忙しさの山場は超えたといっても、日々何かしらの業務はあるわけで。引き続き、頼の仕事の手伝いは続けていた。
今日はめずらしく、頼と社長の篠崎が出張に出ている。吉川は別の仕事で朝から出ているらしく、私は事務所に出勤して電話番を仰せつかった。
たいていメールかチャット、電話するにしても本人にかける場合が多いとのことで、事務所の電話が鳴ることはほとんど無かったけれど、ゼロではないので一応役には立っていると思う。
電話番の役目を果たしながら、事務所の掃除をしていると、オフィスに続く廊下のほうから足音が聞こえた。
吉川だった。
「お疲れさまです」
私の挨拶は聞こえているはずなのに、反応はなかった。
気にせず掃除を続けていると、ダンッと大きな音を立てながら吉川がデスクに資料を置いた。
「良い子ぶって、馬鹿みたい」
静かな、けれど確かに怒気を含んだ声だった。
「私のことですか?」
「他に誰がいるのよ!」
吉川が、キッと目を吊り上げる。余りの鬼の形相に、思わず後ずさる。
「自覚がありませんでした」
本心だ。何といっても、雇い主に冷たい視線を浴びせるようなスタッフなので。
「調子に乗って、ほんと目障り! 影山さんはね、仕事のために仕方なくあなたに近づいて、優しくしてるだけなのよ? それなのに浮かれちゃって、ほんと馬鹿!」
吉川が、一気にまくし立てる。
彼女にどう思われても構わないのだけど、仕事のために仕方なく近づいた、という部分には引っかかる。
「仕事を手伝うと言ったのは、私ですけど?」
頼が疲れていたので、心配で。どちらかといえば、私がごり押しした印象だ。
「あなた、本当に何も知らないのね」
吉川が勝ち誇った表情を浮かべる。
「社長と影山さんの二人で進めてるプロジェクトがあるの。事務所を作る予定なのよ。個人で配信をしてる若い子を見繕って所属させるの」
「……それって、ライバー事務所ですか」
ライバーとは、配信者のこと。
育成やマネジメントを行う事務所の計画をしていたらしい。頼自身がトップライバーだから、ノウハウはあるだろうし、良い案だなと思う。
そうか、だから。
頼は、あのとき私に訊いたのか。
『配信を始めてまだ日が浅いのに、登録者も多いよね』
『個人で配信してるの?』
『困ってること、ない?』
悩み相談でもあり、そこから所属に話を持っていく取っ掛かりでもあり。要はスカウト活動だったのだ。
頼が自らスカウトをするなら、ストレートなほうが良かった気がする。だって、ファンに「同じ事務所で活動しない?」なんて声をかければ、壊れたロボットみたいに首を縦に振るに決まっている。
それなのに、わざわざ自分の自宅に招き入れて。あまつさえ料理を一緒に作ってくれて。貴重な頼自身の時間を使って。
ファン……。
そうだ。ライバーで、mayoriのファンでもあって。
私なら、勧誘しやすいと判断されたのだろう。だから、いちばん最初にスカウトしようとした。
「ぜーんぶ、仕事のためだったのよ。ショックだった?」
吉川が、ニヤニヤと笑いながら私を見下ろしている。
「お手間を取らせてしまい、申し訳なかったなと思います」
「はぁ?」
吉川が素っ頓狂な声をあげる。
「私が第一号なんですよね?」
「ど、どうして、そう思うのよ?」
彼女の反応を見て、図星なのだなと分かった。
「だって頼、スカウトのやり方がとても下手だから」
嬉しい。それしかない。いちばん最初に、私のところへ来てくれた。
「気安く『頼』なんて呼ばないでよ!!」
金切り声を上げながら、吉川が手元にあった資料を床にぶちまける。
「ちょっと、落ち着いてください!」
宥めようとしても無理で、むしろデスクの上の物を投げつけてくる。避けたつもりが、ペン立てが喉元に命中してしまった。
一瞬、息が止まった。すぐに痛みが襲ってきて、ケホケホと咳き込んでいると髪の毛を掴まれた。
「止めてください!」
逃れようと必死に抵抗する。今度は服を掴まれ、ブチブチッと嫌な音がした。服が引きちぎられたことを知る。困ったな、これじゃ帰るときに難儀する。
