もうギネヴィアにドレスを着ないという言い訳も、
立場も残されてはいなかった。
王都での楽な学園指定の制服に慣れた体には辛そうだけれど、
楽をしてきたツケを払う様な物だから。
正式な貴族とみなされない「学生」という建前は、
堅苦しい衣装から逃げられる素晴らしい言い訳ではあったのだ。
王都の学園内なら非合法のルールが満載で、
正式な式典を除いて正装のドレスを着る事は強要されないし。
普通の学生服はドレスを着るより楽だからね。
学園内で私と遊ぶ時なんかも動きやすそうな姿ばかりだったし。
物凄く羨ましかったけれど。
だから苦しい思いをするコルセットなんてまず身に着けないし、
一応ね貴族令嬢たちの通う学園だから制服にも、
コルセットは付いているけれど普通に痩せていれば、
身に付けなくてもバレない細さの制服だったし?
自分で着るからいくらでも緩めたい放題だし。
私が婚約破棄されたあの卒業パーティーだって、
自分一人で着られる簡素な物しか身に着けていなかった。
バカみたいな王国の「法」によって、
正式な式典は爵位によって女性の腰の太さを決められているから、
王国の法によって決まった「伯爵令嬢の腰の太さ」になる様に、
コルセットを絞められるならそれはもう大変な事になる。
男爵と伯爵ではサイズがまるで違うのだ。
ただでさえ締め付けられる衣類を着て来なかった上に、
男爵で許されるサイズから伯爵で許されるサイズにランクアップすれば、
それはそれは苦しい思いをしなくちゃいけない。
そして免罪符となる言い訳はないから、
彼女の良く回る口からも着ないという選択肢が出て来ない。
しいて言うのなら…
男爵令嬢のサイズにしてくれと言えるかもしれないけれど。
もちろんバルダーの名を理由に断られるわよね。
「え、エルゼリア…
お、おかしいわ。なんであなたと同じサイズのドレス…」
「そうかしら?ギネヴィアはバルダー家の大切な一人娘よ?
当然じゃない?」
「!っ、そう、だけれども!わ、私は男爵…」
「自分が否定しても周りが認めてくれないとそうなるのよ?」
コルセットを締め上げられ観念したのか…
眉間に皴のよったギネヴィアはひいひい言いながら、
自分を納得させ始めたみたいだった。
もう自分勝手は許されない。
重い責任がある立場に自身がなっているのだと、
彼女も遅ればせながら理解したみたいだった。
そこから先は大人しくギネヴィアはドレスを着せられていく。
コルセットをきつく締め上げられて
へっぴり腰になりそうな上体を起こしながら、
私はギネヴィアを姿見の前まで引っ張って行ってあげる。
そうすれば…
衣装係のメイドさんが全力で彼女のお着換えを始めるのだ。
ギネヴィアの体中に腕が伸ばされ普段着として作られた、
ギネヴィアの為だけに作られた
彼女しか着てはいけないドレスが着せられていく。
私はその工程を少し離れた所で眺めていた。
それはもちろん私がさっき着せられた時と同じなのだけれど、
それを遠巻きに見ているだけでも新しい発見があった。
本当に丹精込めて作られたドレスは手間もかかっている事が解ったし、
何よりこれだけ物を私達が起きる前には用意するって大変だろうとも思う。
それ故に私達の着ている物に込められた願いや想いは大きい。
優しく丁寧に整えられていくギネヴィアを見て彼女もまたこの領地にとって、
重要で大切な存在なのだと改めて思うのだった。
私と違ってアリア叔母様譲りの真っ黒な長い黒髪は、
用意されていたドレスの濃い青とマッチしてとても上品に見える。
光物も取り付けられたドレスは濃い色を乱反射させて
キラキラと輝いて見えた。
元々持っていた彼女の落ち着いた雰囲気を際立たせ、
いかにもな「デキる大人の女性」に見えるのだ。
優しい雰囲気とはなっていないけれど気高さをイメージさせる、
一本の青いバラがそこには表現されていた。
とはいえ…
我慢して着させられた初めての上位階級に匹敵するドレスに、
ギネヴィアは困惑しているみたいだった。
パニエによってより大きく膨らまされたスカートも
上半身に密着するバスクも、
体の動きが制限される事に慣れていない彼女にはほとんど初体験状態。
私はコルセットを絞められて腰回りの動きを多少制限される程度は、
動きづらいうちには入らず普通に動く事が出来るのだが…
明らかにゴージャスになった彼女のドレスは
