ルードベルグ王国では、社交期が終わる秋口に盛大な夜会が開催される。
収穫祭、という名目ではあるものの、実質はただの社交だ。
王都に集まった貴族達は、それぞれの領地に帰って冬を越す。そのため別れを惜しむ意味を込めて催される、毎年恒例の行事だった。
この日は爵位を持っている者や、莫大な財を持つ商人、様々な分野の著名人などが、こぞって王宮に集まる。王族もまた参加を義務付けられていた。
「……また、何もなかった? 思いを伝え合ったというのにか?」
ルードルフが、信じられないとばかりに重ねて訊き返した。
アイザックはうんざりとした思いで兄の視線から逃れる。
収穫祭当日は、日が沈みはじめる頃から夜会がはじまる。
収穫祭という名目に合わせて会場には多くの飲食物が並び、それらを楽しむ貴族達は早くも浮かれた雰囲気を醸しはじめていた。
入場は下位貴族から行われるので、王族の出番はかなり後半。アイザック達は支度を整えたのち、控えの間で揃って待機していた。
「それどころじゃなくなったんですよ。それは兄上もよくご存じでしょう」
「当然分かっているつもりだが……本気か? よく我慢できたな……」
「そもそも、思いを伝えるのに精一杯でしたので」
「それで晴れて両思いとなったなら、否応なく盛り上がるだろう。長年思い続けていた初恋の相手ならなおさらだ」
「……いい年をした男二人の会話で両思いという表現を使うの、やめませんか?」
華やかに着飾った王族の兄弟が何を話しているかと思えば、恋についてとは。万が一他人に聞かれればいい噂になりそうだ。
クルシュナー男爵家の長女・ルシエラが誘拐されたという緊急報告を携え、スズネが寝室に駆け込んできたのは、三日前のこと。
その後、王都郊外にある屋敷から馬を走らせたクルシュナー夫妻が、王宮に到着。彼らを交えて話し合いの場が設けられた。
もちろん、リティスも関係者として同席させた。
実の父が犯罪に関わっていると知った彼女に、これ以上情報を制限することはできなかった。
アイザックとしては、できることなら安全なところで、何も知らせずに守っていたかった。これまで苦労してきた分、ただ愛情を注がれ幸福を享受してほしかったから。
だが、彼女自身がそれを望まなかったのだ。
とりあえずそれぞれが仮眠をとり、翌日早朝。話し合いの場に現れたリティスは――激しい怒りに燃えていた。
子どもの頃から彼女を知っているが、怒っているところを見るのは初めてのこと。
衝撃的だった。
これまで調査で知り得たことを黙っていたアイザックに対して怒っているのではと、思わず反射的に謝ってしまいそうになったほど。
けれど、彼女が怒りを向けているのは、実父であるボルツだった。
どのような理由があれ、子どもを誘拐するなど断じて許しがたい。
ただの暴挙であり、重大な罪。決して言い逃れのできない状況に追い込み、罪を認めさせる。クルシュナー男爵家への償いを要求する。
それが、実の娘としてのけじめだと。
……白状しよう。
正直、ますます惚れ直した。
誰かのために本気で怒れるリティスが、アイザックには誇らしかった。これほど素敵な女性がいるだろうか。
あの日のリティスの決然とした美しさを思い返し、アイザックは微笑んだ。
「リティスが王子妃になるとしても、煩雑な公務などは俺が一手に引き受ければいいと思っていました。ただ宮の中で、誰の目にも触れないよう守っていればいいと」
リティスが既婚者だったという事実は変えられない。
その点を突く貴族がいなくなることはないだろう。王族の妻に相応しくないと、いつまでも瑕疵として糾弾し続ける。
そんな耳障りな批判から遠ざけて、彼女に静かな暮らしを与える。
それが自分にできる唯一の愛情表現だと、心から信じていたのだ。
アイザックが気持ちを吐露すると、ルードルフは肩をすくめて笑った。
「どうやら、狭い世界に閉じ込めておける女性ではなかったようだな。控えめな女性という印象だったが、王太子という立場で言わせてもらうとありがたいくらいだぞ。王族の妻たるもの、慎ましさより強かさが求められるものだ」
