「なんか、退屈だなあ」
ナルは寝床の中で呟いた。
「姉様が言うには熱がある、これからもっと悪くなるからイワナの薬を飲んで寝てろって事だけど、私本当にどこも悪くないと思うのよね。それに、あの薬凄く苦かったし」
しかし空になった器を見ていると、確かに頭がぼうっとなってきた気がする。
「春迎えの儀式には参加したいけど、本当に寝ていた方が良いかも知れない」
さすがは姉様だと感心して、ナルは瞼を閉じた。
するとその時、家の外で気配を感じた。姉が心配して戻ってきたのだろうかと思ったが、すぐに入ってこないのだから、どうやら違うらしい。レイやサキたちだろうか。
ナルは虚ろな頭で起き上がり、入り口の方へと向かった。
「誰?」
驚いたことに、家の外には自分と同い年くらいの少年が立っていた。顔立ちは少女のように整っているが体つきは間違いなく男の子だ。この鶴亀の里では、あってはならぬ侵入者にナルはぎょっとした。
「ど、どうして男がこの里に・・・」
ナルは後ずさって警戒した。
しかし少年の表情は悩み抜いて感情が無くなったかのように白く、危害を加えようという気配はない。むしろ全体的に生気が感じられず、本当に人間かと疑いたくなるとほど儚い気がした。
「おいらは・・・人を探してこの里にまで来たんだ」
その呟きで、ナルは昔誰かが言っていた話を思い出した。巫女は幼い時に豫国中から集められてくるが、離ればなれになった家族が恋しさあまりこの里にたどり着く事がごく稀にあるそうなのだ。もちろん、たどり着くまでの道のりがなだらかだったはずがない。
「お姉さんか妹を探しに来たのね。でもいけないわ。どうやってここまでたどり着いたのかは知らないけど、ここは男は入ってはいけない場所なのよ。誰かに見つかったら、どうなるか分からない」
「違うよ。おいらは母上を探してここまで来たんだ。それに今夜は春迎えの日っていう特別な日なんだろう?」
ナルはぼんやりとした意識に水を掛けられたようになった。
「そうだわ。春迎えの日の迷い人は、歓待される決まりなんだった。今までそんなこと無かったら、本当にそうするのかさえ分からないけど」
では、自分はこの少年を招き入れて、食事でも食事を振る舞えば良いのだろうか。
「そうだ・・・干し肉があったはずだから、それをあげる」
それは春迎えの日が過ぎるまで、ずっとナルが食べるのを我慢していた一品である。
少年は干し肉を受け取ると、寂しそうに口に含んで噛んだ。
「さっきお母さんを探しに来たって言ったけど、何かの間違いじゃないの? ここには子どものいる女性なんていないのよ? そもそもあなた、名前はなんて言うの?」
「知らない。おいら、自分に名前があるのか、あってもなんていう名前なのか知らないんだ」
「自分の名前が無いとか、知らないっておかしいわ。そんなの」
冗談を言っているのかとナルは思ったが、少年の表情は暗くしょんぼりしていて嘘を言っているようには見えない。
どういうことなのだろうと考えていると、頭がどんどん重くなってきた。しかし、痛みは無い。むしろ思考が冴え渡る瞬間もある。
「じゃあ、あなたってナムチ(名無知)なのね」
すると少年は口を開け、目を見開いてナルを見つめると別人のように輝く笑顔になった。
「そう、おいらはナムチ! ナムチだ! ありがとう! 君の名前はなんて言うんだい?」
「私はナル。ナムチ、さあ一緒に行きましょう」
ナルはナムチの温かい掌をとった。
おしまい