『お願い!もうやめて!』
『うるせェ!黙ってろッ』
やめろよ…
『うう゛…ッ』
もうやめろよ。僕だけでいいから。
『ふ…ぐ、ゲエッ』
苦しむのは、僕だけでいいから…
小さい頃の自分が、目の前で蹲って嘔吐している姿。
辺りが真っ暗の中で聞こえてくるのは母親の悲鳴ばかり。
客観的に自分の姿を見ているこれは、夢の中なんだろうか。
「情けない…」
弱くて、守られてばかりの自分を見るのはこれ以上耐えられなかった。
「立てよ、向かっていけばいいだろ」
守れるくらい、強くなればいいだろ!!
―――――弱る自分にそう大声で叫んだ瞬間、目の前が明るくなっていつも眺めている天井が目に入った。
完全に夢から覚めたことがわかって上体を起こす。
最悪だ…朝っぱらから気分が悪い。
昔の夢を見て、体中から汗を流しているのがわかった。
しばらく荒れた呼吸を整えるために心臓を落ち着かせた後、ドサッと背中をベッドへ預ける。
「何が守れるくらい強くなればいいだよ、アホくさ」
今だって何一つ守れてやしないくせに…昔も今も、僕は何も変わっていなかった。
「……ッ」
眉間に皺を寄せつつ寝返りを打った瞬間、隣にあるなつの顔に驚く。
また僕が寝た後にベッドに忍び込んでいたのかと思うと、さっきの考えていたことなんて吹っ飛んで顔が熱くなる。
諭す方法をいい加減真剣に考えなくちゃいけない気がした。
「はあ…」
大きくため息をつきながら、ぐっすり眠っているなつの顔を凝視する。
最近は、よくなつも眠るようになった。
「な、お…」
目を瞑ったまま小さく呟かれた自分の名前に、ドクンと心臓が跳ねる。
また怖い夢を見ているのかと心配になって近づきながら顔を覗く。
僕の心配とは裏腹に、なつはフフッと夢を見ながら笑い始めた。
楽しそうな夢で、少し羨ましい。幸せそうに眠るなつの頬へと手を伸ばし、軽く撫でながら呟いた。
「守るって…何なんだろうな」
眠っているなつから返事がくるわけはなくて、その代わりに聞こえてきたのは床に置いていたスマホからの着信音。
何故かはわからないけど、一瞬だけ、嫌な予感がした。
画面を見なくてもわかる電話の相手。こんな時間に僕に電話をかけてくる人なんて一人しかいない。
「…もしもし」
躊躇しながら画面の通話ボタンをタップして耳に当てる。
そこから聞こえてきたのは予想通りの相手からの声だった。
「もしもし、七生人?元気にやってるの?」
「うん…何か用?朝っぱらから」
「それがねー、実はお母さんから報告がありまーす!」
朝早いこの時間帯からテンションの高い母親の声にげんなりする。
でも久しぶりに聞いた声に少しだけ嬉しくも感じて、言葉とは対照的に僕の表情は柔らかくなっているような気がした。けれど…
「何だと思うか当ててみて?」
「は…?さっさと言えよ」
その喜んだことも、次の言葉で後悔することになる。
「お母さん、再婚しまーす!」
え…?
「大学は奨学金で行ってね。高校を卒業したら七生人は一人暮らししてもらうから」
なんだよ、それ。
「再婚相手の人はもうお母さんと一緒に住んでるから!良い人なんだけど、まだ七生人と会うのは恥ずかしいみたいで…」
付き合ってまだ三カ月くらいのはずだろ?
「彼、シャイなのよね。ごめんね、七生人。とりあえず今日は報告だけしようと思って…ねえ、聞いてる?」
また…同じ間違いを繰り返すつもりか?僕のことは…邪魔でしかないのか?
「もういい」
「え?聞こえない、七生…」
ガシャンッと部屋中に破壊音が鳴り響く。
気が付いた時には、電話を切ってそのままガラス細工の戸棚に思い切り投げつけていた。
扉のガラスが割れて破片がガラガラと床へ飛び散る。
それを見てもイライラを超えた僕の中の何かが、満足をしてはくれなかった。
鳴り始める目覚ましを手にとり壁に投げつけて壊す。
怒りに任せて机をガンッと蹴った拍子に、昨夜食べたカップ麺の残骸が床に散らばった。
「なお…?」
僕が暴れている音に目を覚ましたなつが駆け寄ってくる。
自分の周りの物全てにイライラして、もうこんな世界を壊してしまいたくなった。
「うるさい!あっち行ってろッ」
床に転がったコップを掴んでなつに向かって投げる。
なつを通り抜けたコップが勢いよく床に落ちて割れる音が聞こえた。
「どうしたの…?」
「もううんざりなんだよ」
「私が寝てる間に何かあったの…?大丈夫だよ、落ち着いて」
「うるさいって言ってんだろ!消えろよッ、僕の前から!!」
もう…どうなってもいい。
全てが壊れてしまえばいい。
「……なお、寂しいんだね」
「黙れッ」
「なおの声が、寂しいって言ってるよ。大丈夫、なつがいるからね」
「関係ないだろ!!お前はもう…」
とっくに死んでるんだよッ!
最後に叫んだその言葉が静かな部屋に響き渡って、これでもう僕の世界は終わったんだと思った。
母親からの一本の電話で自分の中の精神がいとも簡単に狂い始める。
今までにやってきたこと全てが無意味なもので、ちっぽけで、くだらないことだったと認識させられた。
悔しい…自分の存在も、自分の力も、自分の努力も、全てを否定されたような気分だった。
「なお…」
ただ黙って俯いていた僕の前から、なつの小さな声が聞こえてくる。
さっき叫んだ僕の言葉を聞いて泣くんだろうと思っていた。
ショックを受けて、嫌いになって、離れていけばいいって…