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第17話

楽しい夕食のあと。

私達はもちろんその港湾都市で一泊する事になる。

専用の区画という事もありそこは外からの視線から逃げられる場所だった。

腐っても私は「エルゼリア・ファルスティン」なのだ。

伯爵令嬢として振舞わなければいけない。

それは今はまだ王国の一領地であり王国の法によって、

縛られた生活をしなければいけないという意味でもあった。

それが嬉しいかと言われれば微妙な所ではあるけれど。

絶対王政の厳しい階級社会で整えられた

厳格なルールは色々と大変なのである。

今までは「未熟な学生」という肩書が

素晴らしい効果を発揮してくれたけれど、

学園を卒業して領地に帰った以上婚約破棄という「想定内?」な事を、

さしおいて今の私は「伯爵令嬢」としての立ち振る舞いが求められる。

もちろん王都よりかは緩いのだけれど領地内とはいえ、

私には護衛が一日中付き纏い一人になるのなんてもっての他。

そしてなにより警備の厚い領都にいる訳ではないのだから、

警備する為の騎士も一緒に連れてきている。

鉄馬と言う移動手段によって全体で移動しているけれど、

こうして宿泊施設に泊まる事になれば周りには数多くの警備の騎士たちが、

配備される事になる。

今日はほとんど移動と工場内で書類の整理だけだったけれど、

それを差し引いても人の気配が私の傍から無くなる事は無いのだ。

もちろん専属のお世話係としてリリーを連れて来たかったけれど、

彼女は基本領都のお兄様夫婦から離れられない。

まぁ私の専属のメイドはボルフォード家が用意するはずだったから、

唐突に婚約破棄された私の為のメイドがいるはずもない。

なので色々と一人で準備出来る格好でいたいのだが、

もちろん爵位の所為でそれを許してもらえない。

その辺りが学園にいた時よりもより厳しく私に「貴族」というモノを、

意識させていた。

リリーなら私の自由意思を汲んで好きにさせてくれるけれど、

この宿泊施設のメイド達は張り切っていた。

それはもうすっごく。

確かに気に入られれば専属になれる可能性も上がる訳で、

領都から連れてきたメイドと混ざり合ってテキパキと動く彼女達。

その仕事ぶりは優秀で王都の学生寮で中途半端な世話しか出来ない、

王都の用の学生に派遣される「優秀なメイド」よりもよく動く。

まぁ学園の学生は一通り自分で出来る事が求められるから、

質の悪いメイドの方が良いのかもしれないけれど。

ともかく彼女達は良く動いてくれた。

良く動いてくれたから、

私は普通にお湯に浸かる事が出来て嬉しいには嬉しかったけれど、

…体を洗われるのは何時になっても慣れないし髪を梳いて、

ネグリジェとかを着させられるとかなんともむず痒い。

けれどそれを断って自分でやってしまう事は、はしたない事になってしまう。

その辺りは階級社会なのだと諦めなければいけないし、

長い時間をかけて自分を納得させて慣れたのだけれど、

それでもふとした瞬間なんでこんな事を人に任せているのだろうと、

思ってしまう事もある。

「働く女性」として動くのであれば、きっと学園の制服程度の物の方が、

絶対に楽なのだが、もはや既製品で用意された制服に袖を通そうものなら、

あの家の御令嬢は何を着せられているのか。


―伯爵令嬢なら、しっかりとした体にあう―

―ドレスを身に着けるべきだ―


なんて暗黙の了解もあるのだからたまらない。

結局のところ何を言っても婚約破棄されたって私は「伯爵令嬢」という、

肩書からは逃げられない。

そこに前世の記憶で効率的な衣服があったとしても、

私が袖を通す訳にはいかずデザインだって王都で認められた物しか、

身に付けられない。

自分が歩かされているレールは未だ「王国」の先人が作り上げた、

「美しい令嬢」とはこういう物だという常識からは外れられないのだ。

それを私は当然と思ってしまっていたし、変える必要がないとも考えていた。

エルゼリア・ファルスティンは前世の記憶を持ちながら、

その前世から逃げだしたいと思いつつその場その場の状況に流されて、

なんとなく生きている存在になってしまっている。

それでも私は必死に判断して最善の選択肢を選んできたつもりだった。

一日の終わり。

寝室の窓から見える何気ない風景を見るまでは。


用意されたファルスティン家専用?の、

プライベート空間の寝室には普通の窓とは違う特別な窓が、

一か所だけ用意されていた。

私は寝るにはまだ早いと思っていたし、

やっと着替えて視線を感じなくて済む一人になれたという思いから、

