「武力を使った戦争は色々と大変な事になるけれど、
それは一時的な物なんだ。
それよりも経済戦争の方が大変だよ?
けれどそれに気付いてくれる人が少ないんだよね。
私としては立ち直れなくする経済戦争の方が、
別の意味でえげつない事になると考えているよ?」
それはゼファード叔父様が昔から言っていた事だった。
そう…そうなのだ。
王国の経済事情と別の理屈で動き始めてしまった、
ファルスティン領は色々な意味で特殊な状況に陥ってしまっている。
それはファルスティン領に住む者にとっては嬉しくて、
王国に住む者にとっては最悪な事態なのであるが…
現在の所ファルスティンは一人で立って歩けるようになってしまったから。
王国としてはたまらない。
今すぐにその事に気付いて武力進攻しようとしても、
領境の砦を手中に収めているのはファルスティン領であり王国じゃないのだ。
叔父様の手によって魔改造された鉄壁の要塞となってしまった砦を越えなければ、
豊かなファルスティン領を見る事は叶わない。
食料も特産品もその砦を通らなければいけない以上、
一種の情報封鎖状態が出来てしまっていた。
けれど隣接する領地の人間は口をそろえて言うのだ。
あの砦の先には何もない。
あの先にあるのは荒れ果てた土地と凍てつく大地だけだと。
絶望するほど冷たい大地で必死に生きるのがファルスティン領なのだと。
そうね。
叔父様がいなければそうだったのでしょう。
けれど今の領内にそんな面影は一切なくなっている。
山を越えて繋がった鉄馬の線路は更に延長されその終点には、
港が出来始めているのだから。
叔父様は更に文明を加速させるだろう事は明白で…。
主に新鮮な魚介類が食べたいがために、
安定した魚を取るための船を作り漁を教えるのだ。
食に対するこだわり方を見ると。
あぁ、前世に影響されているのね。
私の事を同郷の人とも言っていたから、
たぶんそう言う事なのだろう。
「錬金て便利だよね?
だって等価交換でなんでも作り出せるんだから。
不思議なのは錬金が出来るなら、
鉛の価値は上昇すると思うんだ。
だって物質的に密度が高めの物だし?
等価交換の原則に従うから錬金する時のコスパ最強だよ?
でも価値を付けて貰えないんだよねぇ?
なんでだろ?
この世界じゃゴロゴロ見つかるからかな?」
叔父様の言葉は難しくて理解できないのだけれど、
明らかに作っている物がこの時代に相応しくない事だけは、
誰でも理解できていた。
錬金をして材料を作り出し炎と水を使って鉄を加工する。
それは明らかに基盤産業を整えるという工程をすっ飛ばし、
ありえない加工精度で機械を組み上げる行為だった。
それは船に据え付ける原動力のひな型。
蒸気貨客船のボイラーを作る為に必要な部品を作る型だった。
完成した品物を確認しながら叔父様は嬉しそうに笑う。
これが出来れば「アレ」が動くとか何とか言いながら。
「あとは現地の人が頑張ってくれれば、
私は美味しいお魚を堪能できる訳だ。
喜ばしい事だね」
「叔父様は食に対する要求が高いですよね…」
「そうかな?でもおいしい物は食べたいよね?
転生者だからなのか舌が初めから肥えていたから、
食生活が我慢できなくてねー。
仕方がないのだよ」
そんな軽いノリで船舶用の動力機関が、
私とお話している間に完成してしまった。
後ろにはアリア叔母様が控えていて、
早速作り方のマニュアルを纏めている。
夫婦そろっての共同作業。
叔父様と叔母さまは何時だって一緒にいる。
仲良し夫婦…なんだよね?たぶん。
「悪いね~。今、忙しくてね。
あと5年くらいたてばゆっくりできる予定なんだけど…」
その言葉にアリア叔母さまの額に何かが浮き上がりそうになっていた。
そして叔母様の口からぼそりと呟くように声が零れ落ちる。
「このワーカーホリックめっ。
少しは私と遊びなさいよっ」
私は叔母さまの言葉を聞かなかった事にする。
たぶん聞いちゃいけない言葉だったと思う。
「いえ、押しかけたのは私ですから…」
「そう?それじゃ遠慮なく」
叔父様はアリア叔母様が作るマニュアルを片っ端から、
確認して製本作業を手伝っていく。
こうしてバルダー家の書斎にマニュアルが一冊納まり、
またスペースを圧迫していくのだろう。
で、私がここにいる理由は簡単で、
ファルスティンが如何なって行くのかを、
その行く末を考えなければならないからだった。
もちろん決定権はお父様とお兄様夫婦で決める事だし。
私が口をはさむ事じゃない。
けれどどうしても考えてしまうのだ。
私が婚約破棄されて結果がどう影響を広げていくのか。
もう今更何を言っても遅いし嫁ぎ先のボルフォード家が、
どうなったとしても構わないのだけれど、
どう考えてもこれから王国に対して仕掛ける、
経済戦争は碌な事にならなさそうなのだ。
領民は特に影響ないだろうけれど、
王都の産業には大ダメージが入ると思うと、
王国全体が落ちぶれていくような気がして…
それってものすごい不景気になるって事でしょう?
