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第八十六話 闘技会

 円形に作られた闘技場には、溢れんばかりの歓声が溢れていた。


 年送りの生贄となる者を決めるこの催しに参加を許された、王族貴族が金銀宝石、鮑玉を着飾って観覧席はひしめき合っている。広場にはすでに二十頭のシンハが放されており、観客の声に応えるように雄叫びを上げて闊歩していた。


 最も高い場所に設けられた天蓋付きの席に、ミカドが姿を現わしたのは、歓声を制するように竹法螺と太鼓が鳴り響いたその時である。


 一同が一斉に高座に注目する。


 ミカドは父祖から受け継がれてきた十二の宝石が埋め込まれた胴衣と、濃紺に白の長衣を纏い、会場内に手を振り威厳を持って豪奢な席へと座った。


 人々は「ハーレ」と斉唱し、少し間を置いてまた竹法螺と太鼓が鳴る。


 すると同じ場所から、金冠に白玉の耳飾りと首飾りを身につけ、裾の長い絹衣で、大巫女であるレイが姿を現した。


 若く美しい大巫女はミカドと同じく歓声で迎えられたが、人々に手を振ると、ミカドより一段低い椅子へと移り腰を下ろした。身体の弱っているミカドが、わざわざこの催しに出席するのは、この配置を人々に見せつけたいからだろう。


 レイがさりげなくミカドの方を見上げると、向こうからもこちらを小気味よく見下す視線があった。


 遅れて侍女長のナミと、シンハの飼育を司る王女のミオがレイの両脇に座る。


 レイは改めて、円形の会場を見渡した。


 なるほど観覧席には王族貴族、大臣と、貴顕の人々がひしめき合っている。王都の兵を司るヤクサ将軍もいる。だが、彼らが両隣に侍らせている美女たちは、明らかに彼らの妻では無い。


 どこからか肉を焼く香りが流れてきており、頃合いになれば彼らは食事をしながら観覧するつもりなのだろう。毎年のことだが、酒も振る舞われる。


 これではただの祭りだ。


 これから行われることを考えれば空恐ろしい。


 年送りにまつわる事は、生贄を抜きにしても、もっとも厳粛であるべきはずだった。


 彼らは一体何をしているのだろう。本来であればこの国難に、それぞれが重い役割がある者たちのはずなのに。


 レイはもし自分が摂政になったになら、すぐにでも綱紀を粛正し、場合によっては彼らを一掃するのにと思い、そこではっとした。


(もし、自分が摂政になったら・・・)


 レイが自分の思考に驚いていると、また太鼓の音が響き渡った。 


 会場に、生贄の候補となる者たちが運び込まれてきた。彼らは皆、檻の中で襤褸を纏い、身を寄せ合っていた。シンハ達は会場への侵入者を見つめると、鋭い眼光で威嚇し唸った。


 檻の中の人々は、それだけで怯え上がって失神する者もいた。


 檻は全部で十三。中には数十人が入れられている。役人が町で溢れている流民を捕まえて、適当に放り込んだのだろう。予め木製の剣と盾は配れていたようだが、それで到底この聖なる獣に勝てるはずも無く、戦意があるような者はほとんどいなかった。


「今年も王都には流民が溢れ返っていたようですよ」


「まあ、汚らわしいことで。しかし、その分、この催しを開くのには困りませんな」


「オホホホホ」 


 どっと男女の笑い声が聞こえてくる。


(お前達を裸にしてそこに放り込んでやりたいよ)


 レイは心の中で呟いた。


 檻の中の人々のなんと哀れなことだろう。特に幼い者は、檻から出ようとせず、奥で身を寄せ合って怯えている。だが、ここにいるシンハ達は、そのうち慣れた仕草で檻の中に侵入してくるだろう。そうなっては逃げ場は無い。


 改めて考える。一体、彼らに何の罪があってこんな事をするのか。彼らは王都へとたどり着いた流民だが、彼らとて豫国の民であり、多くの者は王都で罪を働いたものだはないはずなのに。