その特殊な窓に近づいた。

他の窓とは違いデザインも特殊に加工された開閉不能の大き目の窓。

設置場所は普通の窓より一段高く取り付けられていて…

他の窓の位置から考えればズレた位置だから、

意図して設計された位置なのだろうけれど。

けれど、その窓枠は絵画の様な特殊な額縁が嵌め込まれた物で、

大きなカーテンこそ用意され手はいるものの、

その前には完全に床に固定された椅子が一脚だけ置いてあった。

その窓はその椅子に座って見るべきと言わんばかりの仕上げであって、

私はその椅子に何気なしに腰かけたのだった。



特殊な窓。


そこから見える風景は一枚絵のようにも見えて。

いや。

窓の先の風景を一枚絵に見せる様に作られていたのだ。

その風景は…



その風景は明らかに不思議な仕上がりとなっていた。



それは綺麗な夜景…

というか工業都市特有の淡く光り輝くライトアップされた景色だった。

現在の環境であるならばライトアップなど必要ない。

普通に黒い煤まみれの風景が見えるはずなのだ。

けれどその窓に映る景色は明らかに違う。

観光用でもないのに光り輝いていたのだ。

この窓から見える事を計算して作り上げられた風景がそこにある。

余計な物は一切見えず不自然に感じる情報はカットされ、

仕上げられた一枚絵は創造者の見たい物が透けて見える物だった。



きっと再現したかったのであろう、

無駄に金というか技術を掛けて作られた風景。

知識のない人が見ればただの景色。

けれど前世を持つ私とそれ以上に前世の知識を持つ、

ゼファード叔父様であれば思い出してしまえる、

懐かしい情景なのだ。

記憶の片隅にある場所。

港の近くにある加工前原材料が空高く積み上げられたバックスペース。

そこから延び色々な工作機械の原材料となる鉄鉱石を溶かす溶鉱炉。

その溶鉱炉をコントロールするために作られる巨大なクレーン。

止まる事のない流れ続ける液体を導くための太い配管。

砕かれた鉱石が流れ続ける長々と設置されたベルトコンベア。

日が落ちて薄暗くなっているのにも関わらず、

窓から見える風景は的確にその工場の特徴的な部位を、

闇夜の中で照らし出している。


そのどれもが淡い光によって彩られ見た事のある「何か」を

私に訴えかけていた。

知らなければそう言うものだと思ってしまい、

なくても決して困らない。


そう。


今は。


未来は解らないけれど「現在」で言うのであれば、

必要のない物が窓の風景にははっきりと見られるのだ。

この世界にはまだ航空機は存在しない。

確かに空高く聳え立つ煙突は何百メートルもあるのだが。

いまだ機械が空を飛ぶのは先の話。

けれど窓から見える煙突の先には赤いランプが灯っていた。

煙突の最先端の部分で赤く光るランプはどう見ても特注品。

ひときは強く光り輝いていてその高さと明るさは、

不必要に強く特徴的な明るさを窓枠の中で表現して見せていた。

その明るさも光り輝き方も私の記憶の中で確かに見た事のある物であった。

「懐かしい」と感じられるのだ。

前世の小さい頃に見た社会の教科書とかに乗っていた工業地帯特有の写真。

生で見る機会はほとんどなかったけれど、

それでも通勤電車からチラリと見る事もあった風景で。

私が「知っている」と感じられる。

前世の世界は確かにあったと思い出せるほどには、

似通った風景に窓の景色は仕上げられている。

私でさえここまで思えるのだ。

きっとゼファード叔父様は強烈に前世を思い起こした事だろう。

だから。

かも知れない。

こだわって作り上げた「風景」でもあるのだと思う。

私は叔父様の過去。前世の事を深く聞いたりはしなかった。

けれどこの風景だけを見ても叔父様の無意識の考えが、

あふれ出ている様にも感じられた。

だって本来ならここまで工業地帯を綺麗に仕上げる必要なんてない。

煤で汚れた太いパイプが無数に伸びる黒い世界になっているはずなのだ。

けれどそうしなかった。

そうしなかったのはきっと私の思いつかない、

叔父様のデザインの理想が前世が強烈に叔父様の中で存在していて、

意識させているのだと思うのだ。

特別な窓から見る情景の一部が明らかに前世を意識して作られていると、

気付いてしまった時ふと私は考えてしまった。

叔父様が持つ「理想」は私やギネヴィアには解らない。

けれどその理想があるから叔父様は止まれない。

いや止まらないだろう。

私に話しをして来る叔父様はあくまでも軽く、

そして技術の事を絡めて理想を話してくる。

「ちょっとだけ楽したい」

その言葉に込められた思いは一体どう言った事なのか?

