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第七十九話 白玉に映る眼差し

 レイが儀式を終え、微熱と疲労を感じて大きく息を吐くと、不意に両脇の炬火の影が揺れた。微妙な空気の乱れを感じて目を細め、すぐさま振り向く。すると入り口の太い石柱の影から、鹿のような素早さで二つの黒い影が飛び出してきた。だが獣ではない。目のまわり以外、全身を黒い衣で覆った二人組だった。手にした短刀が、炬火の灯りでキラリと光る。


「侍女長!」


 レイの声が神殿に響くと、二人組の前に両手に剣をもった侍女長が飛び出した。侍女長は無表情で二人組の刃を振り払い、そのまま舞のように連続した攻撃で襲いかかる。身体の動きの切れは、二人組よりもずっと良い。


 だが二人組は到底人間業とも思えぬ跳躍で後方へと下がり、侍女長の間合いから脱出する。


 二人組はそのまま逃走するかと思いきや、それでも立ちはだかる敵を仕留めようと交差しながら近づいてきた。こんな連携は一般の兵では出来ない。暗殺用の特殊な訓練を受けた者に違いない。身体の線からしてそれぞれ男と女のようだった。


 体格の良い男が先に侍女長の前に飛び出し、刃を交える。男は侍女長の意外な怪力に驚きたじろいだ。侍女長は左の二手目で男を仕留めようと力を込めたが、男の背後からもう一人が男を踏み台にして飛び上がった。侍女長がしまったと思った時には、女は宙を一回転すると同時に彼女の首の付け根を斬っていた。


 何かが潰れるような音ともに首から激しい血が噴き出し、二人組は返り血にまみれたが、侍女長が絶命して倒れるとお互い目で頷き合ってそのまま祭壇のレイへと走り出した。


 だが、突然二人の身体が岩のように重くなり、身動き一つ出来ずにその場に倒れ込んだのは、レイが聖杖の先を二人に向けたその時である。


「ああ、死んでしまった。あの侍女長とは長い付き合いで、今まで何人も気に入らない奴を葬ってくれたのに」


 レイは石階段に靴音を鳴らしながら祭壇を下り、身動きのとれない二人組を置いて、血を流す侍女長の骸の方へと歩いた。


「この人は最初、ミカドが私につけた監視でもあった。でも護衛としても侍女としても優秀で、今は私を支えてくれていたのに。だけど祈りの間をこんなに血で汚すなんて、最後の最後で使えない女だったわね。一度結婚しているから、子宮も依り代としては使い物にならないし」


 レイはくるりときびすを返し、身動きがとれず腹ばいになっている二人のもとへと歩みを進めた。


「今日、誰かが私を狙ってくるのは予知していたよ。よりにもよって私が聖杖を握っている時に襲ってくるとは。さて、刺客は一体どこの誰かなあ?」


 聖杖を左手に移し、右手で女の方の頭巾を剥ぎ取る。すると花のような芳しい香りとともに現れたのは、大きな瞳と高い鼻に褐色の肌であった。その特徴は古来より西人(豫国に移り住んだ人々)の証だったが、今でもその特徴を保っているということは、由緒正しい貴族ということである。年はまだ若く、レイと同じか下に見えた。


「貴族の娘か。どうして私の命を狙った? 私やミカドを殺して玉座を奪おうなどと考えると気骨のある者は大臣の中にはいないと思ったが。まさか、コウゾ邦から送り込まれたのか?」


 サルタ将軍に取り込まれた貴族も少なからずいるので、あり得ない話ではない。だが、それでも貴族の娘を刺客に送りこむなどと言うのは考えがたかった。


 レイは爪の長い人差し指で女の顎先を上げた。


 だが娘は清水のように澄んだ瞳で沈黙したままだった。


「黙っていても、良いことは起こらない」


 レイは唇の端を上げ、聖杖を掲げる。すると部屋の四隅から無数の蛇が現れ、倒れている男の刺客の方へと這って絡みついていった。


「言うまでも無いけれど、毒がある。猛毒がね。お前がさっさと身の上を明かさなければ、こいつは噛まれて死ぬ。それはもう、早く楽になりたいと思うほど壮絶な苦しみだ。お前に少しでも情けがあれば、そんな思いをさせたくはないはずだろう」


