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第14話 国王夫妻と楽しくお茶を……という謎の試練

 リティスは王宮の敷地内を、馬車に揺られていた。

 王族の住まいであり、政をつかさどる場所でもあるため、当たり前に移動手段は馬車。規模が違う。

 嫌な予感の通り、やはり緊急事態だった。

 国王夫妻への目通り。

 なぜ、閨係が国の頂点から呼び出されるのか。お茶を一緒にという言葉の中に、リティスには想像もつかないような暗号が込められているのか。

 分からない。分からないが、呼び出しを無視するという選択肢はあり得ない。時間が空いていなくても即座に駆けつけねばならない案件だ。

 リティスは戦々恐々としながら、初めて滞在中の宮を出ることとなった。スズネが専属侍女として同行しているのがせめてもの救いだろう。

 リティスは必死に頭を悩ませる。

 国王と王妃に呼び出されるほどの失態を、知らぬ内に仕出かしてしまったのだろうか。

 しばらくそうして考えている内、雷に打たれたように答えに行きつく。

 国の頂点である前に、国王と王妃はアイザックの両親ではないか。

 ならば用件は間違いなく――閨に関すること。

 ――も、もしかしたら、閨係不適格かどうかを、見極めるために……⁉

 リティスは恐怖のあまり、小刻みに震えはじめた。

「リティス様? どうされました?」

 挙動を不審に思ったのか、馬車の正面に座したスズネが訝しげに問う。

「スズネ……本当にごめんなさい。私のせいで、あなたに迷惑がかかるかもしれないわ……」

 彼女だけでなく、クルシュナー男爵家まで巻き添えになってしまう。それだけは避けたかったのに。

 必死になって色仕掛けする浅ましさを顧みたばかりだったはずが、やはりもっと自分に色気があればよかったのにと途方に暮れる。

 この呼び出しが、真実アイザックの閨教育についてだとしたら。

 ……閨係としていたらないリティスへの、最後通牒を突き付けられたような気がした。

 しおれるリティスに、スズネは淡々と返す。

「迷惑なら既に十分かけられておりますので、今さら謝罪など必要ございません」

「ひどい……けれど、スズネなりの激励なのよね……ありがとう。こんなにも親身になってくれたあなたに報いることのできない、不甲斐ない私を許してね……」

 いよいよおかしいと思ったのか、彼女は珍しくくっきりと表情を歪めた。

 せっかく心強い味方を得たと思った矢先に、このような展開が待ち受けていようとは。

 国王夫妻に対して虚言など許されない。

 閨係の進捗について追及されれば、リティスは真実を話すしかないのだ。

 経験皆無なことが露見するのも時間の問題。

 リティスは思い残すことのないようさらに続ける。

「心から申し訳ないと思っているの……あなたの優しさを無駄にしてしまうなんて……せめて――……」

「何か悲観していることだけは分かりましたから、落ち着いてください」

 喋っている途中なのに、素っ気なく話を打ち切られた。

 だんだんリティスの扱いが粗雑になっているような気もするし、それが彼女からの信頼の証のような気もする。微妙なところだ。

 スズネは、小さな子どもに言い聞かせるような口調で語りかける。

「国王陛下ご夫妻は、とても穏やかなお人柄です。本当にただリティス様をお茶にお誘いしたかっただけかと思われますので、牢獄送りや打ち首などの心配はございませんよ」

 打ち首までは想像していなかったが、あり得るかもしれない。

 ますます青ざめるリティスに、スズネは小さく嘆息した。

「……冗談ですよ。リティス様は殿下とも対等に渡り合えているのですから、もう少し自信をお持ちください」

 彼女の発言につられ、アイザックの姿が頭に浮かぶ。

 ――あぁ……アイザック様……。

 そうすると、まるで心に希望が灯ったかのようだった。

 何度も何度も諦めかけてきたけれど、その度に彼への思いがリティスを動かしてきた。

 昨夜の、アイザックの微笑みを思い出す。

 勇気を出して本音を告げた時、彼の心に触れられたような気がした。

 これまでは幼い頃の記憶を温めるだけだったけれど、これからもっとたくさんの思い出を作ることができるのだと、そう予感した。

 アイザックとしたいことも、言いたいこともたくさんある。

 そうだ。諦めるにはまだ早い。

 これまで何度も危機的局面を乗り越えてきたように、今回も何とか頑張るしかない。

 ――嘘はつけない……けれど、気付かれないよう誤魔化すことなら、あるいは……?