そんなことを考えながら、なんとか吉川の手から逃れることに成功した。
「なんでそんなに冷静なのよぉ!!」
吉川が顔を歪めながら喚く。
別に冷静なわけではない。表情筋が死んでいるせいで、もしかしたら動揺していないように見えるのかもしれないけど。
「狼狽えなさいよ! 惨めですって顔しなさいよぉーーーーーー!!」
吠えながら暴れる吉川を見て、途方に暮れる。このひとはもう、私が知っている吉川ではない。
「……あなたは、mayoriのファンですか?」
一瞬、彼女の動きが止まった。
「はぁ? ファン? そんなのと私を一緒にしないでよ! 私はね、ちゃんと現実の世界で影山さんと働いてきたの。彼のサポートしてきたのよ!」
「mayoriだって、ちゃんと現実の世界に存在しています。ファンのひとたちだって、存在している。ほんのひと時でも、mayoriの存在に救われたり、力をもらったりしているんです」
それを、なかったことにはしないで欲しい。
「そういう考えでいるのなら、あなたに私のことは……私たちのことは、永遠に理解できないと思います」
◆
会社を出たところでタクシーを拾った。
引きちぎられたシャツを片手で抑えながら、もう片方の手でタクシーを止めたので、運転手が明らかに不審そうな顔をしていた。
何でもない風を装いながら乗り込み、自宅近くまでの道を告げる。
退勤時間になったので会社を出てきたけれど、今日のことを頼にどうやって報告しよう。
言わなくていい? いや、さすがにちょっと常軌を逸した感じだったし、吉川の様子は伝えておいたほうがいいような。
それにしても怖かった。彼女の、鬼のような形相を思い出して背筋がゾクッとする。
「この先、真っすぐで大丈夫ですか?」
運転手の声で顔を上げる。窓の外を確認すると、自宅近辺まで来ていた。
マンションは細い路地が入り組んだ先にあって、案内が難しい。新しく区画整理されたエリアなのでナビが反応しないらしく、途中で説明する気力が無くなった。
服の問題はあるけれど、途中の大通りでタクシーを降りた。あとは歩くことにする。勤務先のコンビニの前を通過した。
夜でも、相変わらず煌々と明るいコンビニを見て安堵する。自分のテリトリーに入った感じがした。
「ぴ、ぴちゃん……?」
コンビニの裏手、公園に差し掛かったところで声が聞こえた。
振り返ると、オドオドと挙動不審な男性が立っていた。
聞き間違いではない。確かに、彼は「ぴちゃん」と言った。
「誰ですか……?」
訝しむ私の視線に、男はますます怯えたような顔つきになる。
「ひ、ひよこ大佐です……」
ヒヨコタイサ……?
「もしかして、ひよこがハチマキしてるアイコンのひと?」
「し、ししし知っててくれたんですかっ!!」
驚愕と歓喜。7:3くらいの割合の表情をしている。
「あれだけ毎回、太もも連呼されたら誰だって覚えると思う」
「す、すすすみませんっ!」
物凄い勢いでペコペコとする男を眺める。
「ど、どうしても気になって、心配でっ……!」
半べそ状態の男をどうして良いか分からず、立ち話をするには目立ち過ぎるので公園に連れて行った。
「どうして私の自宅が分かったの?」
「じ、自宅は、分からないです……。この近くなんですか?」
自分で墓穴を掘ったことに気づく。
「自宅じゃなくて、バイト先を特定したってこと?」
「そ、そうです。新商品の話とか、するじゃないですか。そのラインナップで、業界二位のコンビニだなって分かって。公園がすぐ裏手にあるっていうのもヒントだし。店の前にはベンチがあるっていうのも聞いたから……」
「それだけで分かるの?」
「ひたすら検索したり、あとはストリートビューとかで……」
少しずつ小声になる。ヤバいことをしている自覚はあるのだろう。
それにしても、恐るべし特定技術。いや、執念といったほうが正しいのかもしれない。
「で?」
低めの声で圧をかける。
「はひ?」
ひよこ大佐は、分かりやすく体をビクッと反応させた。
「気になってとか、心配で、とか言ってたけど?」
何か心配されるようなこと、あったっけ?
