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第11話 三度目の正直

 ホットチョコレートに入れたブランデー、たった数滴での自滅。

 前回に引き続きの失敗で挫けかけたリティスだが、それでもまだめげるわけにはいかない。

 今回は打ち解けてきたスズネにも相談し、作戦を練った。

 閨が失敗続きというのは彼女にもしっかり悟られているので、もはや恥も外聞もない。

 おそらくスズネには、とんでもなく間抜けな閨係だと呆れられていることだろう。だがそれ以上に、朝に一人で目覚めて憐みの視線を送られる気まずさは、もう二度と味わいたくなかった。

 スズネいわく。男性とは、普段と異なる状況に新鮮さを感じるものだという。

 確かに恋愛小説でも、そういった描写があった気がする。喧嘩をしたあとはいつもより熱く燃え上がったとか、馬車の中だというのに冷静さをかなぐり捨てて、とか。

 けれどそれは、常日頃から親密な関係を築き上げているからこそ、有効な手段となるのではないだろうか。

 特別な関係性にないリティスがアイザックに仕掛けたところで、そもそも気にもされない。恋人同士でも何でもない、ただの閨係なのだから……という、控えめだがごく真っ当な意見は黙殺された。理不尽だ。

 そんな彼女が用意したのは、非日常的な衣装。

 一体なぜそんな衣装を持っているのか訊いたところ『ありとあらゆる状況に対応できるよう、全てクルシュナー様のためにご用意させていただきました』と、スズネはどこかやりきった顔で頷いていた。

 有能な侍女とは、ここまで先を見越しているものなのか。

 何だか彼女の趣味に付き合わされているような、弄ばれているような気がしなくもない。

 しかも、その衣装が大胆すぎた。

 上流階級に属する女性なら誰もが躊躇してしまうような、際どい格好。堅実に慎ましく生きてきたリティスには、当然難易度が高すぎる。

 迷った。何か越えてはならない一線を越えてしまうような気がして、散々迷った。夜着とはまた違った恥ずかしさがある。

 だが、リティスにはもうあとがないのだ。

 閨係とは、本来秘めごとを手解きする者。

 どれほど際どくても大胆でも、閨自体より淫らなことはないはず。それならば、何を躊躇することがあるのか。

 リティスはついに覚悟を決めた。


   ◇ ◆ ◇


 その五日後。アイザックからお呼びがかかると、リティスはすぐさまスズネが用意した衣装に袖を通した。

 いつも案内される部屋の前で、一度深呼吸。

 どれほど恥ずかしくても、今日もまた経験豊富な未亡人を演じなければならない。この程度の衣装、当然のような顔で着こなさなければ。

 リティスは颯爽と足を踏み出す。

 それに合わせて、しゃらりと涼やかな音が鳴った。

「リティス……?」

 アイザックは予想通り、呆然と硬直していた。

 リティスの瞳の色に合わせた、若葉色のベール。金糸の刺繍が全体を彩る、透け感のある絹の衣装。腰に巻き付けた金色の布地の裾側には、金貨のような飾りがみっしりと縫い付けられており、歩くたびに音を奏でるものの正体はこれだった。