 真実に嘘を紛れ込ませて、核心に触れさせない。

 難しい芸当だが、それさえできれば閨係のすげ替えを回避できるかもしれない。

 リティスは座席から身を乗り出し、スズネの両手を握り締めた。

「ありがとう、スズネ。できる限りの手を尽くさないと、あなたにも、クルシュナー男爵家のみなさんにも申し訳が立たないもの。私、やってみせるわ……!」

 スズネが何とも言えない顔をしていたけれど、気持ちを奮い立たせたリティスはそのまま車窓に目を移した。

 整然とした庭園を抜け、白樺並木を抜け、ようやく目指す建物が見えてきたようだ。

 純白の外壁が目映く、気高さを感じる宮だった。

 さりげなく施された彫刻、屋根の破風の芸術的な美しさ。丸みを帯びた柱は一つ一つが大理石でできているようだった。シンプルな中に洗練された華やかさを感じる。

 ゆっくりと止まった馬車から、リティスは委縮することなく降りることができた。

 毅然とそびえる宮に足を踏み入れる。

 内装は、滞在している宮とどこか似ていた。

 隅々まで抜かりなく整っているが、住まう者の心地よさにも配慮が行き届いている。採光窓から十分な光が差し込み、回廊に敷かれた濃紺の毛氈を柔らかく照らしている。

 初老の執事に案内されたのは、建物を抜けた先にあるガラス張りの温室だった。外に出ずとも足を運べるよう設計されているようで、新鮮に驚く。

 色とりどりの花で溢れ返る空間に、テーブルセットが置かれている。

 そこには、優しい雰囲気に包まれながら微笑む男女がいた。

「ようこそ、クルシュナー夫人」

 それぞれ、四十代に差しかかった頃だろうか。

 どっしりと威厳のある姿を想像していただけに、穏やかな空気に多少面食らう。

 白いものが混じる銀髪で鷹揚に笑う男性は、面差しがアイザックと似通っている。

 そして、美しい金髪を結い上げている上品な女性は、彼と同じ瞳の色だった。

 ――この方々が、国王ご夫妻……。

 幼い頃、アイザックから聞いたことがある。

 心配性な父と、おっとりしているけれど何ごとにも動じない母。

 全てを超越したような空気感はなく、そこにはあるのは、当たり前の日常を営む家庭。

 リティスを出迎えた彼らの眼差しは、そんなふうについ肩の力を抜いてしまうような温かさに満ちていた。

「どうぞ、おかけになってちょうだい」

 王妃から椅子を勧められ、リティスはようやく我に返った。

「ご挨拶が遅れました、リティス・クルシュナーと申します」

 慌てて、けれどそれを決して表に出さないよう、細心の注意を払って礼をとる。

 王妃は慎ましやかに微笑んだ。

「あら、ご丁寧にありがとう。わたくしはユレイナよ。王妃とか、『薔薇の方』とか『奥の君』とか、色んな呼称があるけれど、ユレイナと呼んでちょうだい」

 リティスは恐縮し、さらに頭を下げるしかなかった。

 王妃を名前で呼ぶのが不敬にあたるため、様々な呼称が存在するのだ。当人に請われたからと、おいそれとは頷けない。

 次に国王が口を開いた。

「ではせっかくだし、私も名乗ろうかな。私はケインズ。そのように呼んでくれたまえ」

 何がせっかくなのか国王まで名乗りだした。

 身分がどうこうということではなく、そもそも国の頂点に立つ者達が自己紹介をするなど、あり得ないことだった。彼らはかなり茶目っ気があるようだ。

 リティスが遠慮がちに着席すると、ユレイナが楽しそうに紅茶を淹れはじめる。恐れ多すぎるが止めることもできない。

 ここまでの展開の、全てが想定外だった。

 もはや閨係解雇の危機とか言っていられない、それ以上の非常事態だ。

 ちらりとスズネに視線を送るも、彼女は温室の入り口付近に他の使用人らと共に待機していた。何だか裏切られた気分だ。

 紅茶を淹れ、焼き菓子を用意し終えると、ユレイナがおっとり提案する。

「クルシュナー夫人……だと他人行儀な気がするから、リティスさんとお呼びしてもいいかしら?」

「もちろんにございます」

 他人行儀も何も、紛うことなく他人だ。

 だがそれを指摘する勇気などリティスにはない。


 本当にどこまでも平穏で、和やかな茶会。

 やはり何か遠大な陰謀でも隠されているのではないか――と勘繰ってしまうのは、仕方のないことだった。


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