まともに食べていけなくなる人がいっぱい出るんじゃないかって、
そう考えてしまうのだ。
もちろんファルスティン領が豊かになるのは良い事だし。
その事に異論はないけどどうしてもね。
やりすぎなんじゃないかなって。
どうにか穏便に済ませる事が出来ないかなって…
何も思いつかない頭で。
けど、どうにかしたくて悩んでしまっていた。
そしてその行きつく先が見えてしまう。
どんな形であれ私は婚約破棄されてしまって、
その結果、中央と王国との繋がりは著しく薄くなってしまった。
お父様とお兄様の判断次第では独立という道を選んでも問題ないくらいに。
それが良い事なのか悪い事なのかはさておき、
出来るという事が問題で国からの目を付けられるだろう。
「いや、もう手遅れだし。
王国だってバカじゃないよ。
国という大きな組織を動かしている人が、
辺境とはいえ情報を集めていないなんてありえないでしょ。
それも考えずに行動を起こすのならアネス兄さんの餌食になるだけだし。
私は貴族のプライドとか?誇りとか?は理解できないから、
その辺りがどうなるか解らないけれど、
例え戦争を吹っかけて来たとしても現在の所王国にとっては、
ファルスティン領はまだ辺境の一領地でしかないからね」
私には意味が解らなかった。
「王国軍が出兵してファルスティン領に進行して来たとしても、
奪えるものが無いんだよ。
侵攻ルートを考えると解るんだけど。
砦の次は領都であって領都の次は山脈。
そして、一大生産地って言う並びなんだ。
だからファルスティン領を占領できたとしても意味が無いんだ。
現在のファルスティン領は鉄馬を中心とした物流がある事が前提の、
経済だからね。
敷地は広々。行軍だけでも地獄じゃないかな?
それだけで領内で戦う事の恐ろしさを味わう事になると思うよ」
ああ、そう言う事ね。
広大なファルスティン領を縦横無尽に走り回る鉄馬たち。
その鉄馬が運ぶ大量の貨物があるから物質的に領内は物にあふれ、
豊かさを感じているのだ。
けれど生産地と消費地が違う場所だから、
王国がたとえ領都を制圧できたとしても、
そこに食料や物資の蓄えはない。
狭い領都を有効に活用するために領都を中心として離れた所から、
毎日の様に鉄馬で物資を運びこんでいるのだ。
そこに運び込まれる傍から消費されていくから基本、
領都にある物資はさほど多くない。
もちろん領都から離れた所には、
大型の倉庫がいくつもありそこには色々な物が収められているけれど、
それらは必要に応じて運び出され移動して領都で消費されている。
つまるところ占領されても鉄馬を動かせなければ領都の経済は回らない。
そして、侵攻軍に鉄馬を動かせる人がいるはずがないし、
よしんばいたとしてもレールを破壊すれば物資は動かせない。
徒歩で生産拠点のある場所まで行くとすれば山脈越えが待っている。
流石に鉄馬だから何の苦もなく超えられるけれど、
それを徒歩で超えるのは大群では無理で。
それでも無理に行軍すれば地の利があるファルスティン領に兵士で、
各個撃破できてしまう。
そして無理に領都を占領しても、
兵士達を食わせるための食糧は直ぐ尽きる。
毎日運ばれてくる食料を買う事が習慣付けられた領民たちは、
2~3日分の食糧程度しか保持しない。
緊急事態の時は鉄馬に乗って山の向こうに、
避難する事だって考えている。
僅かな食糧の備蓄が尽きれば運んでこなきゃいけない訳で、
辺境の一領地に大量の軍隊を派遣したら、
その補給路だけで軍が維持できず崩壊する。
「領内入口の砦の強化もやっているし。
アネス兄さんはこの土地を守ろうとしている、
立派な領主様だから悪い判断はしないでしょ」
防衛用設備は十分に砦に用意しているし、
その砦を抜かれるような大軍を用意して進行して来たとしても、
戦勝者には何も与えない。
そう言う戦略が領内には既に出来ているのだと。
叔父様は無駄に遠回しな言い方で私に説明してくれる。
つまるところ私がどんなに憂いても杞憂に終わるだけだって。
ただそれだけだった。
叔父様の作り続ける影響は広がり続けている。
だから私はあとどれ位の事をやるのか聞きたくなった。
私としては上下水道完備であったかいお風呂に入れるから、
もう、そろそろ良いんじゃないかなって、
思ったりもしていた訳で…
「私の目的はちょっと楽をする事。
だからそれ以上の事は考えていないよ。
私が楽をする事を考えると周りの人の仕事も楽になるしね」
アリア叔母さまがまた小さい声で、
「へぇ?私は楽になっていないわよ?
