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episode_0064

 最初こそ呆気に取られていたティシュトリアだったが、やがて小さく声を上げながら笑い出したのだった。


「あら、そういうことだったの。オーキッド」


 クスクスとティシュトリアは笑うと、アリーシャの頭から爪先まで何度も眺める。


「この子はどこの貴族のお嬢さん?」

「いえ、彼女は貴族ではありません」

「そうなの。じゃあきっと顔形が貴方好みなのね。まさかこんな貧相な子が好みだったなんて知らなかったわ」

「母上、これは……」


 オルキデアがアリーシャから身体を離すと、すかさずティシュトリアがアリーシャに近づいていく。

 じっと様子を伺っているアリーシャに対してティシュトリアは片手を上げると、アリーシャの白い頬を平手打ちしたのだった。


「母上!?」


 乾いた音が廊下に響き渡り、叩かれた衝撃でアリーシャがよろよろと後ろに下がる。すかさずオルキデアはアリーシャを支えると、ティシュトリアから庇う様に二人の間に入ったのだった。


「よくも私のオーキッドを誑かしたわね。平民の分際で!」

「……っ!」

「何か言ったらどうなの!? 身分もなく、美しくもないくせに。その身体で私のオーキッドを誘惑したのね!? そんないやらしい身体付きで!」


 ティシュトリアがアリーシャの身体を指さすと、アリーシャは弾かれた様にオルキデアの後ろに隠れて自分の身を守ろうとする。

 ティシュトリアの言う通り、アリーシャの発育の良さは服の上からでも窺えた。細い身体付きに対して、胸は大きく、腰もくびれている。服を脱いだら、さぞかし魅力的な身体をしている事だろう。

 だが、アリーシャはそんな身体を見せるどころか、いつも首元まで服を着込んでおり、身体を隠そうとしていた。アリーシャ自身は自分の身体について、あまり触れて欲しくないのかもしれない。


「俺は誘惑されていなければ、彼女も誘惑してません。俺は自分の意思で彼女を選んだんです」

「そう思い込まされているだけじゃないの? オーキッドは優しいもの。そこの女狐に絆されているのよ」

「そんな事はありません! 彼女に謝って下さい!」

「オルキデア様……」


 背後からか細い声と共に服の裾を引っ張られる。オルキデアが首だけ動かして後ろを向くと、アリーシャは叩かれた頬を押さえながら泣き出すのを堪えるかのように、菫色の瞳に涙を溜めて、小さく首を振ったのだった。


「アリーシャ……」


 そんなアリーシャの態度が癇に障ったのか、ティシュトリアは「帰るわ」と不機嫌そうに吐き捨てたのだった。


「気分が悪いわ。今度はこの子のように貧相な子を探してくるわね。勿論、身分は高い子よ」

「母上!」

「だから、その子とは別れなさい。オーキッドには相応しくないもの」


 そうして、靴音を高く鳴らしながら、ティシュトリアは去って行ったのだった。

 やがてティシュトリアの姿が見えなくなると、オルキデアはすぐに後ろを振り返ったのだった。


「アリーシャ、頬は大丈夫か?」

「……」

「すまない。母上が迷惑をかけてしまった。すぐに冷やそう。このままにしたら腫れてしまう」


 オルキデアが声を掛けるが、アリーシャは何も答えなかった。ただ叩かれた頬を押さえながら耳まで真っ赤になって、肩を震わせていたのだった。


「おい。一つ頼まれてくれないか?」


 オルキデアはアリーシャから目を逸らすと、先程トレーを押し付けた部下に声を掛ける。部下はオルキデアたちの剣幕にすっかり気圧されており、トレーを持ったまま、ただオロオロと戸惑っていただけだった。


「食堂に行って、代わりの飲み物を持って来てくれ。温かいものがいい」

「あ、な、何をお持ちすればいいですか……」

「なんでもいい。気分が落ち着きそうなものならなんでも。だが必ず温かいものだ。それ以外は許さん」


 多少、脅す様に語調を強めると、部下は弾かれた様に敬礼して、食堂に向かって駆け出した。

 二人きりになると、アリーシャを慰めるように頭に触れようとする。けれども、アリーシャの手がそれを払い除けたのだった。


「アリーシャ、これは、その……」


 行き場のなくなった手を引っ込めた時、アリーシャが紅潮した顔を上げる。菫色の瞳から無数の涙を流しながらーー笑ったのだった。


「大丈夫です。私は全く気にしていません。それよりも、飲み物をお持ちしたのに間に合わなくてすみません」

「いや、そんな事はどうだって……」

「そんな悲しい顔をしないで下さい。悪口を言われるのは慣れています。直接殴られた事はありませんが、言葉の暴力は数え切れないくらい受けました」


 アリーシャに言われて、オルキデアは自分が今、悲しい表情をしていることに気づく。


「それに嬉しかったんです。どんな形であれ、またオルキデア様に助けて頂いて……これで、もうここを離れられます」

「そんなこと……」


 そんな顔をしてーー今にも泣きそうな顔で言わないで欲しい。


 けれども、オルキデアはその言葉を飲み込んだ。

 自分にその言葉を言う資格は無い。

 アリーシャにそんな顔をさせたのは、他ならぬ自分なのだから。


「最後まで、ご迷惑をおかけしてすみません。このお詫びは必ずします」


 そのまま、アリーシャは部屋に戻ろうとしたので、咄嗟にオルキデアはその華奢な手首を掴む。


「オルキデア様?」


 不思議そうに掴まれた手首を見つめるアリーシャに、オルキデアは端的に告げたのだった。


「アリーシャ、少し話をしないか。俺達の今後に関わる話だ」




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