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第31話

バルダー家の御令嬢が恥をかくなんて許せないしかかせない。

そう言わんばかりの厳しい確認作業は続いたのだった。

別にギネヴィアの食事のマナーにおかしな所は一切ない。

けれどそれを差し引いても、ちゃんとできるのかが不安なのだろう。

本人ではなくて周囲が。

であるが。

礼服嫌いなのは自分の好きな事が出来ないからであって、

男爵令嬢としてのマナーは問題が無いのだ。

けれど…

リチェルチェの教育は命のかかわらなければ何でもOKなのだ。

たぶんリチェルチェの行った教育に対する不安なのだろうと私は思う。

ギネヴィアは「普通」とはほど遠い教育を受けたのだ。

しっかり教えられていたのかと周囲が不安になっても仕方がない。

現に最後までドレスを着せなかったのだから。

淑女教育がおざなりになっていたとしても誰も驚かない。

いや、驚けないのだ。

周囲の傍付きのメイドからすれば敬愛する主の失敗を見たくないだろうし、

着飾らない姿でメキメキと仕事を熟しながら、淡々と書類を仕上げていく、

デキる男爵令嬢というイメージを壊したくもない。

出来ないなら今直ぐにでもマナーを教えるつもりでいたのは明白だった。


「ちゃんと出来ているでしょう?

そんなに心配しなくても大丈夫なのよ」

「はい。

その事に関しては安心しております。

けれど式典用ドレスは着なれていないご様子ですね。

任命式までのわずかな間ですが…

少しでもドレス姿に慣れて戴くために、

同格のお召し物を御用致します。

少しでも軽やかに動けるようになってくださいませ」


カタン…


音置立ててギネヴィアの手からナイフが零れ落ちた。

隣にいたメイドはすぐさま落としたナイフを回収して…

新しいナイフをその手に握らせる。

ギネヴィアの表情は一層曇っていくのが解るのだけれど、

そんなに嫌なのかしらね?ドレスでの生活は。


「このような事で同様してはなりませんよ」

「はぁぁぁぁい…」


ため息交じりの返事をしながらギネヴィアのマナーの最終チェックは続いた。

私はそれが可笑しくてたまらない。

何時も自信満々に私に説明してくれるギネヴィアが、

たかだかドレス一枚着せられただけでココまで追い詰められるとか。

弱り果ててアルフィンにコルセットを緩めて貰おうとするとか。

そんな大人げない行動を取るなんて信じられなかったのだ。


「ううぅ。

食べるものが美味しく感じない。

なんだか、しょっぱい気がするわ…」

「そうね。

しょっぱいかもね。

きっとこの苦しさを乗り越えた先には、

楽しい事(鬼の書類整理)がいっぱい有るわよ」

「…苦しいのが私だけなのは納得いかないのだけれど?」

「それは仕方がないのではなくて?

リチェルチェの教育のたまものなのだから」

「それを言われたら反論できないわ…」


どんな文句を言ってもリチェルチェの事をギネヴィアは嫌いになれない。

ギネヴィアにとっても数少ない「技術」を理解してくれる大切な理解者だ。

好きに生きて興味の向くままに行動する事を許容してくれる。

お堅くないバルダー家向けの教育係であり最低限のマナーは、

本人も知らない間に恥をかかない程度に仕込まれているのだから。

着衣に関すること以外は貴族として扱われても問題ない程度に、

男爵令嬢を演じる事が出来るのだから。

一番文句を言われる人間がその場にいない事。

それはリチェルチェからの最後の教育って事だろう。


遊びの時間は終わりましたよ。

もう我儘をいう事は許しませんし許されません。

全てを飲み込んで男爵令嬢として立場に相応しい立ち振る舞いをしなさい。


それは教え導く存在から、

使え支える存在になるという転換を意味する。

リチェルチェはギネヴィアの傍にいる。

けれどもう判断を委ねても「ご自身でお決め下さい」と返されるだけ。

教育は終わった。

巣立ちの時という事に他ならない。


私も王都へ行って学園に入学する為に領都を離れる時、

リリーから


「もう私からお嬢様にお教えできることはありません。

これからは、自らの意志で歩いて行くのですよ。

おめでとう御座います。

リリーからお嬢様は卒業です」


って、告げられたから。

私の場合はもうファルスティン領に帰って来れない事が前提だったから。

最後に抱き着いてギュってして貰った事を覚えている。

私にとってもう一人のお母さまと思っていたリリーに、

面としてそう言われた時には涙が自然と流れてきたもの。

それだけの決意と覚悟を持って学園に通い始めたのに、

結末は婚約破棄でファルスティンに出戻りなのだ本当に笑えない。


三人で食べる緊張感のある夕食は食後のお茶が出されるまで、

ほとんどしゃべらず終わるまで静かな時間が続いたのだった。

用意された自室に戻れば…

着なれないドレスから解放されて湯あみを済ませたギネヴィアが、

私の部屋にやってくる。

その手にはワイングラスと赤ワインのボトル。

何処でそんな物を手に入れてきたのだか。

そんな物用意する時間はなかったはず。


「私達もう子供じゃないのだからね?」

「確かに大人なら、堂々と飲めるわね」


この国ではお酒は成人した時から認められる。

それは、大人扱いされた人なら年齢は関係なく飲んで良い事になっていた。

だからこれは一種の意趣返し。

周囲が大人として扱うならもう酒を飲んでも構わないでしょう?



