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第八十三話 獅子の乙女

 神殿の所々では侍女たちがそれぞれの仕事をしており、大巫女の姿を見ると手を止めて頭を下げる。神殿に侍女たちは数百名はいるだろう。だが、この神殿に巫女と呼べるものは、レイ一人だけである。


 ミカドは巫女団とは別に巫女の素質を持つ者を何年も前から集めていたようだったが、彼女たちは巫女団のように指導者の下での積み重ねた教育を受けてはおらず、いざレイが吟味すると、まるで話にならない程度の者たちだった。


 ミカドにも早急に各地から巫女の素質を持つ者を集め、教育をするように要請しているし、実際に真面目に命を下してはいるようなのだが、何故かいっこうに見つからない。やはり影でコウゾ邦、伊国のナルが動いているのではと不安になる。


 こちらがナルを呪っているように、当然、向こうも自分を呪っているのではないだろうか。


 そう思うと、レイの鼓動が早くなった。


 二人は入り口のある地上まで下りると、そのまま神殿の庭へと出た。


 とたんに秋の高い空が広がる。水路に水が流れる音と、土の香りが一気に強くなる。


 神殿には庭園がいくつもあるが、地上の庭が一番広かった。


「どこへ行くのですか」


 ナミの問いには答えず、レイは足を進めた。


 たどり着いたのは、王宮の一角にあるシンハの飼育場である。鎧を纏った男たちが槍を握ってあちこちに立っており、緑の茂る広場には人を丸呑みできるほど巨大な獣が囲いの中で、鎖に繋がれもせずに座っていた。その姿勢であっても、シンハの頭は大人の背よりもずっと高く、瞳は野生の誇りを失っておらず、日射しを受けて金色に輝く鬣には王者の風格があった。


 その昔、豫国を築いた父祖が、遙かな西方から一緒に連れてきたこのシンハは、ミカドや王殿、神殿を守る聖なる獣である。王宮、王殿、神殿の正門前にはいつも必ずこのシンハが二頭鎖に繋がれて座っており、ここが至尊の者の在処だということを示すのだった。


 飼育場では男たちの中で、一人だけ女が混じっていた。日傘を侍女に持たせ、男たちにかしずかれるその人物は、ミカドの妹であるミオである。


 つまりはあのサクヤの年の離れた妹でもあった。


 シンハの飼育場の主である彼女は、レイの姿を見ると柔らかな笑顔で手を振り、たっぷりとした長衣を優雅に靡かせて、行列とともに参上し頭を垂れた。


 その瞬間に花の芳香が広がる。


「これはレイ様。いらっしゃいませ」


 濃い眉が印象的な彼女は、やや低い声で艶然と微笑んだ。


「うん。ミオ殿。また来たよ」


「レイ様は本当にシンハがお好きなのですね。普通の女でしたら、怖がって近づきもしませんのに」


「それを言うなら、あなたなど女の身でこの飼育場を任されているでは無いか」


「そういう、しきたりでございますからね。ミカドの血縁の女が、シンハたちの世話を司るのはご存じのはず」


 その事はレイも知っていたが、この猛々しい獣を管理する人物がミオのように美しい王女であり、聡明な人物である事に改めて感心していた。


 その事に、ここ王都には少ない清らかな正しさを感じる。


 ミオ王女は四十前後でもう若くは無かったが、ちょっとした動作からあふれる気品や、かつての美貌を彷彿とさせる微笑みはレイを魅了した。 


「さて、もう行きませんと。レイ様はどうぞごゆっくりしていってくださいまし。今度の闘技会のご相談もしませんといけませぬから、後日改めてご挨拶に伺います」


 そういってミオはお辞儀をして戻っていった。


「王女の中の王女、か」


 レイはしばらくその後ろ姿を見つめていたが、すました顔を広場で雄々しく座るシンハたちへと向けた。


「いつ見ても、素晴らしい獣だ。美しくて強い」


「はい、シンハは父祖の残した貴重な遺産の一つでしょう」


 控えていたナミが同じくシンハに見とれるように言うと、レイは素早くきびすを返して彼女の瞳を見た。その白い険しさに、ナミがたじろぐ。今度はけっして負けぬとばかりに、唇の端をつり上げる。


「ほら、あそこのシンハに、前の侍女長の肉を刻んでくれてやった。これであのシンハはもっと強くなるだろうな。敗者を食べてどんどん美しくなる。そんな強さが私は好きだ。おやおや、なんだその顔は。私を非難しているのか」


「・・・むごいことを。あなたに仕えていた人でしょうに」


「私を責められた立場か。お前が、いやお前たちが私に隠して何か企んでいることを、とっくに気づいているのに」


「なんのこと」


「お前、子どもを身籠もっているな」


 ナミの顔がいよいよ蒼くなり、額に汗をにじませ後ずさった。その分レイの口元には笑みが浮かぶ。


「しかも、あの兄との間の子だろう? 無事生まれれば、ミカドの資質を修正するように血が濃くなるな。やはり王族には、そういう本能でもあるのか」


 レイはシンハの世話係の男に手を上げ、こちらに連れてくるように命じた。世話係には心を開いているようで、そのシンハはおとなしく囲いのすぐ近くまで男と一緒に駆けつけた。


「もう、お前の中では次のミカドは決まっているのだろうが。その腹の子を、お前はミカドにしたいと思っている。だが、王族の身分を失ったお前たちの子には、今、後ろ盾などない。だから、私を摂政として巻き込んで、身分を回復した上で他の者たちを押さえ込んで欲しいのだ。違うか?」


 レイはこれまでに無い恍惚とした表情で、ナミに迫った。それと呼応するかのように、シンハもナミの方を見て低く唸った。


「い、いつから?」


「最初からさ。巫女が生命の波動に気づかないはずがないだろうに。よくもまあ、その身であれだけ動けたこと。それと、摂政の話をしたときにたくらみが分かった。だいたい、口では国を救うとか言っているが、腐った今の王族に、本心から国と民のことを思う者などいるものか。ミオ殿とて例外では無い。お前の言葉は純粋すぎた」


 ナミの正面で、シンハは大きく口を開け、その牙を光らせている。


「でも、今はなにもしない。とりあえず、腹の子を産んでもらおう。だが私は、自分を侮り利用されるのが何より許せない。お前はきっと、私を騙して操ることに何の罪悪感も感じていなかったんだろう? 奴婢に生まれた女が王族となり、大巫女になり、豫国の摂政のなれるのだから満足だろうと。そういうのは最初から話さなくてはなあ。最初から納得させてそうするのと、言葉巧みに操った結果にそうなるのとでは相手に対する敬意が違うじゃないか。ダン家に捨てられたと言うが、結局、お前は骨の髄まで王族だよ。償いはそうだな、捕らえているお前の兄のナギを、シンハに喰らわせようか」


「や、やめて・・・。許して! 違うの。誤解なの! 殺すなら私を、私を殺せば良い!」


「まだ子どもを産んでいないのに、そんなこと出来るわけが無いだろう。それに、誰かを傷つけようと思ったら、本人よりも本人の大事な者を傷つける。そのほうが苦しむ。それが呪いの醍醐味だろう? 安心しろ。子どもを産んだら、お前もすぐに餌にしてやるからさ。摂政か。私は大巫女であれればそれで良いと思っていたが、それも悪くないかもしれない。腐った貴族も王族も、みんなまとめてシンハの餌にしてやる。そうすれば、この国はもっと強くて美しい国になれるだろうね。あはは」


 レイは哄笑し、シンハたちはそれを称えるかのように雄叫びを上げた。

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