心の中で強く叫んだのと同時に、部屋の扉が勢いよく開かれた。
「うるさいぞ、平田!」
バンッと扉を開けて入ってきたのは隣の部屋の田嶋先輩だった。
悲鳴がうるさくて部屋へ怒鳴り込んで来た先輩に全力でしがみつく。
無理無理無理ッ、もう誰でも良いから一緒に寝てほしい!その一心で両手を合わせてひたすら先輩に頼み込んだ。
「田嶋先輩、今日僕と寝て下さい!」
「なに寝ぼけてんだよ、気持ち悪い」
「お願いしますマジで!」
「だから何なんだよ、さっきから…」
やたら気が動転している僕を、先輩は鬱陶しそうな顔をしながら引きはがそうとする。
説明しようにも、こんな状況を伝えてわかってもらえるわけがないと思った。
「明日の夕飯奢りますから!」
「あのなぁ、寝るっつったって場所がねェだろ。男二人が寝るスペースなんて」
「一緒にベッドで!」
「狭いわキモいわで寝れるわけないだろ」
じゃあな、黙って寝ろよ。そう最後に大人しく寝るよう釘を刺し、先輩は部屋を出て行ってしまった。
もう悲鳴を上げられない上に、一人で寝るしかなくなる。
「大丈夫…幽霊とて女。勝てる勝てる…」
自分の平常心を取り戻すために意味不明なことを呟きながら、必死で大人しく寝ることを試みた。
幸いさっき聞こえた声の主は消えていて、今なら寝れるかもしれないと思い勢い良くベッドへと潜り込む。
電気をつけたまま、布団を顔の上まで被せてぐっと強く目を閉じた。
でも…
「…ぇ」
やっぱり何か聞こえる!!もう男だって泣くぞ?!と声を大にして叫びたくなった。
勇気を振り絞り、ゆっくり目を開けて布団から少しずつ顔を出してみる。
「ね、ぇ…」
人って、恐怖や驚きを感じすぎた時は声が出なくなるんだなってこの時わかった。
あの幽霊の顔が、至近距離で上から覗いていたから…本気で、殺されると思った。
けれど…
「……ッ」
そう思ったのも、ほんの一瞬だけだった。目の前の幽霊から水滴が降ってきてぎょっとする。
その水滴が目から落ちてきたものだと気付いた時には、恐怖よりも何故泣いているのかの方が気になってしまった。
幽霊だからとか、人間だからとか、そんなの関係ない。泣かないでほしい。
そう強く願った時、一瞬で過去の映像がフラッシュバックした。
過去の断片を脳から振り払いたくて、目の前の現状を把握しようと試みる。
幽霊はぐちゃぐちゃの髪の毛が顔面を覆っているのに、隙間から覗く泣いている目だけは、少しだけ、綺麗だと思えた。
「なんで…泣いてるんですか」
「……。」
幽霊なのに、零れた涙は僕の頬へと落ちてきて、また僕の頬からベッドへと落ちていく。
本当にこの子は幽霊なのか?と疑いたくなった。
これだけ感触があって目や耳にも影響が出ているのだから、もしかしたら最初に感じた直感が間違っていたのかもしれない。
自然と怖いという感情は消えて真っ直ぐと目の前の子を見ることが出来た。
「言葉…わかる?」
「わ…から」
「少しだけ、わかってる…感じ…?」
「わか…?」
とりあえずこの体制を何とかしたくて、少し勇気を出しながらこの子の肩に触れてみる。
やっぱりちゃんと感触はあって、とても細くて華奢だとわかった。そのまま軽く肩を押しながら、自分の上体を起こす。
「君は…生きてるのか?」
「…いき?」
「やっぱり…幽霊?」
「ゆ…れ、い」
これだけ会話をしても、オウム返しにしか言葉を発してこない。
だからこの子はあまり言葉を知らないんだってことはよく理解出来た。
それともう一つわかったことは、呪い殺そうとしているわけではなさそうだということ。
そんな風に感じられたのは、自分が落ち着いてこの子を見れているからなのかもしれない。
「とりあえず…」
寝よ…
色々あり過ぎた今日は、ほんのちょっとの安心だけですぐ眠りにつくことが出来た。
意外と自分は神経が図太いのかもしれないと、夢の中へ落ちる前に思ったのを覚えてる。
「…はよ」
「おー、足どんな感じ?」
「痛い…」
「やろうな」
次の朝、食堂でトレイを持ちながら飯を受け取る最中、優介と合流した。
そのまま二人でテーブルへと移動して朝食を取り始める。
「前から思ってたけど平田、低血圧過ぎやろ」
「…うん」
「それ白米ちゃうで。何食べてるかわかってんのか?」
「…白米」
「台拭きやで」
「…うん」
「美味いの?別に面白いからええけど」
笑いながら声をかけてくる優介の話は、所々しか耳に入ってこなかった。
朝は苦手で、頭が覚醒し始めるのはいつも起床から二時間後くらい。
けど、今日だけは違った。
「…ッ!!」
優介の隣にふと目を向けてみれば、昨日の幽霊が僕の方をじっと凝視しながら佇んでいる。
今の今まで寝惚けていて、昨日の出来事をすっかり忘れてしまっていた。
突然、半分夢の中から現実に戻されて、思わず体が反応してしまう。
「あー、何やってんねん、平田ー」
「ご、ごめん…」
驚いた拍子に倒してしまった味噌汁を、優介が僕の口から台拭きを取って拭いてくれていた。
っていうか僕、台拭き食べてたのか?