「そう……ですね」
表舞台に立つようになれば、彼女自身が批判にさらされることになるだろう。
けれど、きっとその程度で屈しはしない。
今夜の作戦だって、リティスが主導で考えたものなのだ。
注目され、危険にさらされる可能性があるのに、自身すら駒として利用する。恐ろしく大胆な作戦に、ルードルフをはじめとする面々ですら従わざるを得なかった。
アイザックはそこに、毅然と立ち向かっていく未来の王子妃の姿を垣間見た気がした。
「せっかく恋人になれたのに、甘い雰囲気どころか事務的な会話しかしていないな、という思いはありますが……いいんです。リティスがやりたいことを全力で支える。それが、恋人として俺にできることなのだと分かりましたから」
「……順調に尻に敷かれているな」
「本望です」
「うわぁ……」
ルードルフは、自信に満ちた笑みを浮かべる弟に一抹の不安を感じ、遠い目になった。
◇ ◆ ◇
【子を無事に返してほしければ、証拠品との交換が条件。また、誘拐や調査について、今後一切他言しない契約を交わすことも、条件に含めるものとする】。
未明に王宮へと到着したトマスがもたらした続報は、レイゼンブルグ侯爵が提示したルシエラ解放の条件だった。
取引に指定された場所は、収穫祭の夜会の会場。
ボルツがこのような蛮行に走るなど、リティスには信じがたかった。
実の父として慕っていたからではない。
冷酷で容赦ない反面、貴族としての体裁を重んじる人間だと知っているからだ。
ボルツは社交の場で、若くして未亡人となったリティスを思う、優しい父を演じている。
その一方で、老男爵が広めた噂を否定もせず、嘆くふりをしていた。そうして周囲の同情と関心を集めているのだ。
温厚で、家族思いと評判の侯爵。
ボルツが社交界で築き上げた人物像を傷付ける行いに走るとは、思っていなかった。
ルシエラ誘拐の知らせを受けた翌日。リティスは、それまで知らなかった様々なことを聞かされた。
トマスとアイザックが調べていた怪しげな取引。おそらく取引内容は大麻で、老男爵と父が協力関係にあったこと。秘密裏に調査を進めていたはずが侯爵に気取られ、人質としてルシエラがさらわれてしまったこと――……。
驚愕の事実ばかりだったけれど、リティスはどこか腑に落ちた気もした。
なぜ自身が、前クルシュナー男爵に嫁がされたのか。
リティスを嫌う父の嫌がらせだと考えていたが、おそらくそれだけではなかったのだろう。ボルツは老男爵との関係をより強固なものとするために、娘を売ったのだ。
それに以前、リティスがアイザックの閨係であることを、なぜ父が把握していたのか疑問に思ったことがある。
噂を耳にしたというには早いし、情報も正確だ。既に嫁いだ娘の動向を、王家がわざわざ知らせたとも考えにくい。
リティスは、ボルツに監視されていたのではと推測していた。
こちらの軽はずみな行動が、レイゼンブルグ侯爵家の不利益にならないように、という意図だと解釈していたのだが――もし、その警戒がリティスではなく……クルシュナー男爵家に向けられたものだとしたら?
一度、ボルツの立場で考えてみる。
協力関係にあった老男爵が亡くなり、彼に仕えていた元執事なども消え、大麻にまつわる秘密を知る者はいなくなった。
けれど万が一にも証拠が見つかったら?
それを発見したのが、男爵のあとを継いだトマスだったら?
トマスは聡明だ。彼が僅かにも怪しみ、それを王家に報告するとしたら――……。
そういった懸念を、抜け目のないあの男は決して放置しないだろう。
心底、虫唾が走った。
あまりに利己的な理由でルシエラを誘拐したこと。全てが自分の思い通りに運ぶと考えている、傲慢な浅はかさ。
リティスは、自分が我慢すればいいと思っていた。
けれど、違う。
身内であるリティスだからこそ、あの男を止めなければならないのだと……ようやく気付いた。