 そして、彼らに生贄としての意味があるのだろうか。


 自分は本当に、大巫女として、彼らの生命を使ってこの国の罪と穢れを払えているのだろうか。こんな呪いしか能の無い大巫女が。


 レイが思案している間にも、会場には歓声と悲鳴が飛び交い、シンハ達が流民を屠っていっていた。流民達の中には剣や槍で立ち向かう者もあったが、シンハが吠えると腰を抜かし、巨大な前足で次々になぎ払われた。会場には血が流れている。だが、その血が増える度に、人々は熱狂した。


 レイの視線が、ある流民の少女に釘付けになったのは、もうここから退散しようと目を伏せたその時である。


 大人とシンハ達の隙を見て、檻から駆けだしたのは、まだ幼い少女だった。顔を蒼くし、涙をいっぱいにためてかけだしている。 


 その少女の顔立ちにレイは息を飲む。少女はいつも夢に出てくる彼女とうり二つであった。


(サキ!)


 レイは必死で声を出すのを押さえ、心の中で叫んだ。そんなはずはない。けれどその顔立ちは、あまりにも似すぎている。


 レイは戸惑いながらも立ち上がり、今度こそ声に出して叫ぼうとした。とかにく、助けなければ。


 今度こそ。


 だがレイが膝掛けに力を込めて腰を上げようとすると、左右の手首を握る、強い力で留められた。思わず顎をあげて左右を見ると、いつの間にかミオとナミがすぐ近くに立っていた。


「どうかなさいましたか」


 ミオがいつもより低い声で囁いてくる。そして手首を握る左の力と熟した花の香りがさらに強くなった。


「どうか、そのまま。レイ様、私はレイ様の優しい御心が分かっておりますわ。あの哀れな少女に情けをかけようとしているのですね。でも、どうか狼狽えないで下さい。所詮は身寄りを無くした奴婢の、流民の娘です」


「分かっている、分かっている。けれど」 


「レイ様。今、王族貴族の間で、とても愚かな噂があるのをご存じですか。それはあなたが、実は奴婢の生まれだというものです」


 レイは身も心も凍え、とっさに手を膝に戻そうとしたが、強い左右の力で動けなかった。ミオの顔が息がかかるほどに近くなる。


「おまけに父は罪人で、母は娼婦だと。ええ、もちろん下らない噂話ですわね。けれど、今までどれほど血が流れようと何も言わなかったあなたが、ここで流民の少女に声を上げてしまったら、このよからぬ噂はさらに広まることでしょう。どうか、自重下さい。あなたには、大きな役目が控えているですから」


 最後の言葉でレイは悟った。このミオも、ナミの一味なのだ。


 その瞳には、大巫女に対する敬意は無かった。下々を利用し踏みにじる、不遜な王族のものだった。


 あっ、あっ、とレイが声にもならない驚きに包まれていると、会場でわあっと声が上がった。レイもサキもミオも思わず視線をやる。


 逃げ出した少女を目掛けて、一頭のシンハが駈け出したのである。人々はすぐにその結末を予想できた。


(ああっ、また助けられなかった)


 レイは天を仰いでる目を瞑り、体中の力を失って椅子に座り込んだ。


 しかし、シンハが襤褸を纏った少女に飛びかかろうとしたその瞬間、シンハの太い首が胴を離れて宙に舞い、会場の時は止まったようになった。人々が一体何が起きたのか理解できずにいると、少女の前にいつの間にか一人の若者が輝く剣を構えて立っている事に気づく。すらりとした精悍な体つき、鷹のような眼差し、まるで王族のような堂々とした威容。彼が一瞬で、シンハの首をはねたのだ。 


 なんという、強さ。


「あれは日緋色金ひひいろかねの。誰があんな武器を」


 誰もが開いた口が塞がらない静寂の中、ミオは自分の育てたシンハが一瞬で葬られたことに顔を蒼くし憎しみを込めて呟いた。


 その隙を、レイは見逃さなかった。今度こそ全身の力を込めて立ち上がり、叫んだ。


「それまで! 今年の闘技会はこれで終了する!」


 その時、なにか心に温かいものが触れ、救われたような気がしたのは何故だろう。

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