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第43話 クルシュナー家との時間

 ひとときであってもアイザックに会えたおかげで、妃教育にもさらに力が入るというもの。

 リティスは気合いも新たに応接間にいた。

 今日は、一流の品を見分ける目を育てるという授業を受けている。

 全面的に協力してくれているのはクルシュナー男爵家だ。

 古今東西あらゆるものを扱うクルシュナー商会が、香木や宝飾品、香辛料や食べものなど、珍しいものを仕入れるとすぐさま王宮に持ち込んでいる。この教育にどの程度の費用がかかっているのか考えたくもないが、知識が養われているのは確かだった。

 商会の会頭であるトマスが教育を担当する日もあれば、彼の妻のエマから指導を受ける日もある。

 けれど今日はもっと予想外だった。

 エマの後ろからクルシュナー男爵家の長子であるルシエラが顔を出し――リティスは仰天する。

「リティス、ようやくあなたと再会を果たすことができたわ」

「ル、ルシエラ……⁉」

 リティスは混乱しつつ、満面の笑みで挨拶をするルシエラとその母を交互に見つめる。

 娘にまとわりつかれているエマは、やけに疲れきっていた。

「ごめんなさいね、リティス……教育の場に娘同伴なんて非常識なのは分かっているのだけど……どうしても振り切れなかったわ」

 彼女の乾いた声音からは、圧倒的な絶望と罪悪感がにじんでいる。

 きっとここに至るまで、リティスが想像できないほど壮絶な攻防があったのだろう。対照的に、母親を疲労困憊させた原因が元気いっぱいな点は実に物悲しい。

 ルシエラは、瞳を潤ませてリティスを見上げた。

「ちゃんと大人しくしているって約束するわ。ただ久しぶりにリティスと語り合うことができたら……いいえ、語り合うことができずとも、想像という名の自由の翼をはためかせることができたらと思って……」

 相変わらずのルシエラらしさを発揮した美文調の語り口に圧倒されつつも、リティスは頷いた。

 なるほど。目的は大体分かった。

 彼女は、ボルツに誘拐されるという痛ましい経験した。

 事件を通し、傷付いたことも苦しんだこともあっただろう。

 塞ぎがちになってもおかしくないのに――ルシエラの心は、『最高の恋愛小説を書く』という思いがけない目標に着地した。

 その題材として目をつけられているのが、リティスとアイザックの恋模様。

 閨係から第二王子の婚約者に華麗なる転身を遂げた(と思っている)未亡人の成功物語は(内容は主に失敗ばかりだが)、ルシエラの琴線に触れたらしい。

 ここ数ヶ月の間にも、かなり分厚い手紙の束をもらったりもしていた。

 ――なるべく早めに、当たり障りのない返信をしていたつもりだったけれど……。

 子どもに聞かせられることではないからと、内情を詳しく話さなかったことが彼女に火を点けてしまったらしい。強硬手段に打って出て、現在の状況というわけだ。

 自分で小説を書いてみてはどうかと提案した手前もあり、未だに恐縮しっぱなしのエマに、リティスの方こそ申し訳なくなる。

「せっかくですし、今日は授業のあとにでもお茶をご一緒しませんか? 私もルシエラに会えて嬉しいし、最近はエマさんとゆっくり話す機会もなかったですし……」

 もちろん、エマに予定があれば引くつもりの提案だった。

 だが、彼女がどうこう言う前に、娘が食いつく方が早い。

「ありがとうございますぜひよろしくお願いします!!」

 なぜ敬語なのかとか、勢いとか。

 ルシエラの令嬢らしからぬ態度に呆気にとられたリティスは、エマと顔を見合わせる。

 そうして、どちらからともなく苦笑をこぼした。

「忙しいあなたにこんなお願いをしてしまって申し訳ないのだけど……私も、あなたとお茶がしたいわ」

「息抜きって大事ですよね。こちらこそ、ぜひよろしくお願いします」

 はしゃぐルシエラと一緒になって、リティス達も笑う。

 彼女の期待に応えるため、なるべく迅速に授業を終わらせねばならないようだ。

 それでも、授業は授業。

 リティスはエマからの教えを一言一句聞き漏らさないよう、熱心に取り組んだ。

「ルビーは大理石の中で成長するの。深く濃い赤であるほど価値は高くなるわ。昔の人々は、ルビーを持っていると心の平和と知能の向上が得られ、あらゆる病を治すことができると信じていたの。秘薬として、ルビーを粉状にして飲む文化を持つ国もあったみたい」

 リティスの前には、三つのジュエリーが置かれている。

 小さなダイヤモンドを周囲にセットし、その中央に大粒のルビーがはめ込まれたブローチ。

 花をかたどったシルバーの台座に、細かなルビーを並べたネックレス。

 正八角形にカットされたルビーの周りに、深い青色のサファイアが並んでいる指輪。

「さて、この中でどれが最も価値が高いと思う?」

 リティスは一つ一つを丁寧に観察し、エマの質問に答えた。

「この……ブローチでしょうか。色が濃いし、ルビーも一番大きいです」

 先ほどの説明から推察するに、ブローチが最も高価だと思われた。小粒ながらダイヤモンドを贅沢に使っている点も大きい。

 だがエマは首を横に振った。

「残念。答えはこの指輪よ。ブローチに使われているルビーは丸く表面を磨かれているだけなのに対し、指輪のものは美しいカットが施されているでしょう? 最高に良質な部分だけを切り出して磨かれている証拠なの。つまり、かなり大きなルビーの結晶から作られたってこと」

