「…国王陛下。
我が婚約者の腕がここまでになった経緯も当然知っておりますね?」
「う、うむ…」
「この場にいた全員が我が婚約者の腕を見たのです。
見てしまった事実は消せませんし…
この傷だらけの腕を見て、まだ国境は平和で武力衝突はないなどと、
しらを切りとおすのであれば、こちらにも考えがあるのです」
そのまま私を背中に隠すと、その先の交渉権は全て婚約者様の物。
私はやってしまったと思いながら婚約者様の結んでくれた腕のスカーフを、
擦りながらそのまま婚約者様の背中におでこを付けて震えていた。
だが、そんな私を叱るでもなく婚約者様はは話し続ける。
「…違いますね。
ここには南の公爵家もいた事ですし。
見てしまった以上王家と公爵家は王国としてご決断戴きたい。
選択肢は二つです。
王子の妄言を「真実」として信じるのなら私達は戦う意味を失います。
敵などいないのですからね。
なので全力でこの王都まで領民を連れて撤退させて戴く。
もう我々は自身の為にしか血を流さない」
当然なのだ。
だって敵はいないのでしょう?
だったらより豊かな生活をする為に今の土地を放棄して、
王都付近に根拠地を構えて自活するだけで良いじゃないかと言う事なのだ。
広い土地にまばらにいる領民を集めて王都付近に大きな町を構えるだけで良い。
その街を守るだけだったら精鋭を揃えるだけで事足りるのだ。
小規模な街を守るだけなら今の戦力で賄える。
王家や他の貴族からの支援だって要らない。
北の2家だけでやっていけるのだ。
「もう一つは自身の嘘に従って王子にはその「嘘」を貫き通していただきたい。
今回の王子の言動は流石に無かった事には出来ませんから…
彼自身が宣言した戦争が嘘だと言うのであれば、
国境に王族が来て暮らしていてもおかしくないでしょう?
私達が最前戦としている町で行われている戦闘はきっと幻想でしょうから、
そこで王子には生活していただきたい。
期限は、そうですね「王子の言った言葉が現実と合致するまで」ですね。
少なくとも言った言葉に責任を持って戴かなくてはね…
それで今まで通りできる範囲で国境を守りましょう。
さて、何方を選択なさいますか?国王陛下」
それは王子の前戦配備と言う事。
今まで王族が「逃げて来た」隣国との戦争の最前線に「王家」が、
立つと言う事なのだ。
曖昧で事なかれな対応は当然できない。
更に言うのであれば支援しなければ、
前線配備される王子は文字通りに死ぬのだ。
何方を選択しても私達の基本方針と結果は変わらない。
どの道このまま国が参戦しないのであれば北の公爵家は押され負けるのだ。
だから撤退できるための場所を作ると言う。
その為に王都に砦を作ったのだから。
数年来で考えていた「広域撤退行動」の最終到達地点は王都なのだ。
ここまで撤退されたら王国として戦わざるを得ないと言う事になる。
目を背けたくとも敵が目の前にいるのだ。
その恐怖を王家も味わってみるがいい。
だからこそ婚約者様は出来る所までしか戦わないとさっき話したのだ。
王子の暴走によってこれから考えていた事が、
思った以上に早くなるだけではなくなるだろうが、それでも王家の参戦は、
国境付近のいざこざではないと認める事になる。
婚約者様の選択肢を選ばず別の回答をする事は当然許される。
けれどその言葉を言ってしまえば自動的に王都へと撤退すると言う、
選択肢になってしまう事に気付いている王は、
そこまで愚王になれなかったらしい。
違うかな。
王都に敵が迫る事は耐えられない。
国王陛下自身が危険な目にあう事は嫌だと言う事なんだろう。
自身が危ない目にあう位なら、
血を分けた息子でも前線に送れると言う意味なのかもしれない。
国王陛下の決断は沈黙を保つ時間はそんなに長くなかった。
その短い時間に「見切り」を付けられたのだろう。
「王子の言葉を誠として、国境の町に移住させる…。
今すぐにだ」
「そんな!嘘でしょう父上?」
「ではその馬車の従者は此方で用意しましょう」
「…解った」
「待ってくれ!こ、国王陛下!」
急転直下の出来事だった。
「旅行」や「一時滞在」ではない。
移住となれば意味合いが変わってくる。
けれど王から零れた言葉に一番驚いたのは王子だろう。
いきなり前線の町で過ごす事になってしまった王子は困惑するしかない。
だた、流石に解っているのだろう。
全てを嘘と言い「 北」の公爵家を敵に回して時点で北は本気で戦闘を辞めると。
王都への進撃を阻止する事を何もしてくれなくなると。
それは無防備な王都が明確な被害を被ると言う事であり、
「救済の日」が行われたらどれだけの人が連れ攫われるのか解らない。
王子の反論は全て切り捨てられ国王の考えがどうであったかは解らず。
ただ前線も町へと送られるのだ。
それが王子が北の公爵令嬢を口撃した代償だのだ。
