背負っていた私に声をかけながら、彼が今朝まで寝ていた寝床へと降ろしてくれる。
一瞬寝床が透けてしまいそうになって、咄嗟に寝ている状態になるように体を浮かせた。
その時また額が疼き始めて、うぅっと声が漏れてしまう。
「痛みを…感じるんだ」
私の唸り声で心配になったのか、怪我の具合を見ようと試みる彼。
顔に張り付いた髪の毛を掻きわけて、驚いたような顔をされた。
「意外過ぎて開いた口が塞がらない…」
「うえぇんッ」
きっと私の顔を見て死体だと思ったんだ。
死んだ時の顔と同じ顔をしていたのかもしれない。あんな醜い死に様の顔を見られてしまった。
必死に髪の毛を元に戻して両手で顔を覆う。
でもすぐに彼の手によって腕を退かされてしまった。
「幽霊も怪我するんだ…。とにかく、氷…でいいのか?」
何か言葉を発した後、私を置いて小屋から出て行ってしまった。
私の顔を見て気持ち悪いと思ったんだろうか。
死んでから見た自分の死体を思い出して、自然と涙が零れ始める。
お願い、気持ち悪いと思わないで。嫌いにならないで。
髪の毛で顔を隠して両手を額に当てながら、彼の後を必死で追いかけた。
「何やってんだよ、戻るぞ」
「うう…」
何となく声で呆れられているのがわかった。
またあの小屋へと戻る彼の後ろについていくと、小屋に着いた途端に冷たい何かを額に当てられる。
その冷たさで冬によく出来る氷だと理解出来た。
この季節に出来ることが不思議で首を傾げる。
そんな私に何か言おうとしていた彼が、突然私を軽々と抱き上げてまた寝床へと降ろしてくれた。
ドクンと、私の死んだ心臓が、動き出すような感覚。あまりにも嬉しい出来事に、頭がぼーっとした。
もうこの頃から私はとっくに彼のことを好きになっていたのかもしれない。
呆けてしまっている間に私の額を氷が通り抜ける。
その光景を見て彼が困惑していることをすぐには気付けなかった。
「…まだ痛い?」
「ううッ」
私が物に触れられないことが、彼にバレてしまった。
死んでいることを実感されたくなくて、必死に生きている人のように振る舞っていたのに…それでもやっぱり隠し通すことには無理があった。
「意味…わかってないと思うけど。…ごめん。庇ってくれて、ありがとう…」
「あ…りが?」
聞いたことのないはずの言葉が、何故か耳に残る。
本能的に、お礼の言葉なんだと思ったのかもしれない。
心が温かくなるような、とても綺麗で素敵な響きだった。
名前を忘れた私につけてくれた『なつ』という名前は、なおの名前と似ていてすごく嬉しかった。
何もない私に名前をくれて、人間のように接してくれた優しいなお。
私の髪の毛を切ってくれた時の、あの優しい手の感覚を今でも覚えている。
温かくて大きくて、私のずっと欲しかった温もりだった。
言葉をひとつひとつ教えてくれた時のなおの笑顔は忘れられない。
私と違って綺麗な黒髪だとか、目がとても綺麗だとか、笑った顔の方が素敵だとか、色んなことを思いながら彼のことを見つめていた。
教えられた単語を暗記出来たか確認された後、問われた最後の言葉。
「じゃあ、僕の名前は?」
彼が自分を指さしながら聞いてきた質問に、覚えているに決まってるでしょうと言いたくなる。
平田七生人。
孤独だった私に優しくしてくれた、唯一の人。
「なお…」
「惜しい、なおと」
「なお…」
「と!」
「なお!」
「と、だって…。もしかしてわざと言ってる?」
「んふふ」
その優しい笑顔がもっと見たくて、その優しい手にもっと触れたくて…
「もうなおでいいよ。朝、怪我したとこは…?見せて」
「なお!」
「はいはい」
私の額に触れようとするなおの手から、いつの間にか離れられなくなっていた。
あの時、どれだけ私が嬉しかったか、なおは知ってる?
あなたはきっと気付いてないまま、私を虜にしているんだ。
私にとってあなたがどれだけ大切な人か知ってる?
人を愛するということはこういうことなんだって、あなたに教えてもらったんだよ。
全部あなたに教えてもらったんだよ。
「ねえ、なお…あなたの大切な人に、私もなれるかな」
死んでいる私でも、あなたの大切な人になれるかな…
寝ている彼の手に手を重ねながら、自分の想いを問う。
この温かい手は私の冷たい手を癒してくれるのに、私の手はどんどん彼の手から体温を奪っていく。
どれだけ彼のためなら何でも出来ると思っていても、現実はマイナスにしかならない。
そう諭されているような気がして、ゆっくりと自分の手を彼の手から離した。
「またこうやって側にいたら、ボールの時みたいに役に立つ時がくるかな」
そうだといいな…
窓から見える大きな満月を見つめながら呟く。
明るい月はなおの部屋を半分ほど照らしていて、ベッドの影は映してくれているのに私の影を映してはくれなかった。
自分の左胸に手を当てて、もしかしたら動いているのではないかと期待する。
ピクリとも脈打たない心臓を確認し、今度は机の上に置いてあったハサミに手を伸ばす。
私の髪を切ってくれた思い出の品にさえも触れることは出来なかった。
無理だとわかっていてもこの行動を毎日何度も繰り返してしまう。
「ふ…ッ、ぅ…」
溢れ出る涙が頬を伝って首筋へと落ちる。
寝ているなおを必死に起こさないように、声を押し殺して泣いた。
「神様…」
私を、生き返らせて下さい。
一晩中、何度も何度もこの願いだけを丸い月に向かって祈り続けた…