ひよこ大佐が、ごくりと唾を飲む。
「……mayoriと、どういう関係なんですか?」
その名前を聞いて、さすがにドキリとする。
「どうして、mayoriの名前が出てくるの?」
私が【ぴちゃん】として配信しているとき、mayoriの名前は出していないはずなんだけど。どこをどう結び付けたのだろう。
「た、たまたま流れてきた配信の切り抜き動画を見たんです。mayoriが大衆食堂で、ミックスフライ定食を食べてる動画……」
先日、ふたりで行った温泉地での配信動画だ。
「ぴちゃんが、映ってた」
「……映ってたのは、相席した女性じゃなかった? どうして私だって思うの?」
この言い方だと、暗に認めたことになるなと思いながら、それでも訊かずにはいられない。
「ぴちゃんの手だった」
配信の際、誤ってちらりと映った私の指先。
「特徴のない手だと思うんだけど?」
「ネイルに見覚えがあったし、それに、繰り返し見れば見るほど、ぴちゃんの手だった……」
確かに、ネイルはしている。気が向いたときにだけする。セルフネイルだけど。
「それだけで?」
ひよこ大佐は、こくりと頷く。
あぁ、でも、そうだ。
推しのことは、顔を見なくても推しだと判別できる。たとえ体の一部でも。たった一瞬でも。見分けることが出来る。
そのくらい容易いことだ。
だって、推しだから。
「ちゃんとmayoriが、ぴちゃんを紹介してくれたら、僕だって安心できますが……! 相席してるとか、そんな風に誤魔化すなんて、ふ、不誠実だと思ってっ!」
ひよこ大佐が力説する。
「不誠実?」
「人気商売だということは分かってますが! か、彼女の気持ちを弄ぶような、そういう態度はいかがなものかと!」
「……彼女って、もしかして、私とmayoriが付き合っていると思ってるの?」
「違うんですか?」
なるほど。そういう誤解か。ひよこ大佐の中で、私とmayoriは恋人で、けれどもガチ恋勢が多いせいで日陰者扱いされている。そう思い込んでいるのだ。
「心配してくれてありがとう」
「ぴちゃん……?」
「私はmayoriのことで傷ついたりしない。たとえ邪険にされても、ひどい扱いをされても。騙されても、嘘を吐かれても。mayoriから受け取るものは、たとえ痛みでもぜんぶが尊いから。ファンになるって、そういうことじゃない……?」
ひよこ大佐が、ゆっくりと頷く。
ぼろぼろに涙を溢している。その涙を拭うことなく、まるで幸せな夢でも見ているような、いっとりした顔で私を見ている。
私も、頼をこんな風に見ているのだろうか。
しばらく、うっとりと私を眺めていたひよこ大佐だったけど、「ん?」という表情に変わった。まじまじと見て、それから小さく悲鳴をあげた。
「ぴ、ぴちゃん……? ど、どどどうしたの、その格好!!」
引きちぎられたシャツのことを言っているのだろう。私は今、パンダに腰かけている。ここは外灯がスポットライトみたいに当たって、暗闇の中でも鮮明に見えるのだ。
ひよこ大佐が座っているコアラの場所からは、特に。
「か、髪もぐしゃぐしゃになって……!」
それは知らなかった。あ、でも、そういえば掴みかかられたとき、引っ張られた気がする。
「け、警察とかには……」
「別に。ただの喧嘩だから」
大事にしたくない。きっと、頼にも迷惑がかかると思う。
ひよこ大佐には、キャットファイトだと伝えておいた。女同士のガチ喧嘩。本気の取っ組み合い。
「じ、女性って怖いですね……」
心底怯えた顔になる。
「ぼ、僕は【ぴちゃん】のファンになれて、幸せなんです。まだ、たった二ヶ月だけど、古参だって認識されて。初めて居場所が出来たような気がして……」
「うん」
