紹介を受け、もしかしてという思いは確信に変わった。
王太子妃クローディア。
ルードルフと結婚をする前は侯爵令嬢で、今は二児の母でもある。遠目には見たことがあったけれど、間近でとなると圧倒的な存在感だ。
クローディアは、意志の強そうな瞳を弓なりに細めた。
「初めまして。リティスさん、とお呼びしてもいいかしら? 交流会を通じて、これから仲よくさせていただけると嬉しいわ」
彼女の美しい礼に見惚れていたリティスは、慌てて立ち上がった。
「初めまして、リティスと申します。どのようにでもお呼びくだされば幸いです。こちらこそ、よろしくお願いいたします」
返礼をしている内に、はたと気付く。
クローディアは、『交流会を通じて』と言った。
初対面の挨拶を見守っていたユレイナが、いたずらが成功した子どものように笑う。
「えぇ。彼女こそ、あなたを交流会で補佐してくれる方よ」
「ク、クローディア妃殿下が……?」
そういうことだろうとは思っていたが、補佐にしては豪華すぎやしないか。並んでみれば、完全にリティスの方が添えものだろう。
真紅のドレスを着ているせいもあり、彼女はまるで大輪の薔薇だ。
対するリティスは、せいぜいかすみ草くらいではないだろうか。ますます荷が重い要素が増えただけのような気がする。
リティスの弱気が、久々に顔を出す。
やはり交流会での歓待役など不相応だ。一つの失敗が国同士の関係にひびを入れかねないというのに、王子妃教育を受けはじめて日が浅い人間が関わっていいはずもない。
リティスはユレイナを振り返った。
「ユレイナ様……」
王妃はにこやかな表情のままだが、こちらの不安を見透かすかのようにきっぱりと言い切った。
「同盟国にあなたを、『第二王子の婚約者』としてお披露目する場になるわ。どうか精いっぱい励んでちょうだいね」
リティスは即座に理解した。
つまり、拒否権はないのだ。
容赦がない。
隣の席についたクローディアも、微笑んで頷いている。
「『ユレイナ様』、とお呼びしているのね。ではリティスさん、私にも敬称はいらないわ。これから密に交流をもつことになるのだもの」
つまり、彼女は交流会の補佐役を務めることに、むしろ前向きだと。
逃げ場もない。
リティスは覚悟を決めるしかなさそうだった。
「……精いっぱい、務めさせていただきます」
ユレイナから与えられた任に応じ、座ったまま礼をとる。
王妃は鷹揚に頷いた。
せめて、交流会までにもっと周辺諸国について見識を深めよう。二ヶ月という短い期間の中でも、できることはきっとあるはずだ。
そこからリティスは、交流会について詳しく聞くこととなった。
説明をしてくれるのは主にクローディアだ。
「交流会の歴史は、それほど古いものではないわ。三十六年前、南方大陸からの侵略行為があったの」
攻めてきたのはカルタゴンという国で、大規模な艦隊を所有していた。
未知の技術で作られた船に、知らない言語。海沿いの国々にとって、カルタゴンの異文化は脅威に映った。
そこで手を取り合ったのが、ルードベルグ王国を含めた四ヶ国だった。
「同盟は、その当時に結ばれたものなの。カルタゴンの目的はこちらの大陸を探索することだったから、結局戦争にはならなかったのだけれど。それまで互いに行き来のなかった大陸同士、南方大陸にとってこちらは未開の地だったのよ」
三十六年を経た今、カルタゴンをはじめとする南方大陸とは、ごく友好的な関係を築いている。
先日貿易について学んだ際、カルタゴンの名も出てきた。あちらの大陸で採れる珈琲という豆の一種が、嗜好品として一般に流通している。
クローディアは王太子妃だけあり、さすがに博識だった。
それだけでなく所作の一つ一つが洗練されていて、つい目を惹かれる。
同じことをしているはずなのに、リティスとは何かが違う。生まれながらに培われてきた気品とでもいうのだろうか、美しいのに嫌みがないのだ。
あの完全無欠なルードルフが好きになったのも分かる。
挨拶を交わしたばかりなのに既に尊敬しつつあったリティスは、彼女に見惚れていたらしい。不思議そうな視線を向けられ、ようやく我に返った。
「たいへん申し訳ございませんっ……不躾に、失礼をいたしました……!」
クローディアは大して気にする素振りもなく、美しい顔に苦笑を浮かべた。
「いいえ、いいのよ。大抵は初対面の子に怯えられるから、好意的なあなたの態度が珍しいと思っただけなの」
「怯えられる、のですか?」
確かに目力は強いし、真っ赤に色づいた唇を片側だけ引き上げれば、まるで歌劇の悪役のような印象を与えるだろう。
