夜になって、ベッドで眠りにつくなおの寝顔を見つめる。
私に食べさせてくれたカップ麺やお菓子のゴミが、袋の中に山積みになっていた。
「なおは…優しいね」
「……。」
小さな声で話しかけても、もう返事はなかった。
完全に熟睡してしまえば、なおは目覚ましがなるまで絶対に起きない。
だから寝ている間にこうやって顔を触っても大丈夫。
頬をツンツンしても全然起きないから、フフッと笑ってしまった。
「私が初めてなおの部屋に来た時もそうだった…」
もう出会って三ヶ月以上経つのに、なおと出会った時のことは鮮明に覚えている。
なおが崖から落ちてきたのは、もしかしたら神様から私への贈り物だったのかもしれない。
「なお…私ね。ずっとずっと寂しかったよ」
死んでからも、ずっと一人だった。
あれだけ苦しい思いをしたのに、死んでからも誰とも話せなかった。私の存在すら見てもらえなかった。
春になっても、夏になっても、秋になっても、冬になっても、周りにある自然は変わりゆくのに、私だけが何も変わらなかった。
死んでからあなたに出会うまで、何十年何百年経ったかもわからない。
孤独という言葉は、私のために作られたようなものだった。
「わたし…は、だ…れ?」
ひたすら、そうやって呟いては涙を流す日々。
私はもう死んでいるのに、まだずっと苦しんだままだった。
でもあの夏の日、あなたは私の前に落ちてきた。
「いってェ!!」
すごく、驚いたよ。ここに人が来たことなんて一度もなかったんだから。
人を見かけたとしても、崖の上から覗いては楽しそうに去って行く人たちだけ。
私の存在なんて全く気付きもしなかった。
だから、きっと今回もそうなんだろうと思ってじっと様子を見るだけにしようと思った。
「悪い、優介!大人の人呼んできて!」
「俺が引っ張ったるって」
何かを話しているのはわかっても、全く意味が理解出来ない。
この人達は何をしているのだろうと首を傾げていると、崖の上にいた人が、落ちてきた人を置いてどこかへ行ってしまった。
まさか…この人は見捨てられたんじゃ…
私の中で不安が過り、少し彼に近づいて様子を覗ってみると、痛々しく腫れている左足が見えた。
一瞬…生前の記憶が私の頭の中を駆け巡って、ドクンッと動かない心臓が脈打つ。
「……ッ」
私と…同じ。この人も、死んじゃうんだ…
そう思った時にはもう、必死で助けようと言葉を発していた。
「だ…」
「え…?」
「…だ」
「誰かいるのか?」
ここにいちゃだめだよ。早く崖を登らなきゃ。
そう伝えたかったのに、伝える手段がなかった。言葉を覚えていなかったから。
それでも必死に、覚えている言葉を発して伝えようと思った。
何とか崖の上まで運んであげられないだろうか…
崖上に目を向けて一度確認をしてから、意を決して彼の肩に手を差し伸べてみる。
「え、あ…」
絶対に無理だと思っていたのに、生きている人に触れることが出来た。
すごく嬉しくて、もしかしたら声も彼には聞こえているのかもしれないという希望が出てくる。
「…なんか、ごめんなさい」
「……。」
私が声を発する前に、彼から言われた言葉。
『ごめんなさい』という言葉が生前の記憶を思い出させて、私を悲しい気持ちにさせる。
少し黙って俯いていると、彼が崖上に向かって大声を出し始めた。
その声で、今は自分のことよりも彼のことを優先するべきだと言い聞かせて、なんとか言葉を発する。
「だ…れ?」
「……!」
私には、この言葉しかわからなかった。
「ね…ぇ」
「……。」
「だ…れ…」
「……。」
ここにいちゃいけない。私みたいに、名前も言葉もわからなくなっちゃうんだよ。だから立って。崖を登って。
そう伝えたかった気持ちは、中々彼には伝わらなかった。
「あー、もう!わかんねェよ!」
誰?と聞いた私の言葉に、たぶん『わからない』と返ってきた。
思わず驚いて大きく目を見開く。もう自分のことがわからなくなってしまっているんだと、そう思った。
「わか…ら」
もう、私と同じ道を歩み始めてる…
「わた…しも、わか…ら」
この人を、私みたいに死なせたくない。
そう強く思った直後、さっき崖の上から覗いていた人が再び戻ってきた。
別の人も来て、彼を崖の下から引っ張り上げてくれる。
心配になって私も崖の上へと登ろうとしたその最中、彼は私がさっきまでいた場所を見てきょろきょろとしていた。
大丈夫、あなたを死なせはしないよ。
自分の名前がわからなくなっても、足を怪我して歩けなくなっても…きっと私が何とかする。
そう強く心に決めて、足を引きずりながら歩く彼の後を追った。
見たこともないような風景に驚いた。
赤い大きな蛇が音を鳴らしながら現れ、その中へ彼ともう一人の子が入って行く。
少し怖かったけれど、私もついてその中に入る。
大きな蛇の中は空洞になっていて、色んな人が椅子のようなものに座っていた。
しばらくすると、二人が立ち上がりまた蛇の中から外へと出る。
見るもの全てが新鮮で、何かわからなくて、何度もきょろきょろと辺りを見回した。
「じゃあな、平田。おやすみー」
「おお…」
彼を助けてくれていた人が突然彼の腕を離してどこかへ行こうとする。
もう彼を助けてくれないの?と言いたくなり、追いかけて手を伸ばしてみても、この人には触れることが出来なかった。