目次
ブックマーク
応援する
いいね!
コメント
シェア
通報
第28話

馬車に揺られて屋敷に帰りつくまでの時間。

それはさして長い時間では無かったのであるがそれであの魔窟である、

王城から脱出した私と婚約者様は当然であるがほっとしていた。

失言を取られる可能性がなくなり喋りに気を使わなくともよくなるだけで、

気持ちとしては楽になる。

「ふぅ」「はぁ」「ひきゅ」

などと漏れ出る言葉は体が休息を欲して楽になりたくて、

自然と私の口から漏れ出る声なのだ。

苦しすぎるドレスはそれだけで体力を消耗すると同時に、

身動きがほとんど取れないから、例えるなら寝返りが討てない苦しさも、

同時に与えて来るのだ。

婚約者様もその事を理解できているのか馬車の中で私が変な声を上げる度に、

抱き抱え方を変えてくれる。

乗り込んだ時は膝の上にガニ股開きだった体制が、

横になりお姫様だっこの様な姿となり、そして最後は向かい合って、

婚約者様の膝の上に乗せられるのだ。

そして頭を肩の上に置くのが体勢的には一番楽な姿となる。

後は子供をあやす様に背中をトントンと叩かれると何故か心地よい振動で、

私はリラックスして意識が飛んでしまうのである。

とは言っても馬車が止ればその衝撃で起きるしまだやる事が終わっていない。

当然であるが予定時間は超過して屋敷に帰り着いたのは、

日をまたいでしまう程度に帰宅は遅れていた。

それでも直ぐにしなければいけない事がある。

「王子を前線の町に住まわせる」

それが叶ったからその事を報告しなくてはいけない。

屋敷に帰り着いたからと言ってもどうしても一通の手紙を婚約者様は、

書かないといけないし同時にその原因となった私の失態。

「腕をさらした事」を報告せずにはいかないのだ。

お父様が未だ当家の爵位を持っている以上、

国は「娘を守る事も出来なかった無能」として処断する名目を与えた事になる。

ただ…次代は婚約者様を起点に北は動くのだ。

それを考えればお父様が失脚する事は必要経費で割り切れる事でもあった。

そして公爵家としての家を失えば後は市井に下るだけ。

婚約者様の支援をする為の補佐と言う立場に納まってしまえば、

後は時間をかけて各家の血が馴染み一つになるのを見るだけで良いのだ。

なんら無理をしなければいけない事はなく、領地の存続は叶うのだ。

お家の小実を嘆く家臣もいるがそれでも安定した防衛と、

続く領地運営を考えたら消え去る家と割り切れる。

私が欲した未来が保証される可能性が一番高い形にはなっている。

はずだと願いたい。

屋敷のエントランスに戻って来れれば馬車の扉は開かれ…


「…おかえりなさいませ」


家令の声を聞く事が出来た。

婚約者様に抱きかかえられている私の状態を見て心なしか、

家令の気分が高揚しているかのように聞こえて来た。

流石にこのままでいる訳にはいかないから状態を起こそうとしたのだが、

婚約者様から離れようとしたらそのまま背中をさえつけられ、

ふわりと体が浮き上がるのだ。

…私は抱きかかえる様にしながら馬車から降ろされるのだが、

正直誰にも見られていない事を良い事に良いよう運ばれる方を選んだのだ。

どうせ行き先は決まっているのだから。

やっとドレスを脱ぐことが出来るとは考えていない。

優先順位としては着替えて楽な姿ではないのだ。

直ぐにでもお父様にお詫びの手紙を書いて早馬にて届けてもらわないといけない。

王子の出発は待ってはくれないのだ。

そして手紙を出してしまえば国王陛下が気分を変える事は許されない。

それだけの連絡網は準備している。

こう言った時の為に早馬を走らせられる様にしてあるのだから。

王都でもたつきながら明日の日の出とともに送り出される王子を乗せた馬車。

それは当然であるが既に「確保済み」であり護衛含めて国境の町までは、

命の保証はしてあげる事になっている。

ともかく長文となっても詳しく伝える必要があり、

婚約者様と意見のすり合わせも行わなくてはならない。

けれど…


「あ、あの…?