だがそれは、あえて彼女自身が演出している部分ではないだろうか。
真紅のドレスも、それに合わせた化粧も、クローディアの本質ではない。
好戦的な部分をあえて前面に押し出すことが、彼女の生きる上での戦略なのだろう。
実際強いのだろうが、優しさも併せ持っている。
そうでなければ、ここまで甲斐甲斐しく義妹候補の面倒を見ない。『スキモノ未亡人』としていつも色眼鏡で見られていたリティスだからこそ、分かるのかもしれないが。
――それでも、わざわざ怯えることはない気がするけれど……。
心底疑問に思っていることが、リティスの顔に出ていたのだろう。
クローディアは声を上げて笑った。
「控えめな女性かと思いきや、面白い方ね。アイザック殿下も、なかなか女性を見る目がおありのようだわ」
これは、褒められているのだろうか。
アイザックも絡めてからかわれているようで、リティスは赤くなって縮こまった。
クローディアは、柔らかく目を細めてこちらを覗き込んだ。
「実はアイザック殿下から、あなたの話は何度も聞いていたのよ」
「アイザック様が……?」
「『か弱くて愛らしい』と惚気ておきながら『怒ると怖い』なんておっしゃるから、正直なところ人物像が一致していなかったの」
アイザックは、何てことを言っているのだ。
『怒ると怖い』なんて完全な悪口ではないか。
消え入りたい気持ちでますます身を縮めるリティスだったが、クローディアは軽やかに微笑んだ。
「けれど、今話してみて分かったわ。あなたはとても柔軟で、器が広いのね。アイザック殿下も、あなたのそういう本質的な部分に惹かれたのでしょう」
ピンと伸びた背から力を抜くと、彼女の印象はとても穏やかなものに変わる。ゆったりとした笑みにも飾らない美しさがあった。
どちらかというと、こちらがクローディアの素顔なのだろう。
凛々しい彼女も自然体の彼女も、どちらも魅力的だった。
リティスもまた肩の力を抜いて、普段通りの笑みを浮かべた。
「……ありがとうございます。クローディア様の方こそ、そういった内面の美しさが、ルードルフ殿下を惹き付けて止まないのでしょうね」
感想をそのまま口にしただけなのに、クローディアは思いきり噴き出した。
そうして苦しそうに笑い出すから、リティスは戸惑い目を瞬かせる。
「残念ね。私達は、利害の一致で結婚したのよ。人当たりのいい彼には、有象無象が寄ってくるでしょう? そういった手合いを跳ね除けるには、私のような強面がちょうど適任だったというわけ。私の方も煩わしい父親がいるから、損得勘定で割り切ってね」
完全な政略結婚だと言いたいのだろう。
だがリティスは、自信満々で首を振った。
「そういった理由もあるのかもしれませんが、決してそれだけではないと思います。ルードルフ殿下は、自分が楽をするために安易な道を選ぶ方ではないはずですから」
ぞんざいに扱ったり憎まれ口を叩いたりしているけれど、アイザックが慕っているのが何よりの証拠だった。
そして聡明なクローディアだって、婚姻を逃げる手段になどしないはずだ。
背中を預けられるほど信頼していて、けれどそれだけではない。
一緒にいることで心に触れる何かがあるから、互いを選んだのだろう。だから結婚から何年経っても、両者の表情は色褪せず晴れやかなのだ。
クローディアは、目映い笑みと共に頷いた。
「――えぇ。もちろん私も、あの方を心から尊敬しているわ」
リティス達は一緒になって笑い合った。
本音を少しずつ見せ合ったことで、より親交を深められた気がする。そして、この先きっともっと仲良くなれるだろう。
「今度またゆっくりとお話ししましょう。ルードルフとの馴れ初めを教えてあげる」
「はい。ぜひお聞きしたいです」
次の約束をしたところで、のんびり紅茶を飲んでいたユレイナが声を上げる。
「ずるいわ。その時は、私も仲間に入れてちょうだい」
「ふふ。では、女子会ですね」
「とても楽しそうです」
女子という輪から外されてしまったケインズだが、妻の嬉しそうな表情を眺めながら、終始黙って微笑んでいた。
その日も、宮に戻ったリティスは、スズネにマッサージをしてもらっていた。
充実した一日だった。
交流会の歓待役については寝耳に水だったが、リティスは早くも前向きに捉えていた。
クローディアが補佐についてくれるなら、何とか務め上げられる。リティスも彼女頼りになりすぎないよう、より一層勉強に力を入れなくては。
明日からの予定を数えながら、またとろとろと微睡みかける。
するとリティスの肩を、スズネが遠慮がちに揺さぶった。
「リティス様――アイザック殿下がお越しです」