 掘り出された時点では、指輪に使われたルビーが最も大きかった。最上級の部分だけを使っているから、その分価値も跳ね上がっているということか。

「む、難しいです……」

「宝石はともかく、ジュエリーは一概に価値をつけられないから注意が必要ね。作られた年代や背景、そのジュエリーへの需要、誰が身に着けたかによっても流動する。その辺は、より多く良質のものに触れることで、徐々に養われていくわ」

 一朝一夕に努力が実るということはない。

 リティスは肩を落としながらも、前向きになるために頷いた。

「はい。もっと努力します」

「あなたは十分努力しているけどね。じゃあ、やる気にお応えして次の課題はこの珍しい宝石よ。今のところフェリオラ王国でしか産出されていない上、昼と夜とで色が変化することから希少価値が高い……」

 エマは優しく丁寧に指導してくれるが、授業内容は容赦がない。

 今日も怒涛の説明を受け、リティスはこぼさず覚えるのに必死だ。手元に置いた紙に走り書きもするけれど、それを上回る早さで授業が進んでいく。

 全ての工程を終えたあと、リティスはいつもぐったりしてしまう。至急甘いものを摂取したい。

 リティスはスズネに、紅茶の用意をお願いする。

 その間も、ルシエラは約束通りに大人しくしていた。

 部屋の隅で静かに、持参していたらしい本を読んでいる。おそらく中身は彼女の好きな恋愛小説だろうが、読書にふける姿は深窓の令嬢のようだ。へとへとになってテーブルにしがみついているリティスなどより、よほど気品があった。

 教材にした宝石類をしまっていたエマが、ふと顔を上げる。

「ねぇ、リティス。今度の交流会で、あなたが接待を任されたと聞いたのだけど、あれって本当の話かしら?」

 リティスはよろよろと体を起こし、彼女の問いに頷いた。

「よくご存じですね。そうなんです。一応これが第二王子の婚約者のお披露目にもなるみたいなので、アイザック様に恥をかかせないよう、頑張らなきゃいけないんですよ」

「やっぱりそうなの。同盟国の歓待役ともなると、重圧を感じるわよね。でも、だからといって無理のしすぎは駄目よ。リティスは根を詰めすぎるところがあるから心配で……」

 エマは真剣な様子だが、リティスは思わず頬を緩めた。

 クルシュナー男爵家にいた頃、いつも似たようなやり取りをしていた。エマもトマスも面倒見がよくて、だからこそ彼らに報いるため必死だったあの頃。

 彼女の変わらぬ優しさに触れ、それだけで元気が湧いてくるようだった。

「ありがとうございます。根を詰めすぎないよう、頑張りますね」

「だからそれがよくないって言ってるのに……本当に、あなたをアイザック殿下に任せて大丈夫なのかしら。また心配になってきたわ」

 エマは、徹底的にリティスの味方という構えでいるため、アイザックにはことさら厳しい。どれほど懇切丁寧に素敵さを説いても減点対象を探し出すので、リティスも発言には慎重にならざるを得なかった。

「あの、殿下には、とてもよくしてもらっていますよ……?」

 リティスはか細い声ながら、精いっぱい婚約者を擁護する。

 ついでに、抱き締め合っている内に眠ってしまった昨晩のことを思い出し、つい赤面してしまう。

 朝目覚めた時には寝室のベッドの上だったので、わざわざアイザックが運んでくれたに違いなかった。

 ――温かくて心地よいからって、私ったらどれだけ迷惑をかければ……。

 婚約しているのだから問題ないだろうが、正式に婚姻を結ぶまでは節度ある関係を保った方がいいだろう。

 分かっているのに無防備になって、アイザックに甘えてきって。

 ――アイザック様に、どう思われたかしら……? もし、ふしだらな女だと呆れられていたらどうすれば……。

 恥じ入るリティスに気付かず、エマは正面のソファで腕を組み嘆息する。

「まぁ、アイザック殿下が拗らせきっているせいで恋愛下手っていう問題は、後回しにするとして。その交流会に関してなんだけど、もしかしたら私の――……」

「――今、素晴らしく甘美な感情を探知したわ」

 静かに発せられた声音が、突然エマの台詞を断ち切る。

 静かだが、やけに重々しい声。

 怪訝に思ったエマと共に振り返ると、部屋の隅で大人しくしていたルシエラが、迫力のある笑みを浮かべて立っていた。

「ねぇ、リティス。今何を考えていたの? もちろん殿下のことよね? 殿下とのかぐわしくも芳醇な日々を頭の中に思い描いていたのよね?」

「か、かぐわしくも芳醇な日々……?」

「詳しく。そこのところ詳しく」

 ルシエラが怖い。

 ずいと顔を近付けてくる少女に、リティスは後ずさった。

「ちょっと、ルシエラったら!」

「……私の主に何をなさっておいでですか?」

 止めようとするエマに、紅茶の用意をしてきたスズネの乱入。

 にわかに騒がしくなり、エマの発言は中途半端なままうやむやになってしまった。



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