嬉しい!まだ私のことが見えてるんだ!
彼が立ち上がって左足を庇いながら歩き始める。
その後ろをもう一人の人が追って、私も二人の後を追った。
「俺、先学校行っとくで?一人で行けるか?」
「おう、余裕!すぐ追いつく!」
二人がバラバラの方向に足を進め始めた。
どうしてこの人は怪我をしている彼を置いて行くのだろうと首を傾げたくなる。
見ている様子では仲が良いはずなのに、彼が危ない目にあったりしてもいいのかと疑問に思う。
急いで彼の後を追って、一人にならない方がいいと伝えたかった。
「ね、ぇ…」
昨日寝ていた小屋へと戻り、何かを漁っている彼の後ろ姿に声をかける。
どうすれば私の言いたいことは伝わるんだろう。
もどかしい気持ちだけが残って、私はまた同じ言葉を繰り返すしかなかった。
「なんだよ、今急いでんだけど」
「だ…れ」
もっと言葉がほしい。もっと気持ちを伝えられる手段がほしい。
何度そう強く願っても、私の気持ちは彼には届かなかった。
また私の存在が見えていないかのように隣を素通りされる。
小屋の扉を閉められて、シーンと静まり返った室内で立ち尽くしていた。
私の存在は必要とされていない。それは今も昔も同じこと。
私のことを彼が見えたとしても、声が聞けたとしても、触れることが出来たとしても、だから何だというんだ。
彼の怪我が治るまで、死なないように見守る…?
そんな必要がないことだって、本当はさっきから薄々わかっていた。
この世界は私が生きていた世界とは違う。
彼が死ぬ可能性なんてほとんどないだろう。
じゃあ何故私はここにいる?
「ふ…ぅ…」
嬉しかったんだ。
私がいることに気づいてくれて、嬉しかったんだ。
私の声を聞いてくれて、私の肩に触れてくれて…もしかしたら私を必要としてくれるんじゃないかと思った。
こんな言葉がわからない私でも、役に立てる時がくるんじゃないかと思った。
私に気づいてくれた彼のために、少しでも役に立ちたかった。
「ッ…う、えぇ…う゛ぅ」
もう、帰ろう。
彼の前から消えようと心に決めて、溢れ出る涙を勢いよく拭った。
それでも涙は止まらずに、顔に張り付いた髪の毛へと伝う。
また、一人になるんだ。
もう二度と、誰からも見てもらえないかもしれない。
最後にもう一度だけ、彼を見ておきたいという感情が脳裡をよぎった。
彼がどこへ行ったのかはわからない。だから必死に辺りをうろうろと探してみた。
この寝床のある建物中を回っても彼の姿はなくて、建物の外へ足を進める。
楽しそうな笑い声が聞こえてきて、そちらの方に目を向ければ、大きな広場で遊ぶ彼と同じ年くらいの子たちがいた。
たくさん人がいる中から、彼がそこにいるのを一目で発見する。
痛そうに足を引きずりながら遊ぶ彼に、女の子が声をかけていた。
遠くから、その女の子の姿を自分と重ね合わせて見つめる。
楽しそうに会話をしている彼女が、すごく羨ましかった。
私も生きていたらああやって楽しそうに彼と会話が出来たんだろうか…
「超マヌケじゃん、平田!」
楽しげに笑って話す彼女を見ていられなくなって、ふと視線を逸らした。
その時、遠くから小さなボールが飛んでくるのを目撃する。
危ない、避けて!そう危険な状況を彼女へ伝えたかったのに、どう言えばいいのかわからなかった。
ましてや私の声が聞こえるわけがない。
見つめていた遠い場所から、とにかく近くまで駆け寄るために全力で走った。
「避けろ、山下!」
「え…?」
彼が、女の子を庇って覆いかぶさったのが見える。
お願い、間に合って…!
「…ッ」
私の願いは、この時ようやく神様に届いた。
「う゛う…」
ボールは彼に当たることがなく、私の額から落ちてコロコロと転がっていく。
痛い、でも彼を守れた。私でも、彼の役に立つことが出来たんだ。
「え…?」
私の後ろで彼の驚いたような声が聞こえた。
その声で、彼は完全に無傷なんだとわかる。
「平田、怪我は?!」
「や…ないけど」
もう一人別の男の子が走ってきて三人で会話をし始める。
私はその場に蹲ってしまって身動きが取れなかった。
彼以外の二人にはやっぱり私の姿は見えていない。
三人が話をしている声を聞きながら、痛みを必死で耐えた。
私がここで悲鳴を上げて痛がってしまえば、彼は気になって会話に集中できないだろうから。
これでいい。彼が私を存在しないように振る舞えば全て上手くいく。
さっき私の隣を通り過ぎたように、今も隣を通り過ぎて、彼らと広場へ戻ってくれればそれでいいと思った。
もう十分嬉しかった。
守ることも役に立つこともできた。
元気に笑って彼らと一緒に遊んで来て。怪我だけはもうしないでねって、そう思った時だった。
「悪い、寺西。ちょっと寮に戻りたいんだけど、キビ先が僕のことに気づいたら適当に誤魔化して」
彼が突然、二人と会話をしながら私の方へと駆け寄ってきた。
腕を引っ張られて、何が起こっているのかわからない内に彼の背中へ乗せられる。
「あ?いいけど、お前何してんだよ」
「ええっと…やっぱ腰打ったみたいでさ、寮で休んでくる」
会話をしている彼の声が、焦っているような声色だった。
彼が話せば話すほど、背中から彼の呼吸音や、近い故に聞こえる独特な声が耳へと響いてくる。
こんな温もりを肌で感じたのは初めてだった。
熱い感情が喉へと込み上げて来て、少し目の前が涙で霞む。
死んでいる私が、こんなに温かい彼に触れていていいのかな…
冷たい私なんかが、生きている人に助けてもらっていいのかな…
そんな負い目と嬉しさが入り混じって、色んな感情が溢れ出てくる。
彼が私を背負ったまま、二人から離れて寝床のある建物へと進み始めた。
「おい、無事か?」