「さっきは【ぴちゃん】を心配するようなことを言いましたが、ほ、本当は怖かったんです。mayoriと付き合って、mayoriのものになった【ぴちゃん】は、配信をやめてしまうんじゃないかって。そ、それで……」
ひよこ大佐がぐずぐずと洟をすする。
「大丈夫だよ。私はやめたりしない」
「ほ、ほんとうですか……?」
ひよこ大佐が顔を上げる。
「誰かの居場所である限り、私を推してくれるファンがひとりでもいる限り、やめない」
力強く宣言する。大粒の涙を流しながら、ひよこ大佐が何度も頷く。
鼻水の涙でぐしゃぐしゃの顔を眺めながら、ひどい顔だなと私は苦笑いしていた。
夜には【ぴちゃん】の配信がある。開始時刻に間に合うようにと、ひよこ大佐は帰っていった。PCの大画面で太ももを見るのだそうだ。
楽しみ方は人それぞれなので、深くは追及しないでおこう。
私も自宅に戻って準備をする。着替えて、ボサボサになった髪を櫛で梳いていると、インターホンが鳴った。
確認すると、頼が立っていた。慌ててドアを開ける。
頼の隣には篠崎もいて、驚いた。
「ねねちゃん、大丈夫だった?」
頼が肩で息をしている。荒い息だ。
「大丈夫って……?」
「怪我とかしてない?」
どうやら、事務所でのバトルを知っているらしい。
「吉川さんから聞いたんですか?」
「すまない」
篠崎が勢いよく頭を下げる。
意味が分からず、目をぱちくりとさせていると、頼が事情を説明し始めた。
ふたりで事務所に戻ると吉川がいて、どうやら様子がおかしいというので問い詰めたら、泣きだしたらしい。根気強く話を聞くうちに、自分のやったことを打ち明けたという。
「裏は取ってある」
篠崎の言葉の意味が分からず、「裏?」と聞き返す。
「事務所には監視カメラが設置してあるんだよ。映像ばっちり。もちろん音声付き」
頼が、そう言いながら遠慮がちに髪を直してくれる。櫛で梳いている最中だったことを思い出した。きっと、まだ縺れているところがあるのだろう。
「髪の毛、引っ張られてるところ映ってました?」
恥ずかしいな、と思いながら問うと、またしても篠崎が深々と下げる。
「今回のことは、俺の責任でもある。部下を管理できていなかった。でもまさか、吉川があんな風になるとは……」
予兆はなかったらしい。信頼していたのだろう。身近で、秘書的な業務も担っていたひとだ。
どうやら吉川は落ち着きを取り戻したらしく、今は退職の意向を示しているとのことだった。
「責任者として謝りたいって篠崎が言うから、連れて来たんだよ」
「そうだったんですか。わざわざ、すみません」
横柄な篠崎しか知らないので、殊勝な態度を見せられると、どうして良いか分からない。
「というわけで、謝ったし。篠崎は帰っていいよ」
まるで追い払うかのように、手でシッシッとする。犬扱いされて怒りそう、と思ったけれど、予想に反して篠崎は大人しく帰っていった。
篠崎の姿が見えなくなった瞬間、ぎゅうっと頼に抱き締められた。
驚きのあまり体が硬直する。玄関のドアが、バタンと音を立てて閉まった。
頭が真っ白になったけれど、しばらくすると状況を飲み込むことが出来た。理解したら、今度は顔が真っ赤になった。心臓がうるさいくらいにドクドクしている。
「ごめん、痛い思いさせて」
「へ、平気です。驚きのほうが強かったので」
実際、どこか怪我をしたわけではない。
「怖い思いさせてごめん」
ぎゅうぎゅうと抱き込まれる。頼の腕の力が強くなる。
「吉川さんが言っていたことは、本当なんですか……?」
ライバー事務所のこと。そのために、頼が私の前に現れたこと。
「……それは、うん。本当」
ごめん、と頼が耳元でつぶやく。
