リティスの周囲から既婚女性達の輪が消えると、次に近付いてきたのは三人の令嬢だった。
「ごきげんよう、クルシュナー夫人」
「華やかな席に相応しい、素敵な装いですわね」
爵位を持つ者の息女というのは、その配偶者に比べてやや地位が劣る。
とはいえ、既に未亡人となったリティスからすれば上位の者ばかり。彼女達にも非礼にならないよう丁寧に辞儀をする。
「みなさま、初めまして。お褒めいただき光栄にございます」
「どうぞ楽になさって。特にグローブの美しさについて、詳しくお訊きしたかったの。そちらは、指先まで全てレースでできていらっしゃるのね」
これもまた、事前に受け答えを用意してあった。
久々の夜会で、しかも積極的に存在感を発揮しなくてはならない。
自信のないリティスは、これさえあれば話題に事欠かないのではと期待していたのだ。
「ありがとうございます。こちらは、私が手作りしたものになります」
「まぁ、手作り?」
総レースのグローブは、リティスが作り上げたものだった。
時間をかけて丁寧に完成させただけあって、華やかな夜会に着用しても恥ずかしくない仕上がりとなっている。
光沢のある白地の絹糸にも銀糸を織り込んで、薔薇模様を描いてみた。髪飾りと合わせた意匠だ。
令嬢達は、感嘆の籠もったため息を漏らす。
「素敵……」
「素晴らしいわ……」
けれどその内の一人は、ただ褒めそやすだけでは終わらなかった。
「すごいわ。私も一通りのことは習ってきたつもりだけれど、上流階級の者でも、ここまでのものが作れるのね」
称賛の中にチクリと交じった皮肉。
それを明確に感じ取ったリティスより先に、エルティアが動こうとする。
だが、助け船は思わぬところから飛び出した。
「あら。このグローブの美しさに、貴賤など関係があるかしら?」
「それに、最近は慈善活動として、手作りのものを救貧院に寄付する令嬢方も多いと聞きますわ。ねぇ、クルシュナー夫人もそうなのでしょう?」
問いかけられ、リティスは反射的に肯定を返した。
「え、えぇ。こういった作品を、バザーにも出品いたしております」
「素晴らしい心がけですわ。わたくし達も見習わなければなりません」
「えぇ、本当に」
少女達に他意はないのだろうが、皮肉を口にした令嬢は目に見えて狼狽している。親しい令嬢達から反論を受けるとは思っていなかったのだろう。
きっと彼女は、リティスにまつわる散々な噂を知っているに違いない。
たとえば両親のどちらかから聞いていたのなら、それを鵜呑みにしてしまうのは仕方のないことだ。幼い少女にとって両親の教えは絶対なのだ。
リティスはこれから、アイザックの隣に並び立てるよう努力しなければならない。だから、褒め言葉の裏で貶めるような発言を放置するわけにはいかない。
それでも、これ以上彼女を責め立てる気にはなれなかった。
既に友人達から窘められているし、まだ年若く未熟なのだ。間違えることだってある。
リティスだって、老男爵にいいように振り回された苦い過去があるのだから。
「みなさまも、刺繍はお好きですか? どのようなモチーフがお得意なのか、聞いてもよろしいでしょうか?」
リティスが問いかけると、令嬢達からはすぐに答えが返ってくる。
「私は、鳩とクローバーのモチーフが好きです。けれど兄には『オウムみたいだ』って笑われてしまいますの」
「わたくしは、葡萄のモチーフをよく刺繍いたします。家紋に使われているものなので、家族が喜んでくれるのです」
それぞれの微笑ましい答えに頷くと、リティスは皮肉を言った令嬢にも水を向けた。
「では、あなたは?」
彼女は、虚を突かれたように目を瞬かせる。
「わ、私……?」
「えぇ。お若い方々の間ではどのようなモチーフが流行しているのか、興味があります」
令嬢はうろうろと視線を彷徨わせたあと、恥ずかしそうに頬を染めた。
「……私は、花の刺繍が得意です。薔薇や百合、勿忘草も……」
リティスは、彼女が頬を赤くしている理由にピンときた。