作り上げられている物の大きさとその風景だけを切り取っても、

叔父様の理想の高さが私には恐ろしくも眩しく見えた。

その事に気付いている人はどれくらいいるのだろう?


たぶん…

一人しかいない。


長年ゼファード叔父様と一緒にいたアリア叔母様くらいしか、

きっとゼファード叔父様の真意を理解できている人はいない。

薄汚れた工業地帯に仕上げるのではなくて、

あくまでも前世で見た事のある風景にしたかった。

叔父様はきっと「前世」というモノを忘れていない。

いや忘れられなかった。

前世の「豊かさ」なのか「思い出」なのか、

はたまた「技術」なのか、解らない。

けれど叔父様は前世の何かに猛烈に駆り立てられている。

この窓の風景はそれを強烈に意識させる象徴に私は見え始めていた。

ゼファード・バルダーは無理をしてでも再現して、

そして求める?理想を作り上げようとしている。


寝室の窓際から見せられた夜景。

気付きたくないけれど気付かなきゃいけない。


―はよ、前をむいて歩け―

―時代は待ってくれないのだ―


そうゼファード叔父様は言いたかったのかもしれない。

そして急遽港湾都市に行くように言われたのは、

もう既に次代の変わり目の準備は出来ている事を、

自分の目で見て自覚してほしかったから?

叔父様の人生を掛けた準備は終わりを告げ、

これからは実行する段階なのだと…

私は思い知らされた気分だった。

立ち止まれない。

進まなくちゃいけない。

だから、

はやく生涯を共にするパートナーも見つけろって、

言ったのかもしれない。


もう既に叔父様やお父様の時代じゃない。

私達の世代の話へと世代は切り変わらなければいけないと、

私は決断を迫られる事になっていたのかもしれない。

寝室で一人になって夜景を見ていると、

自分がやるべき事しなければいけない判断に押し潰されそうになる。

今日纏める事になった書類の数々その一つ一つの生産物の、

完成度を考えても、もう「次」は用意されている。

それは終わらない。

終れないファルスティン存続の戦いが始まる事を意味していた。


王国はこの技術が進歩する流れを止めなければいけない。

そして今あるファルスティンとの力関係が、

逆転する事を阻止しなくちゃならない。


手っとり早くやるのならファルスティンとの国境を封鎖して、

交流を断たなければ損害を受けるのは王国なのだ。

もうファルスティンの独立を阻止するタイミングは逃している。

自活できる用意を済ませたファルスティンに、

攻撃を仕掛けるのは既にタイミング的に遅い。

希望も未来もファルスティン領には十分すぎるほど、

用意されていたのだった。

台頭する辺境の一領主の独立を許せるか否か…

判断を突き付けられているのは国であり、

その判断でお兄様とお父様は動くだろう。



私達が書類に小細工をして、

誤魔化しをした所で結果は変わらない。

人は動き物は運ばれる。

ギネヴィアの言った通りファルスティン領に追いつくには、

王国は30年以上かけなければいけない状態。

それは冗談でもなんでもない所まで来ている。

私はまた引きずり込まれる。

私の取るべき行動は?しなければいけない判断は?

歩かなければいけない道は?

もしかしたら悪役令嬢として断罪されるより、

厳しい道かも知れないと思い始めていた。


お兄様夫婦の肩にはファルスティン領で暮らす、

数万以上の生活が伸し掛かる。

それを支え更に豊かにして行かなくてはいけない。

出来なければ王国に奪い取られる。

もう物を手に入れる為に戦うのではなくて、

奪われないために戦わなければいけない。


戦う意味さえ違うのだ。


せめてお兄様夫婦の足手まといにはならない様にしなければいけない。

ベッドに戻って横になれば考えるのは自分に何が出来るかって事で…

なんとか私は自分の両足で立って歩き始めなければいけない。

そう考えてそして行動をと思っていても、

何かがまた重たく私の肩にのしかかる。

その判断は間違っていないのか?

自問自答を繰り返し。ここまで来て、現状を見せられても、

私は判断を鈍らせる。

私はここまで叔父様にお膳だてされてそれでもまだ歩けずにいる。

私の進むべき道はまだ解らない。


けど…


「とりあえず明日も書類仕事よね。

結局目の前の書類整理が終わらなければ、

次もへったくりも決断もないわ」


私の書類整理は終わらない。


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