私の部屋…」

「時間が無いからな」

「…はい」


勿論手紙を書く程度の事は私の部屋で出来るのだが、

抱き上げられて移動している以上私が部屋に戻れる訳が無かったのだ。

連れていかれる先は勿論婚約者様の執務室。

その部屋に入れば、既に準備は万端で私の侍女とメイドが待っている。

婚約者様の執務室にある私の為に用意しているお椅子と机。

その近くに下ろされれば、当然ドレスカバーだけ脱がされる。

そして椅子に誘導されて腰掛ければ、そこには当然手紙を書くための物が、

一式用意されてているのである。

けれどそのペンを持つ手は重い。

王子を引きずり出す為に代価として払った私の令嬢としての「価値」を、

失わせる腕をさらした事。

それに一番怒っているのはどう考えても婚約者様で…

それの事は絶対に書かなくてはいけないのだが、私が考えている、

「令嬢」としての価値と周囲が思っていた令嬢としての「価値」は、

どうにも違う様なのだ。


お父様やってやりましたよ!

誤魔化せない様に腕を見せてやって、

有無を言わせず王子を前線に送る事が出来ました!


なんて書こうものならどういった反応になるのか怖くてたまらない。

たかだかボロボロの素肌を曝した程度とは考えてくれないでしょうし、

お母様に至ってはその場で倒れ込みそうな事の様なのだ…

少なくとも侍女とメイド達の表情は暗く悲しんでいる様に見える。


「よく…我慢なさいました…」

「私達はお嬢様を誇りに思います…」


うんうん誇ってくれるのは嬉しいのだが、

悲しまれる理由が今一解らないのは前世の記憶が混じり合って、

価値観がズレているからであることは解っている。

解っているつもりだったのだが…

周囲の悲しみぶりが予想以上で困惑するしかない。

令嬢としての価値の暴落は当然であるが「公爵夫人」となった時にも、

足枷となる事は理解しているつもりだしそれを社交の場で不利と考えたら、

直ぐにでも婚約を解消しても良いと何度だって婚約者様には伝えているのだ。

婚約者様が守らなくてはいけないのは北の大公爵家であって、

その付属品に過ぎない私に拘る必要はないのだから。

私の代用品となれる令嬢はいるのだ。

何度だってその事を主張するつもりなのである。


と、言う訳で…


----------------------------------


お父様お喜びくださいませ。

王家がこの度、国境が安全だとして王子殿下が、

腰を据えて生活して戴けることになりました。

きっと王子殿下は素晴らしい発展を国境に与えて下さるでしょう。

支援の必要は一切ありません。

だって王家の一員である王子は国境を安全であると言い切ったのです。

自身の安全は自身で作り上げるでしょう。

ちょうと領地を維持するために半端に突き出た三方を囲まれた、

失っても良い場所がありましたね?

きっと周囲を赤く染め上げながら優雅に暮らして戴けると思います。

「国土を失う事は許さない」と、

王家が無理を敷いていた場所があったはずです。

その地に留まって骨を埋めるつもりで、

頑張って戴けたら宜しいのではないでしょうか。

現実を見せる為に私の腕をお見せしてあげたので、

後はどれだけ王家が支援するつもりなのかは解りませんが、

きっと素晴らしい量となるはずです。

でなければ王子殿下が儚くなるだけですし、

あの守り辛い土地は王家が守れと言ったのです。

守らせてあげてくださいませ。


----------------------------------


こんな物だろうか?