勿忘草には『真実の愛』などといった花言葉があり、恋人同士が贈り合う定番のモチーフでもあるのだ。
やはりリティスは、微笑ましく感じずにはいられなかった。
「勿忘草でしたら、青紫色の刺繍糸をお使いになりますよね。よろしければ、今度クルシュナー家の商会で扱っている刺繡糸をお送りさせてください。発色が鮮やかですし、個人的に一番使い勝手がよいのです」
敵意を向けてきたからといって、全てが敵ではない。
いつか、容赦なく対処しなければならない日が来るかもしれないが、そもそも敵を完全に排除することは不可能なのだ。
それなら、いたずらにことを構えず良好な関係を築いた方が、ずっといい。根が小心者のリティスには、今のところこれが限界だとも言える。
他の令嬢達も交ざって、刺繍やレース編みのコツについて話しはじめる。
次第に周囲には、好意的な関心を寄せる者ばかりが集まるようになっていた。
けれどそこに、不躾に近付いて来る者達がいた。
今度は、複数名の男性だ。
リティスは緩んでいた気を引き締める。
上流階級の女性らしいやんわりとした嫌みに対処するのもたいへんだったが、彼らの方がよほど厄介かもしれない。
『スキモノ未亡人』という噂を真に受け、あからさまにリティスを蔑んでいるのに、好色そうな視線を隠そうともしない。ものすごく厄介な気配だ。
「やぁ。秘されていたクルシュナー家の花を目にすることができるとは、今宵は特別なことが起こりそうだね」
三十代くらいの男性は、挨拶もそこそこに横柄な態度で話しかけてくる。
リティスの周囲に集っていた令嬢達は、困惑げにしながらも場所を譲った。
「……初めまして。リティス・クルシュナーと申します」
これで、リティスと男性達が初対面であることは、周囲に伝わったはずだ。
エルティアが送ってくる目配せに、リティスは小さく首を振った。
ディミトリ公爵夫人が守ってくれるなら心強いけれど、頼ってばかりではいけない。この程度の窮地、自身で対処できるようにならなくては。
男性達は、リティスを小馬鹿にして笑い合う。
「クルシュナー夫人は確かに美しいが、その表現はさすがに失礼ではないかね?」
「その通り。花と称するには、少々とうが立ちすぎている」
「君達、自身を顧みたまえよ。我々こそ、クルシュナー夫人にどうこう言える年齢ではないだろうに」
「違いないな!」
リティスを置き去りにして、男性達は下品な笑い声を上げる。
あえて下位のリティスから名乗ったのは、最低限の礼儀すら失している彼らに対する『挨拶を忘れているのではないか』という遠回しな進言だった。
それを理解した上で、男性達は知らないふりをした。
それだけでもう十分だった。
――この人達に無礼を働くことを、躊躇う必要はない。
リティスは不安で加速する心臓を宥めつつ、笑みを浮かべた。
「――みなさまのように素敵な殿方からお褒めいただけるなんて、嬉しい限りですわ」
吸い込まれそうな深緑の瞳を縁取る長い睫毛と、控えめな桃色の唇。
リティスの清楚で可憐な様子には、自らの噂を払拭するような愛らしさがあった。
男性陣は笑うのをやめ、欲望を隠そうともせずリティスを見つめる。
さらに一歩進み出て間近で覗き込むと、彼らは揃って締まりのない顔になった。
瑞々しい花の匂いの香水が鼻腔をくすぐり、男性達はさぞ酔いしれていることだろう。何しろ王宮の侍女が用意した選りすぐりの逸品だ。
リティスはさらに笑みを深めた。
「ただ、ご覚悟はおありかしら? 私と関係を持った途端、ご不幸になられる……という可能性もありますもの。よくお考えになってくださいませ」
『遺産目当てで後妻となった毒婦』、『スキモノ未亡人』。
それらの噂の真偽を確かめることすらせず、面白おかしくはやし立てる。
そういった輩にはこれだけで十分だった。
リティスが老男爵に何かをしたわけでもないのに、勝手に想像を働かせて勝手に怯えてくれる。
案の定、男性陣は勝手に青ざめてくれた。