それだけで今まで着てきた物よりも、
大きくて着なれない彼女からすれば物凄く重い。
私でさえ重く感じたのだ。
ほぼ同じものを着せられた彼女の感想なんて解っている。
「う、動きづらい…」
「早く慣れる事ね。
もう、これが普段着になるのだから」
「…楽をしていたツケが回って来たみたいね」
「その通りだと思うわよ」
とはいえあの公爵夫人養成用の婚約制服に比べたら楽だと思うのだ。
だから少しでも早くなれるべきだと思う。
そうは言っても婚約制服を着た事ないギネヴィアには解らないか。
私達二人は揃ってギネヴィアの部屋を出て朝食を食べる為に移動する。
高ヒールと広がったスカートに苦戦しながら歩く、
初々しいギネヴィアのドレス捌きを見て、
私は、ああ自分にもそんな時期があったなぁなんて思い出していた。
その日も朝食後ちょっとした休憩をはさんだ後は、
昨日の書類整理の続きを始めて私達は時間を消費する事になる。
とはいえ今日はアルフィンを含めて3人で作業を進めるのだ。
昨日以上に作業ははかどる。
1日もあれば溜まっていた書類はどんどん処理されて、
その日の夕方頃には全ての書類を纏め終わる所まで来ていた。
着させられた物が物なら周りの環境は一気に変えられ整えられていく。
ドレスに合わせて作られた机や椅子に体を預けつつ、
その日も順調に書類を纏めながら資料を作成する時間が続いて行く。
昨日と違うとすれば…
ドレスを着せられた私とギネヴィアはほとんど席から立つ事が無かった。
お付きの補佐係が運んでくる資料に目を通しながら、
概要をまとめるという事を続ける作業が続く。
自分で資料を取りに行かなくても良い分、作業効率は良くなるのだけれど。
…1日中、隣から「うー」「きつい」「しんどい」って言葉が
聞こえてくるのだ。
まあ仕方がないわねよね。
着なれないドレスがいきなり普段着になってきつくて苦しいコルセットを、
身に着けた状態のまま1日を過ごさなきゃならないのだから。
それでもギネヴィアの処理速度は落ちないのだから実力は確かなのよねぇ。
愚痴が聞こえる事を除けば代わり映えのない事務作業を続ける1日となる…
はずだったのだけれど…
私とギネヴィアにとっては書類整理より大変な事が控えていたのだ。
私とギネヴィアが納得して着せられた普段着のドレス。
私達が了承した事で止まっていた、
ファルスティン家とバルダー家の令嬢が着るドレスが作られる事になる。
私達が着ているのはその雛形であって、
これから針子さんとデザイナーさんが私達の「普段着」を用意する事になる。
そう。
これから常時使用する普段着となるドレスの選定が待っていたのだった。
領都に戻れは私とギネヴィアのお休みは終わる。
お兄様の補佐として事務処理を行う日々が待っているのだ。
その日常使いのドレスが今の私にはなかった。
本来ならボルフォード領へと連れて行かれたはずだったのだ。
私の為のドレスはボルフォードが用意するはずだったから、
もちろんこれから公務とかに使うためのドレスはない。
領内に私が留まる事になったから、
ギネヴィアのドレスは私を基準に決められる。
私の基準が決まらなければギネヴィアのドレスも決まらない。
お母さまのドレスのデザインは次世代の私達に影響を与えないけれど、
ターシャ義姉様のデザインは私のデザインとの兼ね合いもあるから、
非常にデリケートで繊細な問題にもなるのだ。
私以上にコッテコテに飾り付けられる事になるからね。
それでもこれから起きる事、
起こす事の準備ともなれば更に問題は複雑になる。
王国と対等という意思表示をするのであればドレスの基準は王族の基準に、
準じた物にしなければ舐められる。
交渉事に係るからそれらを考慮しながら一品一品、品定めをして、
身に着ける物を考えなくちゃいけない。
結局、追加される書類も相まって時間は足りず、
その日も領都へ向けて帰る事が出来なかった。
ドレスの選定は明日へと延期になり、
もちろん決まらなければ領都には帰れない。
私とギネヴィアの滞在期間は伸びて、
休暇なのに仕事をする為の仕事準備の為のドレス選びをする羽目になる。
けれどはっきりしたことがある。
エルゼリア・ファルスティンはもうこの立場から逃げられない。
私はギネヴィア・バルダーと共にライセラス・ファルスティンを支える事が…
これからしなければいけない事だった。