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No.26 第14話『父親と母親』- 1



ゴミ袋を取り出して、床に散らばったガラスを片づける。

ガラスの散乱する床に屈んで拾っている最中、なつはずっと、僕の隣で座りながら観察していた。


時折ガラスを拾う手を見ては、今度は僕の顔を覗き込んでくる。

その度に大丈夫だと伝えるために目を見て笑った。


「もう大丈夫」

「…うん」


またガラスを拾う作業に戻ってビニール袋へ破片を入れる。

その時ふと目線に入ってきたのはガラスの破片に埋まっている自分の投げたスマホ。


黒色のそれはガラスで傷だらけになっていて、やっぱ壊れてるだろうなって思った。

ガラスを慎重に避けながらスマホを拾い上げる。意外にも、画面は割れていなくてボタンも押すことが出来た。


「すご…生きてた」

「壊れてなかったの?」

「……。」

「なお?」


さっき電話をしてきた相手からの着信履歴を見て、一瞬押し黙ってしまう。

実際、何も問題は解決していない。僕がどれだけ反対したとしても、母親は言うことを聞かないだろうから…


「…ッ」

「なお?!」


母親のことを思い出している途中、突然左手から血が出始める。

ガラスの細かい破片がスマホに付着していることも気付かずに、強く握ってしまっていた。


スマホを離した手から血が滴り始め、画面の上へと落ちる。

平田瞳と書かれた母親の着信画面が僕の血で見えなくなった。


「手当しなくちゃ、あッ、どうしよう!…持てないッ」


必死で暴れまわりながらティッシュを持とうとするなつを見て、また少し…心が落ち着き始める。

僕のために一生懸命になっているなつの姿を見ると思わず笑ってしまった。


そんなに慌てなくても大丈夫なのにって可笑しくなる気持ちと、僕のためにありがとうって思う気持ちが、頬の筋肉を緩ませる。


「なつ、大丈夫。自分で出来るから」

「うん…でも私がやりたい」

「え…?」

「なお!手当するから手首持ってて!」

「ええ?!ちょっと待てって、なつ」


怪我をしていない方の手を引っ張られ、強制的になつの手首を握らされる。

そのままついてくるように指示をされて、血だらけの左手を余所に振り回された。


前から思ってはいたけど、なつって結構強引だよな…


「これ、自分でした方が早いだろ」

「はい!左手出して下さい」

「……。」


有無を言わさず手当をされる左手。なつは器用に片手だけでガラスの破片を取り、水道で流し始める。

その後、救急箱から薬や包帯を取り出し、ゆっくりと丁寧に作業を進めていた。


どこでこんなことを覚えたんだろうと疑問に思った瞬間、ふとアニメのワンシーンを思い出す。

ぼーっとベッドから暇つぶしに見ていた時、そんな映像があったような気がする。


記憶力の良いなつに今さらながら感心していたその時…


「もうなおが怪我しないように、ずっと守ってあげるからね」

「え…」


微笑みながら、手当をしているなつの口から出てきた言葉。その言葉が耳に入ってきた途端、目の前にいるなつが…


『おかあさん…』


昔の、僕が小さかった頃の…母親のように見えた。

一度見えてしまった幻覚は消えることなく昔の記憶を連想させる。


まるで今この目の前が、昔に戻ってしまったかのように…


『大丈夫、もう七生人に怖い思いはさせないからね』

『ゔうッ…ヒック、ふッう…』

『もう七生人が怪我をしないで済むように、お母さん…ずっと守ってあげるからね』


悲しそうに、でも僕を元気づけるために無理矢理笑おうとする母親の顔。

隠そうとしていても、震えている声は恐怖という感情を抑えきれていない。


僕だけじゃなくて、母さんも怖がっていたことくらいずっと気がついていた。

それでも、守ってもらうだけで何も言えなかったのは、何も出来なかったのは…


「逃げてたんだ…」

「ん…?」

「僕は、自分可愛さに殴られてる母親を放って逃げ出したんだ…」

「なお…」

「それだけじゃない。僕は間違った方法ばかり選んで…色んな人を傷つけてきた」


また次々と自分の目から涙が溢れ出してくる。なつに泣き顔を見られたくなくて、顔を無理やり俯かせたのが間違いだった。

重力のせいなのか、耐えようとしていた涙は止まることなく流れ始めて、雨のように床へ落ちていく。


一度解放した思いは中々閉じ込めることが出来なくて、どうすれば解決できるのか、どうすれば気持ちの整理がつくのか、全然わからなかった。


「…あのね、なお」

「…!」


視界が真っ暗になり、何が起こったのか動揺する。

でもすぐに、なつに抱きしめられているんだとわかった。


少し冷たい体に強く抱きしめられ、背中をゆっくりと撫でられる。

怪我をした左手は、いつの間にか白い包帯が綺麗に巻かれて手当を終えていた。


「やっぱり今のなおは大丈夫じゃないよ。まだ何か、自分だけで抱え込んでる」

「……。」

「なおが抱えてることは私も一緒に背負う。一緒に悲しんで、一緒に怒って、一緒に笑って…なおが私を支えてくれたように、私もなおを支えたい」

「ッ…な、つ…」

「なおの抱えてるもの全部…話してくれないかな。解決は出来なくても、一つの荷物を一人で持つより二人で背負った方が軽くなると思うの」


優しいなつの声が、左耳のすぐ近くから聞こえてくる。

泣いていて視界の歪んでいる景色の中で、なつの声だけが、僕の耳に響いてくる。


全部、話してもいいんだろうか…


「ううッ…」


ずっと、後悔していたあの頃のことを話しても…


「…なつ」

「ん…なあに?」


軽蔑しないで。


「ずっと…そばにいてほしい…」


離れていかないで。

なつは、僕から離れていかないで。


そう強く願いながら、消え入りそうな声で呟いた僕の言葉に、なつの体がピクリと反応を示した。

返事を聞くのが少し怖い。

でも、僕を抱きしめていたなつの体から響いてきたのは…


「……喜んで」


たった一言の、僕が求めていた言葉だった。

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