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経験皆無な未亡人による、初恋の王太子の閨係奮闘記―なお、R18ではございません!―
浅名ゆうな
異世界恋愛ロマファン
2024年08月09日
公開日
55,130文字
連載中
四十歳以上も年上の男爵との政略結婚をしたリティスは、夫との死別後、社交界で『遺産目当てで後妻となった毒婦』、『スキモノ未亡人』と噂され、ひっそりと身を潜めるようにして生きていた。
そんな時、突然第二王子の閨係に指名される。
第二王子アイザックは、リティスにとって初恋の人。
閨係はいつか彼が幸せに結婚するための踏み台にすぎない。
それでも、ずっと秘めていた恋心が少しでも報われるのなら、やり遂げてみせる。
――そんな悲壮な覚悟で閨係を引き受けたリティスだが、男爵とはいわゆる『白い結婚』だったため、閨の経験は皆無。
とにかく恋愛小説を読み漁って本番に挑むも、空回りばかりで……。

これは、初恋をこじらせた第二王子と、同じく初恋に空回る未亡人による奮闘の記録である。

第1話 リティス・クルシュナーのプロローグ

『遺産目当てで後妻となった毒婦』、『スキモノ未亡人』。

 どちらも、ルードベルグ王国の社交界でまことしやかに囁かれている、リティスにまつわる噂だ。


 リティス・クルシュナー。年齢は十九歳。

 緩やかに波打つダークブラウンの髪はきっちりとまとめられ、森の木々を写し取ったかのような深緑の瞳はいかにも思慮深い。

 暗緑色のドレスは瞳の色に合わせたものだが、装飾が最低限で禁欲的。

 今日もリティスは、せっせと指先を動かす。

 作っているのはレースのテーブルクロス。

 リティスが製作するレース編みはちょっとした評判で、王都にある救貧院のバザーでは人気の品だった。

 綿や麻素材のものは、平民にも使い勝手のいい家庭用品に。絹で作ったものは、飾り襟など上流階級にも評判のいい服飾品に。

 棒針を黙々と動かし、繊細な図柄を編み出していく。

 薔薇に百合、蝶や鳩。規則的、あるいは大胆な幾何学模様。

 緻密な設計図もなく、寸分の狂いもなく生み出されていくさまは、まるで魔法だ。

 けれどそれは、社交界に流れる噂から耳を塞ぐようでもあった。

「――うん、上出来」

 完成したテーブルクロスを広げ、リティスは満足げに目を細めた。

 これで無事、今月のバザーに納品する分は仕上がったので、報告のため書斎へ向かうことにする。

 あくまで清貧に、堅実に暮らしているリティスが、なぜ『毒婦』と噂されるのか。

 それは、三年前の政略結婚がはじまりだった。

 レイゼンブルグ侯爵家の長女として生まれたリティスだが、家族仲が良好というわけではなかった。色々と事情があり、いらない子として扱われていた。

 望まぬ結婚を強いられるのも、ある意味当然の流れ。

 リティスは成人したての十六歳の頃、実父からクルシュナー男爵と結婚するようにと命じられた。

 顏も知らないクルシュナー男爵は、この時五十八歳。

 老男爵と亡き先妻との間に生まれ、爵位を継承する予定の一人息子すら、リティスとは一回り以上も年が離れていた。その上既婚者で、既に三人の子どももいた。

 男爵家に嫁いだ当初は、当然肩身が狭い暮らしをしていた。

 老男爵はリティスを嬉々として社交界に連れ回した。

 若い妻というのは、彼にとって自尊心を満たすための道具だった。年齢ゆえに侮られるのは矜持が許さなかったのだろう。

 奇しくも、それがリティスにとっての社交界デビューとなった。

 初めての夜会、豪華絢爛な広間。そこを優雅に渡り歩く人達。

 全て他人事のように遠く感じる中、老男爵の知人に紹介された。

 彼はリティスを、『床上手』『具合がいい』と称した。

 当時はどういう意味なのか分からなかったから、その場では曖昧に笑うしかなかった。

 けれど老男爵の口振りや周囲の反応から、褒め言葉ではないようだとうっすら感じていた。

 それが想像よりずっと下世話で、リティスを貶める意味合いだったというのは、あとから聞かされて知ったこと。

 名誉を害するひどい扱いに抗議の声を上げたのは、老男爵の息子夫妻だった。

 彼らは老男爵よりずっと理性が備わっていた。

 息子夫妻にとって、リティスは義理の母という立場になる。

 何とも微妙な関係にもかかわらず、彼らは成人したばかりで四十以上も年上の男性と政略結婚をすることとなったリティスの境遇に、むしろ同情的だった。

 リティスから老男爵を遠ざけ、噂が消えるよう尽力してくれた。

 しかし、老男爵は息子の行いを邪推した。

 息子とリティスに姦通の疑いをかけたのだ。

 もちろん、そのような事実は一切なかった。

 リティスは元々、生家でしっかりとした教育を受けていなかったから、性知識にも乏しかった。老男爵との初夜がなかったことに疑問を抱かなかったほどに。

 何が何だか分からない内に、老男爵はさらにひどい噂を吹聴するようになっていた。

『淫乱』、『スキモノ』。

 気付いた時にはもう、手遅れだった。

 元々、社交界には縁遠く、一般的な令嬢のように横の繋がりもなかった。それも災いしたのだろう。

