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episode_0043

 食堂で二人分の紅茶と、軽食として菓子を少々もらったオルキデアは、執務室に戻る途中、直属の部下であるラカイユに出会った。

 ラカイユ曰く、今日届いた郵便物をアリーシャに預けたとのことだった。


「新聞以上に、若くてお綺麗なんですね。アリーシャ嬢。いえ、アリサ・・・嬢は」


 コソッと呟いて、自分の仕事に戻って行くラカイユを見ていたオルキデアは、ふと思い出す。


(そういえば、アリーシャについて、まだほとんど説明していなかったな)


 クシャースラは、昨日配信されたシュタルクヘルトの新聞に、アリサ・リリーベル・シュタルクヘルトの国葬に関する記事が掲載されたと言っていた。

 王都の軍部では、電子での配信と下級士官以下が利用する食堂への貼り出し以外に、一日遅れる形で、各執務室にペーパー版で同じ物が届けられる。

 従卒を含めて、なるべく多くの兵の目に触れて欲しいという上層部の考えらしいが、電子版かペーパー版か、どちらか片方でいいのではないかとオルキデアは思っている。


(ラカイユにも協力を仰ぐべきだろうな)


 オルキデアの部下の中では、アルフェラッツと同じくらい仕事が出来て、何より口が堅く、信頼が置ける。

 それもあって、国境沿いの基地からアリーシャを移送する際、オルキデアの執務室にもう一人住めるように、内密に用意を頼んでいた。

「襲撃跡地で保護した記憶喪失の民間人を手元で監視する」と前置きしてから、詳しい事情は王都に戻ったら説明すると簡潔に言ったきりだった。

 ラカイユはその民間人をーーアリーシャを、アリサ・リリーベル・シュタルクヘルトと結びつけたのだろう。


 昨日、今日とラカイユとは時間が合わず、まだアリーシャについて詳細を説明していなかったが、アルフェラッツと同じくらいシュタルクヘルト語が堪能な部下だけあって、おそらく新聞を読んで勘づいたのだろう。


 そのうち、ラカイユにもアリーシャについて話さなければならない。

 あまりアリーシャの話を広めない方がいいが、移送の際にはクシャースラやアルフェラッツだけでは人手が足りない。ラカイユの協力も必要となる。


 どう説明しようか考えながら、執務室の扉を開けたオルキデアだったが、自分の執務机でシュタルクヘルト語の新聞を読んでいるアリーシャの姿が目に留まる。

 そしてアリーシャが呟いた言葉に、オルキデアはその場で固まってしまう。


「思い出した……」


 オルキデアは目を伏せると、とうとうその時がやってきてしまったのだと気づく。

 アリーシャとのーーアリーシャと過ごす時間との永遠の別れを。


(別れか……)


 そこまで考えて、オルキデアは目を見張る。

 自分が思っていた以上に、アリーシャとの日々を慈しみ、別れを惜しんでいることに驚きを隠せなかった。

 持っていた紅茶と軽食が乗ったトレーを廊下に控える部下に預けると、オルキデアはそっと執務室に滑り込む。

 音を立てないように入ったが、その必要がないくらい、アリーシャは新聞に夢中になっていた。

 オルキデアの姿には、全く気付いていないようだった。


「私の本当の名前は、アリサ・リリーベル・シュタルクヘルト。

 シュタルクヘルト元王家の直系の血を引く九番目の子供……」


 オルキデアは濃い紫色を上げると、真っ直ぐにアリーシャを見つめる。


「ようやく、思い出したのか」


 それが嬉しいような悲しいような、複雑な感情となってオルキデアの胸の中で渦巻く。


「オルキデア様……」


 顔を上げたアリーシャの菫色の瞳が揺れる。泣かないようにぐっと堪えているのか、顔を歪めた。

 もしかしたら、今の自分もアリーシャと同じ顔をしているのだろうか。

 それとも、自分がアリーシャに、こんな悲痛な顔をさせてしまったのだろうか。


(冷たい、冷酷、情が無いと、部下たちから噂のラナンキュラス少将も形無しだな)


 オルキデアは自らを冷笑したくなったが、今はそんな場合では無い。

 自らを冷笑する代わりに、オルキデアはそっと呟く。


「……これで、終わりだな」


 記憶喪失の捕虜と将官は、敵国の元王族と将官の関係に変わった。


「話しをしよう。……今後について」

「はい……」


 たとえ、お互いにこの時間を大切に思っていたとしても、アリーシャが記憶を取り戻した以上、ここに妥協の余地はない。

 そう自分に言い聞かせることで、オルキデアはいつもの自分に戻ろうとしたのだった。



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