ん?私の事は無視ですか?ん?」
と、また叔父様の後ろで小声で話す。
叔父様?アリア叔母様がキレそうですヨ?
「なによりその判断を下すのは、アネス兄さんとライセラス君だし。
独立してもいいし?そのまま1領主でも良いんじゃない?
変な不平等な取引を持ち掛けられない限りは。
今だって領境の砦を維持管理しているって、
名目で国に何か払っている訳じゃないんだし」
支援金が国から出ている訳じゃないし、
まして国に対して大きく税金を取られているって訳じゃない。
そして砦の管理の名目で魔改造しまくったのは、
王国を守る為ではなくてファルスティン領を守るためなのだ。
確かに損はなに一つしていないし防御を秘密裏に、
強化できるのだから問題にはならない。
けれど交易品は少なからずあるのだ。
「そう、なのですか?
例えば食料に関税を掛けて、
領内に甘味料が入って着なくなったら?」
「潰すよ?そしたら。
でもさ、ほとんどの甘味料の栽培も始まってしまったし、
輸入しなきゃいけない物ってあった?」
「ないですね…」
「もう領内で全部賄えるから。
量が出来るかどうかはこれからだけど。
だからもうさ、領外が必要ないんだ。
そうなる様にデザインしてきたからね~」
結局、王国と対立しようが仲よくしようが、
ファルスティン領はやはり動じない。
動じない様にゼファード叔父様はアネスお父様と、
領地を弄って来たのだ。
そして私が安心するそぶりを見せた瞬間、
ゼファード叔父様はにやにやしながら私に話しかけてくる。
「婚約破棄を気にするよりエルゼリア?
君は次の恋をするべきだと思うよ?
私にはアリアがいた。
君にはギネヴィアがいるけれど、
何時までもギネヴィアが一人でいると思わないでほしいかな?
あの子も伴侶を見つける。
そうしたら相談できる相手がいなくなっちゃうよ?」
「あ…」
「だから今のうちに理解者を手に入れないと、
私みたいになっちゃうよ?」
そう言いながら叔父様はアリア叔母様を抱き寄せる。
それが自然で普通であるかのように、
自分の膝の上に座らせ首筋にチュッとキスをする。
もちろんアリア叔母さまは顔を赤くして、
恥ずかしそうにしているけれど…
さっきの不機嫌は何処へやら。
アリア叔母様は頭をゼファード叔父様の肩の上にのせて、
嬉しそうに眼を細めるのだ。
なんやかんやでこの夫婦はラブラブなのだろう。
「アリアは寛容だから許してくれているけど…、
それは長―い時間をかけで一緒にいたからであって、
ポンと現れる様な男だときっと君は苦労すると思うよ?」
すっかり大人しくなったアリア叔母様を撫でながら、
私に次の恋をさっさと始めろと言う辺り、
何とも言えない気分になるけれど、
きっと簡単に理解してもらえるような、
人は出て来ないでしょうね。
そんな人がいるのならそれは私と同じ、
前世の記憶持ちなのかもしれない。
そんな風に考えていたらアリア叔母さまがこっちを見て、
また呟くのだ。
「ゼファードは私のよ?エルゼリアと言えども渡せないわ」
「いりません」
即答だった。
けどそんな忠告を聞いていると、
おじさまは対等にお話しできる相手がいなかった。
だからお話が合う時代まで進めようとしているのかも?
なんて事も考えながら私は自分の為の、
新しい恋もしなきゃいけないのか。
と、なんとなーく考え始めていた。
領内の変わりようと自分の将来。
婚約破棄という結末の後色々ひっくるめて、
私は前を向いて恋をしなければいけない時期に来ていた。