 その二年後、男爵が老衰で呆気なく亡くなった時には、悪評の方が『スキモノ未亡人』へと進化してしまった。

 これ以上、噂好きな貴族達の餌食になるまいと、リティスは極力社交界に顔を出さず、刺繍仕事や男爵夫妻の補佐をしながら細々と暮らすようになった。

 そうして現在に至る、というわけだ。

 老男爵から爵位を継いだあとも、息子夫妻はとてもよくしてくれる。

 書斎に到着したリティスが訪問を告げると、中から入室を許可する言葉が返ってきた。

「失礼いたします、男爵様」

 書きもの机で書類と格闘しているのは、顎ひげを蓄えた優しげな風貌の男性だった。

 トマス・クルシュナー。

 老男爵のあとを継いだ一人息子だ。温厚篤実な人柄で、彼の子ども達に接するように、リティスにも温かな思い遣りをくれる。

「何年経っても他人行儀だね、リティス。あまり頑なだと、僕も君を『お義母様』と呼ぶことにするよ?」

「呼んでも構いませんが、男爵様の子ども達が混乱するかもしれません」

「そうだね。特に一番上のルシエラは君に懐いているから、泣いてしまうかも。そうなったら可哀想だとは思わないのかい?」

「そうなったら、間違いなく男爵様の悪戯心が原因でしょうに」

 トマスは渋い風貌に反して案外お茶目な紳士なので、こうして気安い態度も取れる。

 リティスとしては親しく接しているつもりだが、生家に出戻ることもせず男爵家で厄介になっている身だということも、忘れてはならないと思っている。

 レース編みの納品する準備数が整ったことを報告すると、彼は相好を崩した。

「さすがの手際のよさだね。君のレース編みがあるだけでバザーが盛り上がるから、救貧院の子達も喜ぶだろう」

 救貧院で催されるバザーの売り上げは、国からの保証が最低限でしかない彼らの生活に直結している。子ども達だけでなく運営側も本気だ。

 その助力をするのが貴族としての嗜みでもあるので、この慈善活動も決して遊びではなく、男爵家の仕事の一部なのだ。

 クルシュナー男爵家は、元々民間の一商家でしかなかった。

 それをルードベルグ王国きっての大商団まで押し上げたのが三代前の当主で、彼は慈善家でもあった。

 その功績が認められて一地方の市議となり、国の運営に関わる名誉議員となり、叙爵されたのがクルシュナー男爵家のはじまり。

 そのような経緯があるから、トマスは今も慈善活動に力を入れている。

 リティスもそれに賛同し、レース編みの腕を日々磨いていた。他にも書類仕事の手伝いなどをさせてもらっているが、これだけは自分にしかできない役割だと、密かに誇りに思っていたりする。

「早速、次のお休みに救貧院を訪問してもよろしいでしょうか?」

「そうだね……今は決算期だし、君に抜けられると困る。あと二、三日は休暇を出してあげられないけど、そこさえ乗り越えれば余裕もあるだろうから……」

「では、決算期が終わったあとの休暇に、外出させていただきますね」

「だからいつも言っているように、それでは休暇の意味がないだろう。救貧院の訪問は、決算期を終えたあとの勤務内に行ってくれればいい。たまにはきちんと休息をとることも必要だよ」

 トマスとは良好な関係を築けているが、休暇に関してのみ毎度揉めている。

 役立たずの烙印を押されて、男爵家を追い出されたくない。

 レイゼンブルグ侯爵家には後妻と、半分血の繋がった義妹弟がいる。生家にリティスの居場所などないのだ。

「問題ありません。救貧院に行くだけなら、休暇のようなものです」

 リティスがきりりと顔を上げて請け合っても、トマスは頑として頷かない。

「却下だよ。この短期間でいくつもの作品を仕上げたのだから、根を詰めすぎるのはよくない。しっかり休養を取ること」

「子ども達の笑顔を見るだけで、疲れなど吹き飛びます」

「ほら、疲れているんじゃないか」

 話し合いは平行線。

 これもいつものことだ。

「男爵様。気遣っていただけるのはたいへんありがたいことですが、私はとっくに成人しております。ご息女方のように扱っていただく必要はございません」

「子どもだよ。確かに成人はしているが、リティスは僕にとって、もはや我が子のようなものだからね」

 即座に返され、言葉に詰まる。

 トマスは珍しく、リティスに諭すような眼差しを向けていた。

「気遣っているんじゃない。いくつになろうと我が子を案じるのは、親として当然の感情だろう? 君は何でも一人で我慢しようとするから、心配なんだ」

「男爵様……」

 リティスは戸惑うばかりで視線を揺らした。

 血が繋がっているわけでもないのに、彼の温かな感情を享受してもいいのだろうか。

 我が子。家族。

 そういった扱いには慣れていないから、胸の内がくすぐったくなる。

 トマスは黙り込むリティスを眺め、満足げに微笑んだ。

「と、いうわけで僕の決定に従うように。救貧院の訪問は一週間後に頼むね」

「だ、男爵様……」

 リティスはがっくりと項垂れ、己の敗北を悟った。

 こうして最終的に言いくるめられてしまうのも、いつもと変わらぬ顛末だった。

 その時、バタバタと慌ただしい足音が書斎に近付いてくるのが聞こえた。

「――ちょっとちょっと、リティスはいる⁉」


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