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第七十七話 滅び行く国

 親爺の語りと人形の動きが止まり、第一幕が終わると、万雷の拍手が天幕の中に響いた。天幕が音で揺れる中、親爺も満足げに恭しくお辞儀する。

 だが、今まで拳を握りしめていたウメが客席から勢いよく立ち上がったのは、脇から蠱惑的な美女が踊り始めたその時だった。


「この者たちを捕らえなさい!」


 天幕に激しい声が響くと、すぐさま観客の中から武器を隠し持っていた男たちが親爺たちに飛びかかる。悲鳴が天幕の中に響き渡り、土埃が濛々と舞い上がって騒然とする中、一座は顔色を変え、団員ならではの素早い身のこなしで人波をかき分け、出口へと急いだ。  しかし、天幕を出るとすでに外は武具を纏った兵たちに囲まれており、団員は長槍を顎先に突き出され、へなへなとその場に座りこんでしまった。

 ウメは白い衣の袖を靡かせ、鋭い目つきで天幕から出てくると、氷のように非情に縛り上げられた一座を見下した。


「全く、忌々しい。こんな東にまで、ミカドはこういう連中を送るようになってきたのね!」


 拘束するだけでは気が済まない、とウメは座り込んでいる団員たちの前を鋭い目顔のまま何度も早足で行ったり来たりする。その尋常では無い様子に、首をはねられるのではと団員たちの顔が青くして震えだした。

 それを見てウメは余計に苛立つ。だが彼女が本当に憎いのは、目の前の彼らでは無い。彼らに各地で劇を見せよと命じた者である。


「お疲れ様ぁ」


 天幕から出てきた村人たちの人波に逆らってかき分け、少しとろそうな声でようやく姿を現したのは、ウメと同じくこの村へとやってきたモモだった。


「遅いわよ。今まで何をしていたの」


「何って、村長たちに話をつけていたんじゃ無いの。村の中にこれだけの兵を入れて、一騒動起こすのなら、事前に連絡しておかないと。あなた、そういう根回しを軽く見ているでしょう?」


「別に軽く見ているわけでは無いけど」


 口ごもりながら、ウメは村長たちと話すモモを想像してさらに苛立たしくなった。彼女が悪いわけでは無い。今までのことからも、村や町の有力者に話を通しておくということが、どれほど重要なのかはよくわかっているし、サルタ将軍もそうすることを勧めていた。だが、たとえ兵たちに守られていようと、密室でモモをみる男たちの顔を想像すると鳥肌がたつのだ。

 ウメは改めてモモの姿を見る。色白で、少しぽっちゃりとしているけれど胸とお尻がしっかりと出た体形である。淡い栗色の髪と唇は濡れたようにつやがあり、声は少し低くてぞくりとするほどの色気がある。

 まさかあのやせっぽっちのモモがこのように育つとは思ってはいなかった。さらに驚きなのは、その事が男性の目ではどのように映るかということだった。巫女の里にいた時は、考えもしなかった視点である。


「・・・モモ、あなた色気がありすぎよ」


「そう?」


 モモが顔を無垢な栗鼠のようにかしげると、ウメは大きな鼻息をついて彼女の滑らかな手を握り、先ほどまでいたで天幕の中へと連れ込んだ。

 つい先ほどまでは舞台では親爺が音楽や踊りとともに語り、村人たちが満員だった天幕も、村人たちが散り、熱気は冷えて静まり返りっていた。あれほど舞っていた砂ぼこりも落ち着いたようだった。

 静かな天幕内の舞台の回りで燃える炎だけを見れば、そこは何かの儀式の場のようにさえ見えた。


「自覚しなさいよ! あなたがいると、サルタ様やその部下たちだってそわそわしてるじゃないの」


「何をそんなに怒っているの? サルタ様が想いを寄せているのは、ナル様だっていうのはみんな知っていることじゃない。それに私たちは今、兵を率いて各地を回っているのよ? 男の方と接しないなんて無理に決まっている」


「そういうことが言いたいんじゃ無いの! 想いを寄せているとか寄せていないとかじゃなくて、みんなあなたを見て、邪な気持ちを抱いているってこと。それを自覚なさいよ。ああっ、汚らわしい」


 ウメが寒気を感じて自分の肩を抱いていると、モモはくすっと笑った。その微笑みは、昔よりもずっと艶がある。


「私のことを心配してくれているのね。でも心配無用よ。巫女に手を出す愚か者は、サルタ様の部下にはいはしない」


「・・・随分サルタ様のことを信頼しているのね」


「あら、それもいけない? あの方は豫国の王族で唯一、ナル様を大巫女だとお認めになった。その上ミカドに反旗を翻して自分の領地に私たちを匿ってくれている立派な御方よ。信頼して当然だわ」


 本当に尊敬だけだろうか。ウメは目の前の友の瞳をじっと見つめた。長い睫に守られた黒い瞳は、まるで宝石のようである。

 しばらく見つめ合いが続いた後、ウメは握りっていたモモの手を離し一つ息を吐いた。


「そうね・・・ごめん。私、変に気が高ぶってしまっていた。モモが悪いのじゃない。兵たちのせいよ。もう六年にもなるのに、未だに男というのに慣れないの。なんていうかもの凄く・・・」


「ウメは潔癖だからね」


 モモが花のように微笑んだ後、二人は無言で舞台脇に灯された炎を見つめ、この天幕の遙か頭上に輝いているだろう星々を思い浮かべた。すると今まで耳には入らなかった、はるか天空の風の音がやけに響いてきた。ここより星界に近いところで吹いているはずの風が、まるで我が身に吹き付けているようだと感じるのは何故だろう。