「はぁ」とため息をつきつつ出来上がった手紙を婚約者様はチラリと覗き込み、

目を見開いて私と同じようにため息をついた。

そしてその様子を見た家令もまた同じようにため息をつくのだ。


「これは…まだまだ先が長そうですな…」

「お前もそう思うが?」

「はい」


何やら二人で認識の統一と確認が行われてしまった様に見えたのだが、

可笑しな部分があったのだろうかと見直してみるも、

特に問題になりそうな所はないと思うのだ。

王子が前線に行く事になる喜びのお手紙であり、

私達と同じ苦しみを少しでも味わえと書いただけのつもりなのだが。


「…この手紙、本当に送ってしまって良いのだな?」

「え?何か問題がありましたでしょうか?」

「いや…お前が気にしないのであればいいのだが…

義父上は怒るだろうなぁ」


ハハハと小さく笑い声を上げて、けれどそれ以上の事を言わない、

婚約者様の不可思議な態度。

でも正直手紙の文書の意味を深く考える事はしなかった。

というか出来なかった。

いい加減しなくてはいけない事を終わらせてお着替えをしたいのだ。

夜も遅くなってきて丸2日以上着たままの矯正具とドレスから、

解放されたいと言う気持ちの方が大きかったのだ。


後で手紙を冷静になって読み返してみれば、

やっぱい事を書いていた事に気付けたのだが…

素肌をさらしていた事で王子を追い詰めてやりました!褒めて下さい。

嬉しくて書いてしまったそれは明らかに不味い事だったと思う。

少なくとも私の体が傷だらけであることをお父様は当然良く思っていない。

お母様も褒めては下さるが、それ以上何も言わないのが現状だった。

だからこそと言うべきなのか。

一文だって素肌を見せたと書くべきではなかったのだが…

王子を引きずり出した強大な「説得力」の補強と言う意味では相当に、

強いキーワードなのである。

婚約者様にしろ、周りのメイドや侍女にしろ…

私の体はとても見せられる物じゃない「可哀そうな姿」なのだが、

その体を使っている当の本人の認識が緩いせいで齟齬はいたるところで、

発生してしまっていたのだった。

とはいえ…

私がお手紙を書き終わったからと言って、

執務室からの退出は当然許されない。

婚約者様のやるべき事が終わるまで待つのは仕方がない。

とはいえそこまで待ち時間が長い訳でもないので、

先に出て着替える事は当然できないし、何より封を閉じて家令が手配した、

北の公爵家直通に用意している専用の早馬の出発は見届けなくてはいけない。

専用の筒はその早馬に乗る人が管理しているのだ。

家令に案内されてくる馬の操作に慣れた特別な忠臣に託すのだ。

彼が用意していた金属の筒に彼の目の前で手紙を入れ封をする。

あとは彼がお父様に届けてくれれば少しだけ。

そう。

ほんの少しだけだけれど世界が私が望んだように変わってくれると信じて。

早馬を送り出すのだ。

既に立っている気力もなく、私は座ったまま対応するしかなく…

何よりこの時間になってくると息苦しさより睡魔の方が強くなる。

あくびをしたくとも締め上げられた体ではそれも難しく、

ただウトウトとし始めた体に抗う術はほとんど残っていないのだ。

ただドレスは脱ぐにしても時間がかかる事であり意識が無い状態で、

脱ぐのは逃せる方も大変な事は解っていた。

いや、それ以前にもう動きたいくなかったのだ。


「お嬢様?お着替えは…明日になさいますが?」


コクリと頷いて…

それで立ち上がったのだけれど結局、疲れと眠さに耐える事が出来ず、

そのままトザリとその場で倒れ込んでしまったのだった。


「もう、ここで良いわ…

着替えは明日にしましょう」

「…かしこまりました」


そう言われると髪飾りやヒールだけ脱がせてもらえて、

たぶん婚約者様の仮眠用のベッドで横になる事にしたのだが…

当然ボリューム満点のスカートは眠る様には出来ていない。


「あ…」


婚約者様もそれを解っているからか私を抱きかかえると、

そのベッドから落ちない様にまた私を抱きかかえて一緒に横になったのだ。

上にかける毛布代わりに広げたドレスカバーで、

婚約者様と一緒に包まる様にして眠る事になったのだ。

その事でまた外堀が埋まる事になるのだが当然疲れ果てた私は、

その事にも気付かないのである。


長い一日は終り乙女ゲームのヒロインは消え去った。

乙女ゲームのヒロインと王子がいなくなった学園は、

それでも別の誰かを代用しながらシナリオ通りに進むのか。

はたまた「神」がいて強制力が働き世界は強制的に元の形に戻されるのか。

ただそれを差し引いても「今日」確実に国は動いたのだ。

動かざるを得なくなった。

今の私にはその事実があるだけで十分だったのである。

少なくとも3年後、シナリオ通り進むのならヒロインと言う、

宮廷抗争が始まる原因は取り除けたし、

国境を支えるのが公爵家だけではなくなる。

大侵攻の可能性が無くなった訳ではないけれど、

北の2公爵家が宮廷抗争を原因にして「蹂躙」される事だけは防げたはずだ。

宮廷抗争を原因に隙を突かれる形で始まる大侵攻まであと約6年間。

どれだけの事が出来るのか解らないけれど…

だた蹂躙され一方的に殺される立場になる事だけは避けて見せる。

私はその為にここにいる事を許されているのだから。

コメント(0)
この作品に、最初のコメントを書いてみませんか?