曖昧で明確な回答を避け王家を戦場から遠ざける玉虫色だった戦略はその、
王族の会談上で言われた、遠ざけられるべき王子の言動によって破壊されたのだ。
言葉のやり取りで済まされない「本物」の物的証拠である。
公爵令嬢の腕を見てしまった時点で王家はごまかせない。
だからこそ、書類を中心とした「報告書」と「未熟な公爵令息」で場を濁し続けた。
両公爵家のお父様方が登城してしまえばごまかしは効かない。
戦争に対して話を聞かなくてはいけなくなるのだから。
ただその場に置いて「戦争の証拠」として私の体は王家にとって認識してはいた。
けれどそれを公式な場で「見せる事」は令嬢としてプライドが許さないと、
思われていた節もあった。
だからその証拠を晒せないし王家としても証拠として見せられるとは、
考えていなかっただろう。
公爵令嬢としての価値がゴミ屑に落ちる事になるのだから。
けれど私は見せてしまった。
そして体中に傷があるとも宣言した。
婚約者様は全て知っていると。
彼に聞けばいいと。
それは重い。
「公爵令嬢」として十数年育ててきた令嬢の価値がゼロになるのだから。
それは私が婚約破棄されたとしたらもう再婚約は無理と言う意味でもある。
それだけ私個人にはもう価値がない。
私の事はともかく、王子の移住についての話は止まらない。
「陛下?町での生活にならいくら温情はをかけても構いません。
我々は王子を手助け致しませんので。
…どういうことかお判りですね?」
「全て用意せよと言うのか?」
「その通りです。だって「戦争は嘘」なのでしょう?」
一気に積み上がる王家の前戦への配備と言う現実。
このチャンスを無駄にする婚約者様では無かったのだ。
公式な謁見の間で言ってしまった王子の妄言は、
ひたすらに北の2家を支援する王家へ口撃する、
材料となってしまっていたのだった。
もう王子は逃げられない。
そして言った事は王族であるが故取り消せないのだ。
私達が大人として扱われる様に、あの場にいた王子も当然大人として、
その言葉に責任を持ちその言葉の代価を払い続けることになるのだ。
次々と決められていく王子の待遇。
それは王家が王子の命を守る為の物を全て用意すると言う結論しか、
現れないし止まらない。
軽口から始まった地獄への扉は容赦なく開かれ、
そして王子を国境へと連れていく。
王子でなければ許されただろう。
だが彼は王子だから逃げられない。
本当に命を懸けて戦う戦場に送り出されるのだ。
でなければ「私が素肌をさらさせる原因を作った」王子を婚約者様は、
許せないし許すつもりもないと言いたげだったのだ。
「お肌には傷はありませんね」
「その位の手加減は出来るわ」
「ですが無茶はお止めください」
「戦ってできた私の傷が全て「嘘」だって宣言されたら私でも怒るわ」
「それはそうかもしれないですが」
新しく地肌の小手をきつく革紐で腕に取り付けてブレスレットを外すと、
切り裂いたロンググローブをもう一度新しい物に交換して、
手首のブレスレットを締めるのだ。
元通りに戻された腕はまた重くそして締めすぎて痺れる様に痛む我慢の時間が、
戻ってくるのだった。
腰のいったん引き抜いて壊れてしまった護身用の短刀も、
鍵も鞘に短剣を嵌め込めばカチャリと音を立てて鞘に収まり、
更にカチンと新しい鍵を使って鞘から取れない様に鍵をかけるのだ。
そうやってドレスの乱れを整えられた私に「お屋敷に帰る」なんて事は、
当然許されるはずもなく手直しが終わればその報告を聞きつけた婚約者様が、
私を迎えに来るのだ。
城の中で呼んだ護衛を引き連れていても一番安全な場所は婚約者様の、
後ろであり極力後について歩く事が求められる。
控室で手直しをされている間に状況は動き、
王子近衛兵が結成され辺境の国境で、
王子の代りに死ぬ覚悟を決めているみたいだった。
何でもいいけれどね。
結局帰るのはもう少し後になるとかで、
私と婚約者様はこれから出立する事が急遽決まってしまった王子様に対して、
良い意見を与える為のアドバイザーとして、
これから急遽開かれる事になってしまった会議に参加を要請されたらしい。
婚約者様はその会議が始まる前に「王子」と直接素敵な会話をして、
外からしか開けられない馬車に放り込まれて出発を待っていた。
家の家令が用意した御車に引き連れられて前線の町で生活する事が、
本当に決まってしまったのだ。
あの暴言は許されないという事もあったのだけれど、
それ以上に婚約者様には引っかかる事がある様で、
今回の登城はただでは帰らない事になってしまったのだとかなんとか。
その上に丁度いてしまった南の2公爵家の所為で、
事態は更に重たい方向に傾くのだ。
王家は踏んではいけない婚約者様の尾を踏み抜いて、
そして誤魔化せない爆弾を爆発させた事態は、
王家を含む4公爵家で緊急会議を開くと言う事態へと発展していたのだった。