 男は必死にもがこうとしたが、うめき声は出せても身体は少しも動かず、ただ全身から汗が泉のように湧き出ている。蛇のうちの一匹が、男の首筋に牙を建てようとした時、娘はようやく口を開いた。


「わ、私は、ダン家の娘だ」


「ダン家・・・。義父上の。ではお前は、私に取って代わられたダン家の娘か」


 レイは眉を顰め、左手を挙げて蛇を散らした。


 ミカドに保護された後、自分が新しい大巫女なるためには、まずは王族の地位が不可欠だった。王家の血が大巫女の条件ではないが、突然現れた才女にはそういう経歴があれば箔が付く。そのためミカドは、弟の一人に命じて養女にさせたのである。


 だが、それを公にするわけにはいかない。例え巫女としての優れた素質があったとしても、まさか養女が、東人(豫国の原住民)の貧しい奴婢の出だとは知られてはまずい。だから、経歴をまるごと入れ替える身代わりが必要だったのだ。


「それで私に恨みを抱いて・・・。だが、それはお門違いだよ。私は別にダン家の娘になりたかったわけではない。ミカドの命令だったのだ。そうしなければ私の命も無かった。どうせなら、ミカドを弑せばよかったものを」


 レイが哄笑すると、娘は聖杖の力に全力で抗い、言葉を出した。


「私は、ダン家の娘。だが、あなたを恨んではいない。あなたを殺し、ミカドの力を弱め、目を覚まさせる事が目的だった。だが、失敗したからには、もはやそれも叶わない。大巫女レイ、あなたに頼みがある。どうか、ミカドを殺し、この国の主になって欲しい」


「・・・私を馬鹿にしているのか?!」


 レイは貴族の娘を蔑むような目で見やり、そのまま勢いよく今度は男の頭巾を剥ぎ取った。


 そこに現れたのは、娘によく似た面立ちと特徴の青年である。


「まさか・・・妹とともに消えたダン家の長男か。これは愉快だ。まさかこんなところで、まだ見ぬ兄上に出会えるとは。もしあなたがダン家に残っていれば、私を妹と呼ぶことになっていただろうに。そうか、実妹を哀れに思って、私に復讐に来たか」


「違う」


 男の声色は整った顔立ちに不釣り合いなほどに低く、その声は祈りの間全体に響き渡った。


「俺たちは、ミカドから国を救いたかった。ミカドは狂っている」


 見えぬ力に抗い、男は全身に汗をたぎらせながら必死の形相で声を絞り出している。レイは人差し指を立て、ほんの少し喉の戒めを弱めた。


「そんなことはみんな知っているさ。だがそれならば、玉座を望む王族を探して話を持っていった方が良かったな。豫国に王族の数は少なくない。勢力を築いて立ち向かえば、援助も受けられただろうに。まさか王族の男と娘が、こんなまねを」


「私たちも、そうしたかった! あの狂ったミカドを殺して、別のミカドを立てたかった!だけど、王族は誰も! 誰も話を聞いてはくれなかった!」


「王族も貴族も、みんなミカドが普通では無いことを気づいている。このままでは豫国がだめになることも。だが、じゃあこの国難の折に、責任を負ってミカドになろうという者は、王族の中には誰もいなかったんだ。だからミカドのご機嫌を取る王族はいても、未だ後継者も決まっていないだろう」


 兄妹は二人とも意志の強い眼差しであった。その眼差しは、レイにかつて友と呼んだ娘を思い出させた。


「馬鹿な・・・。それでは何のための王家だ。王族、貴族、大臣だ。あいつらが普段偉そうなのも民には考えられぬような贅沢をしているのも、国を支えるからこそではないか。民を守るためでは無いのか。この王宮も神殿も、そんな無辜の民が汗と血を流して建てたのだ。私や巫女団の女たちも」


 レイは何故か無性に腹が立ち、顔が赤くなった。その反応が意外だったのか、尊き血筋の兄妹は目を見開いた。


「そうか、あなたは鶴亀山巫女団の巫女だった。そして父から聞いたあなたの出自は」


「言うな!」


 レイは獣のような眼差しで義兄の口を塞いだ。だがそれでも彼の言葉は止まらない。


「あなたがもし、本当にこの国の大巫女であるならば、どうかこの国を救ってくれ!」


 灯りに照らされ、輝く白玉には貴き兄妹の眼差しがしっかりと映っていた。

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