へと向かったのであった。


(オルキデア・アシャ・ラナンキュラス)


 寮監と話す少年の後ろ姿を見ながら、何度もその少年の名前を反芻する。

 不思議な魅力を持った少年のその名前は、クシャースラの中に深く刻み込まれたのであった。

 同じ士官学校にいるのだからまた話す機会はあるだろうと、その時は楽観していた。

 けれどもようやくその機会がやってきたのは、この入寮日から二年後のことだった。


 オルキデアの存在は知っていたが話しかける機会が見つからないまま、最初の一年目は過ぎてしまった。

 クシャースラはその年の入学生総代を務め、また常に成績が上位だったこともあり、周囲から注目を集めていた。

 同期生や教官たちからは褒めそやされたが、クシャースラ自身はただ単に必死なだけであった。


 両親の反対を押し切って入学した以上、優秀な成績を収めなければならなかった。

 士官学校の入学時に優秀な成績を収めれば、学費が免除される免除制度があることは知っていたが、聞くところによれば、在学時も優秀な成績を収め続ければ、引き続き学費が免除されるらしい。

 また卒業後に軍で功績を挙げても、士官学校の学費が返還されるとのことであった。

 学費の免除制度は、クシャースラにとってもありがたかった。

 両親が営む農業を継がず、軍人としての道を選んだ以上、両親には学費の面で苦労や迷惑をかけさせたく無かった。

 結果として、成績優秀者だったクシャースラには免除制度が適用されて、士官学校で学んだ四年間は一切の学費が掛からずに済んだのであった。


 クシャースラが優秀な成績を維持し続ける一方、オルキデアもまた優秀な成績を維持し続けていた。

 士官学校では試験が終わる度に、廊下や寮の掲示板に成績表や点数表が貼り出されていた。

 成績上位だったクシャースラの名前の近くには、常にオルキデアの名前があった。ーー時には同点だったこともあった。

 後にオルキデアに聞いたところ、オルキデアも学費免除が目的で優秀な成績を収めていただけだったと教えられた。

 そして、成績が常に上位だったクシャースラに負けるのが悔しかったともーー。

 クシャースラと似た理由で上位成績を維持していたオルキデアに親近感を抱いたことも、今も続く友情のきっかけになったのであった。


 同期生から賞賛を受けるクシャースラに対して、オルキデアは褒められてもさして興味が無いようだった。

 士官学校に入学してしばらく経っても、オルキデアは常に一人でいて、時にはふらりとどこかに消えていた。


 その頃になると同期生の中でも、貴族は貴族同士、平民は平民同士と、それぞれ身分ごとに分かれて行動するようになっていた。

 喧嘩や諍いも増え、両者の溝が深まる一方、オルキデアはどちらにも属しなかった。


 他の同期生に聞いたところ、オルキデアは貴族でありながら他の貴族と行動を共にすることもなく、だからと言って平民と掛け構いこともなかった。

 誰とも関わらずに、一人静かに本を読んでいるような少年であった。


 またしてもクシャースラはオルキデアを不思議な少年だと思った。貴族でありながら、貴族らしく偉ぶらず、平民を馬鹿にせず。

 これまでクシャースラが出会ってきた貴族は、先祖が立てた功績をまるで自分が挙げたものと過信して驕るような者ばかりであった。平民であるクシャースラたちを奴隷か虫けらの様に扱ってきた。

 士官学校では教官たちの手前、貴族出身の同期生たちも表立って平民出身の同期生たち馬鹿にしてこなかったが、陰でこそこそ平民出身者たちの悪口を話しているのを知っていた。

 オルキデアが貴族出身だと知った時、そんな中にオルキデアがいなかったことにクシャースラは驚いたものだった。


 そんなオルキデアと話すきっかけは、士官学校二年目の秋も深まって来た頃に訪れたのであった。



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