「おめでとうございますエルゼリア・ファルスティン伯爵令嬢」

「ありがとうギネヴィア・バルダー男爵令嬢。

そして私からも。

おめでとうギネヴィア・バルダー男爵令嬢」

「ありがとうエルゼリア・ファルスティン伯爵令嬢」

「私達も大人なのね」

「そうね。だから最後に夢を語り合いたいなって思って来たのよ」

「それは良い考えね」


これからは領内を発展させるために全力を傾ける事になる。

そこには希望も夢もあるけれど、

それ以上に現実と言う高いハードルがあるのだ。

自分の考えを実現するためにこれから私達は妥協と調整をし続ける。

もう夢と希望だけを見ていられる時間は終わりを告げるのだ。

その夜は私達に残された夢を見られる最後の夜だった。

長い長い語らいの始まりで…

私とギネヴィアが考えていた理想が思い出されれる。


これが出来たらいいな。


これがあったらいいな。


実現できる訳のない高すぎる理想だけを語る事が許される最後の夜は、

楽しくそして美しい理想だった。



夢を見る時間は終わった。

現実が始まる。



領都で行われる任命式。

それはギネヴィアの為だけに開催されるはずだった、

ファルスティン領内で働く爵位持ちの人間に役職与える大切な日。

王国の法と規律に則り行われる。

正式な行事なのである。

全ての爵位を持つ貴族は領主か国王からその役割を与えられる。

そして、長い役割を全うするまで続く人生が幕を開けるのだ。

次の日は朝から、領都に戻るお仕度が始められる。

もちろん、私達が着せられたのは正装のドレスで、

時間をかけて丁寧に着つけられた。

苦しくても動きづらくても着続けなければいけない、

ゆがんだ王国の象徴のようなドレス。

ここに来てもうギネヴィアも私も変な声は上げない。

完璧に仕上げられた私とギネヴィアは、

予定されている任命式に間に合う様に領都へと帰るのだ。

数日間お世話になった行政施設を後にして、私とギネヴィアは駅へと案内される。

専用の通路は磨き上げられ私達の着ているドレスを汚さぬようにカーペットまで、

床に敷き詰められていた。

すれ違う人、一人一人が今日の私達出立の為に用意された正装をして、

見送りに来る。

専用のホームで私達を待ち受ける用意された車両も行きに使用した、

貴族様に作られた車両とはまた別の車両だった。

正装した私達の姿でもゆとりある状態で乗り込む事が出来る大きい入口と、

車両の室内を最大限広げた空間に、外から私達が座っている姿を確認できる、

大きな窓の配置された乗っている人が誰なのか解る様に作られた、

いわば、「お披露目」の機能も兼ね備えている様な車両だった。

広い解放感を与えれくれる室内だったけれど、その実車両の端には、

防御用の結界石をふんだんに使った一握りの人間しか使わない要人用の、

設備をフル積載した特装車両であることはあきらか。

その室内に設置してある二人掛けの椅子に私とギネヴィアは対面に座る。

もちろんアルフィンはギネヴィアの隣だ。

けれど、抱き上げて膝の上に乗せる事は許されない。

用意された場所は、「プライベート空間」ではなくて「公共の場」なのだ。

すべての機器のチェックと、発進の準備を整えた鉄馬の責任者。

車長ともいえる男が、私に深く一礼する。


「発進いたします。宜しいでしょうか?」

「ええ。出して頂戴。

以後、鉄馬の運航を全てあなたに委ねます。

万事問題なく私達を領都へ送り届けて下さい」

「はい。その願い確かに聞き届けました。

一泊二日程度の日程です。

ごゆるりとご乗車くださいませ」


この場で一番地位の高い人間の号令を必要とする、

命令を実行せよという言葉は私が「貴族」として認められている証拠。

そしてこれから私に生涯にわたって付き纏い続ける「責任」がる事の証明。

私は求められる立場を演じる。

迷う事は許されない。

私達3人は、忙しなく動き続ける係りの人達の動きを見つつ、

ゆっくり鉄馬が動き出すのを待った。

特別列車だから優遇はされる。

けれど待ち時間ゼロで即日発進なんて事は無理だ。

大きなドレスを翻しながら野外を移動するのは初めての経験で、

貴族令嬢らしくドレスを乱さない様に慎重にかつ大胆に歩いてきたのだ。

予定の発車時刻なんて既に過ぎている事は解っている。

私達がモタモタしていたら列車の発車時刻は遅れ、

他の鉄馬の運航にも支障が出ているのだろう。

それでも発車してもらわなければいけない。

運行管理者の腕の見せ所と言った所だろうか?

傍付きの世話係達は私達を飽きさせないために動き始める。

臨機応変に状況を組み変えて良く動く。

アマチュアではない「プロ」の動きを見せる傍付き達がいた。

自然と用意される紅茶をのみながら一息つけば…

ガタンと大きな音を立てて、鉄馬は動き出したのだ。

流れ出す車窓と発進直後なのにカップの中の紅茶はその振動を覚えず、

波打つことなくカップ内でとどまりつつけた。

それを見たギネヴィアはアルフィンとにこりと笑う。

きっと彼等が関与した何かが「実を結んだ」瞬間を実感したのうだろうね。

私達は領都へ戻る。

鉄馬の鳴らす鉄輪の音を聞きながら。



私の役割と、お兄様とお父様の決断を聞く時が来たのだった。

何方になるのだろうか?

まだ一領地として王国に尽くすのか?

それとも独立してやっていくのか?

それとも…



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