 二人の巫女は、自然と瞼を閉じた。

 今や豫国は存亡の危機にあった。

 きっかけは六年前、先代の大巫女サクヤが隠れ、巫女団の里が焼けてしまった大事件に端を発する。本来であれば、サクヤによって次代の大巫女に指名されたナルの下、鶴亀山で巫女団を立て直すことが豫国にとっての急務であった。

 だが、それを支援すべきミカドは、サクヤによって後継者に指名されたナルを大巫女とは認めはしなかった。それどころかすぐに今回の不祥事の責任を取らせようと、ヤクサ将軍率いる大部隊を派遣し、ナルを捕縛しようとしたのである。以前から大巫女と巫女団に脅威を感じていたミカドと「王都」が、これを機に巫女団を完全に自分たちの支配下に置きたいという意図が明らかであった。

 ミカドは政権と祭祀権の両方を司ろうとしたのである。

 当然あの大事件を生き残った巫女団では、これを「ミカドの乱心」として憤り、大いに狼狽えた。豫国数百年のしきたりを破るなどとは到底正気の沙汰では無い。ミカドが政を、大巫女が祭祀を行うのは、父祖がこの地に来た時の大神との契約でもある。その契約を破るなど、約束された地の平和を破る行為に他ならない。

 巫女団は憤ったが、彼女たちには武力は無く、もし王都の大部隊がやってきて取り囲まれようものならなすすべが無かったであろう。

 ミカドの王子にしてコウゾ邦の太守である、サルタ将軍が守らなければ。

 サルタ将軍はミカドの第七王子である。兄弟の中でも最も実直で真面目な彼は、王族の中で唯一、ミカドの乱心を以前から危惧し、王都とは微妙な距離感を保っていた。他の兄弟たちが王都でミカドの機嫌を取り、贅沢と特権を貪っていた時、彼は自分の領地に引きこもり、自ら指揮する兵を鍛え上げていた人物であった。

 豫国の西部にある王都から最も遠いコウゾ邦は、水害が多く辺境ではあるが、平野がある実り豊かな土地でもある。王都との行き来が無くても何の問題も無かった。

 サルタ将軍と彼に従う一部の貴族たちはここに巫女団を匿い、ナルたちはコウゾ邦内の大麻山を第二の鶴亀山として、巫女団を再建しはじめていた。

 通常であれば、豫国内はすぐさま大乱が起こるはずであった。勝敗はどうあれ、国内はミカド・王都派と大巫女・コウゾ邦派に分かれ、決戦をもって国内の乱は終わるはずである。だが、六年経った今でもこうして事態が膠着しているのは、理由があった。

 一つはミカドによる新たな大巫女の擁立である。ミカドは王都内に神殿を建て、そこにサクヤの後継として新たな大巫女を迎えた。事実上、ミカドが「任命」したのである。

 これによってミカドは大巫女よりも高い地位である事を示し、祭祀権もその手中に収めた。つまり少なくとも王都側の主張では、今の豫国はミカドと大巫女という形が正常に機能しているのである。

 しかも近年この豫国を取り巻く周辺の事情も随分と変わってきている。西の筑紫では倭国が急激に勢力を拡大しており、半島や漢土にまでその影響力を強めていた。その傘下にある北の出雲、吉備も同様である。戦乱によって荒廃にした漢土を逃げ出した漢人は、どんどんこの筑紫島や出雲、あるいは東の纏向にたどり着き、大陸の進んだ技術を伝えていることもそれに拍車をかけていた。すると相対的に、停滞している豫国が圧倒的優位を徐々に失うのは必然であった。


 今は国力や兵を疲弊すべき時ではないと、ミカドは慎重になっているのである。幸い、東のナルはサルタをミカドに立てるというわけでも無く、沈黙を保っている。ならば大規模な戦闘を控えて、静観するという方針なのだった。


「ねえ、ウメ、知っている? 倭国や出雲や纏向では、豫国のことをもう二つの国に分裂しているという噂が流れているのだそうよ」


「知っている。西部を豫国、東のこちらを伊国と分けて、二名島ふたなじまと呼んでいるのよね。豫国は豫国なのに、蛮族どもが」


「でも、この国の民たちだって、同じようなものよ。きっと今日もいつもと同じだったんでしょう? 民は王都から送られた一座の話を簡単に信じてしまうし、私が村長に説明すればすぐまた驚くほど単純に信じてしまう。簡単な話、彼らはそれほどに混乱しているのよ。自分たちの豫国が一体どうなってしまっているのか、把握しきれてないの」


「そこに加えて、度重なる天災で豫国は急激に貧しくなってきている。豊作豊漁、治水が当たり前だった民たちの心が疲弊してくるのも無理もない。みんな、世の中を疑いすぎて、疑うことを諦めてしまったのよ。ふぬけどもめ」


 辛辣な言葉を吐くウメの瞳は、痛々しいほどに悲しい。その言葉の真の矛先は、民にあるわけではあるまい。


「・・・・でも、この膠着状態もいつまでも続くわけじゃない。そのうちミカドはどうにかして大麻山にやってくる。ナル様はあえてそれを振りかざそうとはしないけれど、『御箱』がある限り、豫国の正統はこちらなのだもの」


「ねえ、モモ。私は王都の連中やミカドには怒りを感じていたし、正直、血筋の上では何の問題も無いサルタ様をさっさとミカドに立てないナル様にもいらだちも感じていた。あるいは、守られることになれきって翻弄される民たちに。でも、私が一番許せないのはあいつ。大神と巫女の力を汚しているあの女。あいつのせいで豫国では天災が起こり、町や村がが消滅していっている。砂の土地が増えていってる。・・・あの女は、いずれ豫国を滅ぼしてしまう」

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