目次
ブックマーク
応援する
1
コメント
シェア
通報
第30話 恐怖から逃げられない

 これには数多くの貴族達が賛同を示した。

「おぉ、そうだ!」

「我々も、為すべきことを!」

「それこそが高貴なる者の義務だ!」

「あぁ、憐れな令嬢のために!」

 やはり狡知に長けたボルツは、一筋縄ではいかない。

 再度盤上をひっくり返すことはできずとも、圧倒的に不利な状況で抜け目なく逃げ道を模索している。

 貴族達もそれぞれルシエラ捜索に加わることで、ボルツが広間を抜け出す不自然さは失われてしまった。

 誰もが思い思いに動き出し、広間の人影がまばらになっていく。ボルツもまたこちらを警戒しつつ、会場を出て行った。

 当然監視をつける手筈になっているので滅多なことは起きないだろうが、ここで油断はできない。

 あからさまな演技をやめたエマが、冷静な顔でこちらを振り返る。

「――殿下、リティス。私達は侯爵の控えの間に、先回りしておくわ」

「分かった。俺達は陛下に成り行きを報告してから、捜索に加わろう。兄上にも状況を把握してもらわねばならないしな」

 リティス達も頷き合い、即座に行動に移った。

 国王夫妻への報告を迅速に済ませると、次に騎士団と合流するために動き出す。

 早足で歩きながらアイザックが呟いた。

「さて、ボルツ・レイゼンブルグはどう出るか……」

「えぇ。破れかぶれになって、凶行に及ばねばいいのですが……」

 向こうはルシエラという弱点を握っているけれど、こちらにもボルツの悪事を語る証人がいる。スズネが捕縛した誘拐の実行犯だ。

 互いに弱みを握り合っている状態で、そうそう過激なことはできないはずだった。

 少なくとも、男爵家の令嬢であるルシエラに危害を加えるような真似をすれば、己の首を絞めるだけ。この状況を打開するのはさすがに厳しいだろう。

 けれど、そこはボルツが相手。ルシエラを救出するまでは気を引き締めねばならない。

 その時、アイザックの元に壮年の騎士が歩み寄ってきた。

「殿下、ご報告申し上げます。部下の一人が、中庭にて何やら怪しい人影を見たという証言を掴みました」

「中庭? 侯爵の控えの間とは、別の方角にあるな……」

 彼は訝しげに眉根を寄せる。

 動きがあるならレイゼンブルグ侯爵家にあてがわれた控えの間付近だろうと、あたりをつけていたのだが。

「不自然だが、確かめないわけにもいかないだろう。構わないか、リティス?」

「もちろんです」

 リティス達は騎士の案内に従って歩きだした。

 壮年の騎士は、どうやら騎士団長だったらしい。

 頑健な体に歴戦の猛者たる風格、高い地位にあるというのも頷けるところ。

 アイザックに紹介されたが、今は一刻を争う非常時。悠長に挨拶をしている暇はないので、互いに道中での慌ただしい名乗りとなった。

 そうして、中庭にたどり着く。

 王妃ユレイナの影響だろうか、庭園は色とりどりの秋の花で装っていた。

 鑑賞する者のため、あちこちにランタンが設置されている。中にはろうそくの灯った燭台も交じっており、時折炎が風に揺れ、幻想的な空間を演出していた。

 冷たい風が頬を撫でれば、酔い覚ましにそぞろ歩くにも最適だろう。配慮の行き届いた美しい庭園に、状況も忘れて見入ってしまいそうになる。

 だがそれも、解放された広間付近のみのこと。

 庭の奥に進むほど、明かりの数が心許なくなっていく。

 確かに身を潜めやすいだろうが、逆をいえばこの暗がりで怪しい人物を目撃するというのは、難しいのではないだろうか。

 ――それなら、怪しい人影を見たという証言自体が不自然だわ……。

 ふと違和感を抱いたリティスは、何気なく騎士団長を振り返ろうとして――突然背後から口を塞がれる。

「⁉」

 瞬時に体を拘束され、抵抗する暇もなかった。

 せめて前を行くアイザックに、この事態を報せることができれば。

 だが、指先一つ動かすことができない。口元に当てられた布のせいだろう。

 ツンと鼻を刺激する匂いを嗅いだ途端、視界が歪み、意識が朦朧としてくる。

 物音を立てることもできないまま、彼の背中は遠ざかっていく。

 ――アイザック様……‼

 叫びは声にならない。

 やがてアイザックの姿は、鬱蒼とした木々に阻まれ見えなくなっていった。



「リティス……?」

 共にあったはずの足音が途絶え、アイザックは振り返った。

 しんと静まり返った気配。なぜかリティスだけではなく、騎士団長の姿さえなくなっている。

 そこにはただ、色濃い闇が広がるばかり――……。


   ◇  ◆ ◇


 ぽっかりと目を覚ませば、ぼんやりとした視界に、薄ら寒い光景が広がっていた。

 どこもかしこも石造り。松明が灯す石壁は湿り気を帯び、不気味に照り輝いている。石牢のような場所だ。

 リティスはいつの間にか気を失っていたらしい。

 今自分がどこにいるのか、想像すらつかない。だが、誰に捕らわれているのかは容易に予測できた。

