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episode_0084

「まずこの部屋を出たら、今後はシュタルクヘルト語を話さないでくれ。ペルフェクト語とハルモニア語だけが分かる振りをして欲しい」


 今後、第三者から「アリーシャ・ラナンキュラスはアリサ・リリーベル・シュタルクヘルトだ」と言われても、シュタルクヘルト語が話せない、分からないとなれば、アリサと思われる可能性は低くなる。

 顔がそっくりの他人と思われるだろう。


「シュタルクヘルト語を……? 分かりました」

「君に生まれ故郷の言葉を話すなと、命じることになるのが心苦しいが……」

「気にしていません。今後この国で生きていくのに必要なら」


 アリーシャのペルフェクト語の能力は随分と高い。読み書きが出来て、日常会話以上に会話も出来る。

 これならペルフェクト語だけでも、この国では充分やっていける。


「そう言ってくれると助かる。それともう一つだが……」


 いつの間に話し終わったのか、クシャースラたちの視線を感じていた。オルキデアが視線を向けると、続けろとクシャースラに手で示されたのであった。


「この部屋を出た時から、君はシュタルクヘルトで保護されたアリーシャじゃなくなる。……君は、アリーシャ・ラナンキュラスとなる」


 アリーシャ・ラナンキュラスーーオルキデア・アシャ・ラナンキュラスと婚姻を結んだ娘。コーンウォール家の遠縁の親戚。オルキデアの伴侶ーーオルキデアの妻。

 それが、この部屋から出てからのアリーシャとなる。


「アリーシャ・ラナンキュラス……」


 呟くアリーシャに、オルキデアは肩から手を離す。


「今後名前を聞かれたら、そう名乗るんだ」


 この部屋を出たら、もう後戻りは出来ない。

 二人は監視をするペルフェクト軍の少将と襲撃跡地で保護され捕虜となったシュタルクヘルト家の娘ではなくなる。

 一時的な契約結婚とはいえ、結婚した夫婦となる。


「はい……!」


 紫色のリボンが付いた鍵を胸元で握りしめると、アリーシャは返事をする。


「ここからは別行動だ。……また後で会おう」


 オルキデアでは、軍部からアリーシャを連れ出せない。

 廊下や食堂で他の軍人たちにアリーシャの姿を見られる分には問題なかった。

 軍部では大勢の人間たちが働いており、その中には貴族出身の軍人が連れているメイドや下働きもいる。

 その中の一人として、アリーシャを紛れ込ませるのは容易い。


 だが身元を確認された時、アリーシャには証明出来るものがない。

 オルキデアではアリーシャの身元を保証出来る物を用意出来なかった。

 それどころか、オルキデアと共にいるだけで、アリーシャがアリサ・リリーベル・シュタルクヘルトだと勘付かれる可能性が高くなった。

 あの襲撃作戦にシュタルクヘルトの元王族の血を引くアリサが巻き込まれたのは、シュタルクヘルトの新聞を読んだ軍部の人間なら誰もが知っている。襲撃作戦にオルキデアが参加していたことも調べればすぐに判明する。


 そんなオルキデアがアリサ・リリーベル・シュタルクヘルトとそっくりのアリーシャを連れ歩いていたら、両者が同一人物であると考える者は多い。

 一度噂になればそれは疑惑となり、やがて軍の上層部にも伝わるだろう。

 アリーシャの存在を知られてしまえば、軍の上層部はオルキデアの身辺を探り始める。アリーシャがアリサ・リリーベル・シュタルクヘルトだと知られてしまうのも時間の問題となるだろう。

 そうなればアリーシャを守るどころか、危険に晒すだけとなってしまう。それはオルキデアの本意ではない。


 またオルキデアはアリーシャがオルキデアの執務室に滞在していることを、軍に報告していない。

 直属の上官であるプロキオンには、「軍事医療施設で働いていた民間人を保護した」とだけ報告している。

 自分の執務室に滞在させる理由も、「記憶障害があるので、治療の為に受け入れ先の病院を探している。怖がらせるといけないので、受け入れ先が見つかるまで、牢ではなく手元で監視したい」としている。


 最初は訝しんでいたプロキオンだったが、何か思うところがあったのかあっさりと許可してくれた。

 勿論、軍事機密や軍に関わる情報は流さない、軍部の外には出さないとの二つの条件付きではあったが。



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