 額を飾る大胆なヘッドドレスの中央部には涙型の宝石が輝き、首や耳の飾りも揃いの意匠だ。髪飾りや指輪も華美な造りで、まさに絢爛豪華。

 遠い南にある砂漠の国には、国王のために造られた女の園があるらしい。

 そこはハレムと呼ばれ、華やかかつ大胆な衣装を身にまとった女性が集い、常に美を競っているのだという。

 リティスが着ているのは、まさにそのハレム風衣装だった。

 興味深い文化だと思う。

 女性に慎み深さを求めるベルンダート王国とは、全く異なる考え方だ。

 だが、上下に分かれた絹の衣装は、腹部に布地がなく――腰骨やへそが露出して、さすがに煽情的すぎる気がする。

 先ほどから微動だにしていないアイザックも、リティスの隠れていない部分に、目線がくぎ付けになっている。

 隠したい。本当はベッドに潜り込んでしまいたい。

 それでもリティスは、微塵も恥じらっていないふうを装い、髪を背中に流した。

「どうでしょう、殿下。今宵は少々趣向を変えてみました。灼熱の国での、めくるめく一夜をなぞらえ、いつもより熱く燃え上がりましょう」

 もう、自分でも何を言っているのか分からない。

 この状況でどう平静を保てばいいのか。泣きたい。

 一方で、アイザックもまた苦悩を色濃く宿した表情に変わっていた。

「……試練? ある意味試練なのか、これは……?」

 よろめくように一歩後ろに下がったかと思うと、彼は両手で顔を覆ってしまった。

「いや、まだだ……まだ段階を踏まなければ……今後のことを考えればこそ、一時の欲に負けるわけには……」

 何やらぶつぶつと呟いているが、くぐもっていてうまく聞き取れない。

 リティスはアイザックが心配になった。

 もしかしたら、体調が悪いのかもしれない。リティスのあられもない衣装が、彼の気力にとどめを刺してしまったのかもしれない。

 だとしたら申し訳ないやら情けないやら。

 ――やっぱり、似合っていないということよね……。

 きらびやかな宝飾品達が、途端にずっしりと重くなったような気がした。

 スズネは似合うと言ってくれたが、あれは単なる励ましだったのだろう。

 もはやリティスの方も勇気がしぼんで、閨を続けられるような気持ちではなくなってしまった。

 しおしおと項垂れながら、力なくベッドを叩く。

「……殿下。どうぞ横になり、ゆっくりとお休みください……」

 促すとアイザックはぎょっとし、なぜかやたらと狼狽えはじめた。

「なっ、いや、さすがに、その格好で共寝をするとなると、俺としても自制が……!」

「我慢なさらないでください、殿下」

「ぐぅ……‼」

 アイザックが、辛そうに胸を抑える。

 もしやかなり具合が悪いのだろうか。

 彼はベッドにふらふら近付いたかと思うと、今度は何かに耐えるように離れていく。

 葛藤が見て取れる足取り。よほどリティスに弱みを見せたくないのだろう。または、閨教育も勉学の一環と考え、休むわけにはいかないと考えているか。

「……殿下。お心がけは立派にございますが、無理をなさる必要はございません。どうかお心のままになさってください」

「そ、それでは歯止めが利かなくなってしまうだろう……っ」

「たまには、ご自分を甘やかしてもいいのでは?」

「いや……自制心を失い、獣と成り果てるわけにはいかない。大切だからこそ、こういったことは……」

「獣……ですか? 疲労時に休息をとるのは、いたって普通の行動かと思いますが……」

「…………んん?」

 あちこちに視線を彷徨わせていたアイザックが、束の間の静寂を破りこちらを振り向いた。怪訝そうな眼差しに、リティスも首を傾げて返す。

「疲れていらっしゃるのでしたら、どうか我慢なさらずお休みになってください。学ぶ機会はいくらでもございますが、殿下の大切な御身は、たった一つしかないのですから」

 リティスは休息をとるよう、再度説得を繰り返す。

 すると、こちらを見つめたまましばらく放心していたアイザックが、突然その場にへたり込んだ。

「でっ、殿下⁉」

「これは天罰なのか……」

「な、何のことですか⁉」

「いや、何でもない……。疲れてなどいないさ。あぁ、全く」

 アイザックはよろけながらも、緩慢な動作で立ち上がる。

 それでも頑なにベッドには座ろうとせず、一人ソファに腰を落ち着けた。

「話を……リティスと話をせねばならないと思ったのだ。今夜ははじめから、それが目的で会いに来た」

「そうだったのですね……。思い違いをしてしまい、たいへん申し訳ございませんでした」

「いや、お前が謝ることでもないのだが……」

 彼はもごもごと気まずげに呟いたあと、気持ちを切り替えるように咳払いをした。



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