頼と篠崎は、色んな配信をチェックしていたらしい。もちろんスカウトのために。その中で、登録したばかりなのに、そこそこ勢いのある【ぴちゃん】を見つけたようだった。
「他のライバーとは違って、そっけない対応なのが面白いなって思った。それで、たまに見るようになったんだけど、あるときmayoriグッズが映ったんだよね」
ロゴがプリントされたmayoriのTシャツ。確かに、部屋に飾っている。
「一瞬だけどね」
「そうだったんですか」
「調べてみると【ぴちゃん】はそこそこ登録者を抱えていることが分かって。それで、スカウトしやすそうだって篠崎が判断したんだよね」
なるほど。
「……私の自宅ではなく、アルバイト先を特定した感じですか」
「うん。ねねちゃん、配信で情報、漏らしちゃうから。聞きながらけっこうヒヤヒヤしたよ? あれじゃ、簡単に特定できるから。危ないよ?」
まさかのひよこ大佐と同じ手法だった。
新商品、店頭に設置したベンチ、裏手の公園。他にもいろいろ、自分では気づかないうちに言っていたんだろうか。気を付けなければ。
「本名を知っていたのは、なぜです……?」
「名字は名札で分かったよ。あとは、店員さんに『ねねちゃん』呼びされてたのを聞いた」
そうだったのか。
「初めは、スカウト活動だったんだけど……」
「はい」
「いや、そもそも。自分のペースで配信してる姿を見たときから、好ましいなとは思ってたんだよね。媚びないっていうか。淡々としてて、口数が少なくて、表情にも出ないから。何を考えながら食べてるんだろう? 美味しいのかな? って」
ただただ億劫で自分本位なだけだったのに。まさか、そんな風に思われていたとは。
「出会ってからは、予想以上にねねちゃんがmayoriファンで驚いた」
「は、恥ずかしいです」
限界オタクが溢れ出ていたはず。
「ひとりでご飯を食べる子のことを思ってたりとか、そういうことを知ってからは好きだなって思った」
好き、というワードが耳に入って、意識を失いかける。
「あ、ありがとうございます……」
いや、それは【ぴちゃん】の配信のことを指しているのは分かっているけれども。
「ねねちゃんのことだよ?」
「ひょえ!?」
頼の腕の中で、全身がビクンと大きく跳ねる。
「大丈夫?」
頼がくすりと笑う。私の反応を楽しんでいるらしい。そうだ、このひとはいじわるなんだった。
「わ、わわわわ私も、好きですっ……!」
一世一代の告白をする。好きという感情の中には、いろいろ思いというか、考えというか、細分化されていて。それを全部伝えるのは難しい。コミュ障だから特に。
でも、伝える努力はしたい。
「mayorは神聖で、ただ尊い存在だったんですが! 頼は、その、別のベクトルというか! ちょっとひねくれているというか、ひとの嫌がることを嬉々としてするところとか! そうされてもイヤじゃないというか……! つまり、mayoriのことは今でも信仰の対象で、頼のことは、その、そそそその生身の人間として、人間の個体として好意を持っておりますっ!!!」
「両想いだね」
頼が屈んで、至近距離で囁かれる。甘ったるい声で全身に衝撃を受ける。
「は、はひ……」
「一緒に住もっか」
「へ、へぇ……??」
どういうこと? 意味不明すぎて目が回る。視界がグラグラする。
「そ、そそそれは? え、えっと?」
「だって、俺でも特定できたんだから。危ないでしょ? 過激なファンから身を守るために。ね?」
過激なファン(自治厨)からの突撃は、すでに受けている。
その話をすると、頼の視線が鋭くなった。
「すぐに引っ越ししようね?」
口元は笑っているけれど、目が笑っていない。
も、もしかして頼って独占欲が強いタイプ……? そういうのを、私はこれから身を持って知っていく感じ?