「……お父様」

 松明の向こうからゆらりと姿を現したのは、父ボルツだった。

 酷薄な笑みを浮かべ、愛用のステッキで石畳を軽快に鳴らしている。

 背後に従えているのは、先ほど知り合ったばかりの騎士団長だ。

 不審な人物どうこうというのも、リティスをおびき出すための陽動だったらしい。まさか騎士団長にまで父の影響が及んでいるとは思わなかった。

 ボルツは顔に笑みを張り付けたまま、口髭を撫でる。

 微笑んではいるものの、苛立っている証拠だった。

「――さて、リティス。勝手なことをしてくれたものだな」

 ステッキの音が耳障りで、話に集中できない。

 ボルツは八つ当たりのように、幼いリティスにステッキを振り上げていた。

 その恐怖が甦り、手足が拘束されているわけでもないのに立ち上がることができない。石畳のせいだけでなく、体の芯から冷えていくような気がした。

 それでもリティスは、懸命に自身を叱咤する。

「お父様、愚かな真似はもうおやめください。このようなことをなさっても、これ以上はどうにも……」

「いいや。まだどうにでもなるさ」

 声の震えを見抜かれたのだろうか、ボルツが愉悦に目を細める。絶対的優位性を感じさせる嫌らしい笑みだった。

「お前は何も分かっていないな……見たか、殿下のあの顔を? 冷徹な笑顔の仮面を張り付けた辣腕とまで呼ばれ、隙のなさで人間味すら感じられなかったあのアイザック殿下が、まさかお前などに執着なさるとは!」

 心底おかしそうに哄笑するボルツの声が、石造りの空間に反響する。

 リティスは、浅い呼吸を懸命に繰り返していた。

 動悸が激しく、耳鳴りがする。ゆわんと視界が歪み、白んでくる。

 絶望の象徴だったステッキが、いつ飛んでくるか。そればかりが気になって、まともに会話をしていられない。

 まるで父の独壇場だった。

「風変わりなことだが、殿下は心底お前に惚れ込んでいるようだ。――だからこそ、そこにつけ入る隙がある」

 怖い。こわい。

 恐怖に縮んだ体を、さらにぐっと丸める。

 このまま、嵐が通り過ぎるのを静かに待っていればいい。

 父の怒りが収まるまでじっとしていれば、こわいことは全部終わる。

 ちょっといたいだけ。くるしいだけ。

 そうすればおわりがくることを、リティスはしっている。

 ボルツの足音が、ステッキの音と共に近付いて来る。

 無意識に体が跳ねた。

「分かるか、リティス? お前が殿下の弱みなのだ。お前がこちらの手の内にあれば、あの方はもはや何もできまい。私がクルシュナー男爵家の長女をさらったことも、過去の取引についても――全て握り潰してくださるだろう」

 ステッキの先端で、顎を強引に押し上げられる。

 父の嗜虐的な瞳とかち合う。

「なぁ、リティス……憐れな娘よ。殿下にそそのかされ、特別な存在になれたと勘違いをしてしまったのだよなぁ。役立たずで、愚鈍で、汚らわしい血の分際で」

 悪意という名の毒が、じわじわと肌から染み込んでいく。

 リティスを見下ろすボルツの瞳は真っ暗で、まるで空洞を覗き込んでいるよう。

 何もない。温度も、救いも。

 リティスは噛み合わない歯の根を鳴らした。

 駄目なのに。

 このままでは足手まといになる。

 決してボルツの思い通りにはならないと信じているけれど、リティスがこんなところでうずくまっていては、邪魔になるだけ。

 エマやトマスの迷惑になる。

 ルシエラを助けられない。

 絶対に作戦を成功させるとスズネに約束したのに。

 何より、こんな時でもアイザックの笑顔が浮かんで……リティスの視界がにじんだ。

 ――アイザック様……アイザック、さま……。

 すがるように心の内で繰り返す。

 けれど、親しげに呼ぶ資格が、今のリティスにあるだろうか。

 こんなふうに、未だに過去から逃げ出すことができず、囚われ続けているリティスに。

『……もう今後、会うことはできません』

 命令された政略結婚に従うため、リティスが幼いアイザックに投げつけた言葉。

 少年から青年となったアイザックは、過去は取り戻せないと言った。

 一度放った言葉は取り戻せない。

 アイザックを傷付けた過去はなくならない。

 だから、あの時の後悔を、別れを――埋めていくために向き合っていこうと、彼は言ってくれた。そうしてリティスの心をすくい上げてくれたのだ。

 それなのに――……。

 ボルツがにたりと笑った。

「お前から殿下に乞えばいい。上目遣いで媚びて、すり寄って。私に逆らうなんて愚かなこと、もうお前には二度とできまい?」

 今ここで父に従えば、全てが覆るだろう。

 あの頃と何も変わらない選択肢。

 でも、仕方がない。

 おこられるのはいや。いたいのもいや。

 役立たずで、愚鈍で、汚らわしい血の分際だから、しかたない。


 …………………………本当に、それでいいの?





コメント(0)
この作品に、最初のコメントを書いてみませんか?