ますます視界がぐらつく。同時に、お腹がぐうぐうと鳴る。
「……あ、配信」
すっかり忘れていた。【ぴちゃん】が配信をする時間だ。
思い出したら急に、空腹感がひどいことに気づいた。
「今日は何を食べるの?」
頼が興味津々で訊いてくる。
「ぜんぜん考えてませんでした……」
「俺が作ってもいい?」
突然の提案にテンパる。
「もちろん作るだけ。ちゃんと映らないところで見てるから」
み、見るんだ……。
頼がうきうきしながらキッチンに立つ。
「すぐ出来るものにするからね」
冷蔵庫を開けて、材料を確認している。
「思ったんだけどさ」
「何ですか?」
「ねねちゃんの近衛兵たちより、ぜんぜん俺のほうが上だなと思って」
急なマウントに戸惑う。一体、どうしたんだろう?
「どういうことですか?」
「mayoriのTシャツが映り込んだ話したでしょ。でも、そのことに【ぴちゃん】のファンたちは気づいてなかった。一瞬とはいえ、俺は気づいたわけで」
だから頼のほうが上らしい。
「まぁ、そうですね」
頼は上機嫌で手を動かし始めた。
小分けして冷凍していたご飯をチンして、冷蔵庫の中に転がっていた使いかけのベーコンと玉ねぎで、あっという間にケチャップライスを作った。
続いて、フライパンを熱して油を入れ、準備しておいた卵液を流し入れた。ジュッと良い音がする。
卵液をフライパン全体に広げるようにして、周りが固まってきたら菜箸の登場だ。
大きく広げて持ち、両端から中央に箸をすべらせる。卵液を挟むようにして中央で合わせたら、菜箸はそのまま固定しておく。
フライパンを回転させていくと、半熟ともいえない状態だった卵液がドレスのひだを形成していく。
卵液が完全にかたまる前に、フライパンからケチャップライスの上にスライドさせるようにして盛る。
繊細なドレープが美しい、ドレス・ド・オムライスの完成だ。
感激で言葉が出ない。食べるのがもったいなさ過ぎて、スプーンを持ったまま一時停止してしまう。
私がオムライスを作ると、ぼろぼろになったオムレツともいえない悲惨な代物がケチャップライスの上に置かれている。
そういうオムライスしか見たことがないので、コメント欄も困惑を隠せないようだった。
『なんか今日のメシ、変じゃね?』
『ぴちゃんがあんな綺麗なオムライス作れるようになったとか、感動だな』
『違うだろ。デリバリーとかじゃないか?』
『同意』
『そうだよ。いきなり上達し過ぎだよ』
自覚があるとはいえ、さすがにディスり過ぎではないだろうか? 苦々しい気持ちで画面を睨む私を見て、頼が笑う。
宣言通り、頼は画面に映らない位置で、配信を見ている。
にこにこしている。心底楽しそうな顔だ。
やりにくいな、と思いながらも気にしていない風に装う。意識したら頼を喜ばせるだけだ。目の前のオムライスに集中する。もう空腹が限界だった。
美味しそうなオムライス。私はゆっくりと、美しい卵のひだにスプーンを入れた。
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