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第七十三話 誓約(うけい)

 倭文布と錦で飾られた輿に乗った倭国大王帥鳴は、両脇の軍兵の熱気など意にも介さず、前方の楼観をただ超然と眺めていた。

 もう、全ては決まっているのだ。この倭国、筑紫、すなわち九州(天下)において倭国の軍兵に敵は無い。その事は、今もどこぞに諜者を送り込んでいるはずの熊襲王も、そして聡いハヤヒも分かったことだろう。

 ハヤヒは無駄な犠牲を避けるため、投降してくるに違いない。恐らく、自分の命の代償に母のククリと山門の民の安全を保証してくれと言ってくるかもしれない。まあ、その時はそれで良い。ククリは漢土にでも放逐すれば良いし、このまま最前線の中立地帯となっている山門まで軍兵を進ませれば、熊襲は手出しが出来ないままでは、自動的にあそこも倭国のものになる。

 ハヤヒには、せいぜい派手に死んでもらわねばならぬ。あの時、この倭国大王に感じさせた底知れぬ恐怖。もはや今の自分にそのような感情は露ほども無いが、その行為は死に値する。

 その大罪、存分に償うが良い。

 帥鳴がそう思って口の端を上げたその時、送っていた使者が輿の方へと到着し、近衛隊長のワカタを経て内容が伝えられた。


『私は天地神明に誓い、倭国太子帥大と熊襲の媛の子である。私を一族と認め、帥正の名を与えこの地を任したのは大王自身ではないか。それなのにこのような軍兵を率い、山門を脅かすのは道理に反している。私の出自が信じられないというのならば、私は父と母と天地に誓って証明しよう。我が祖父であり、神聖な倭国大王よ。私はここに誓約うけいを提案する。日を祀る倭国の王族として、今からこの蒼穹の大日を隠し、この世を夜とする。さすれば、私は間違いなく倭国の王の一族である事は明らかだ。その時は私を自分の孫と認め、軍兵を引いて欲しい』


 その言葉に、伝えたワカタも何を言っているのか分からず、途方も無い提案に息を荒くして大王の顔色を伺っていた。

 この世を夜にする。一体ハヤヒは何を考えているのだろう。

 帥鳴は顎を脇の輿の張政へと向けた。黒衣の太師はワカタの言葉を聞き、何かをぶつぶつと呟きながら目を閉じ、しばし何かを思考しているようだった。膨大な情報を底知れない知識で整理しているようであった。太師張政はそれが完了するやいなや、かっと目を見開くと、背筋を伸ばしてまるで気が触れたように哄笑し始めた。


「太師よ、何を笑っているのだ」


 帥鳴は天命の下った大王の尊厳をもって尋ねた。


「ほ・・・・ほっほほほほ。大王よ。あの御子が、いや王子を騙るあの哀れな少年が何を言いたいのか私には分かりました。この世には、確かに大日をその現し身のような暗闇が覆い、この世を夜とする恐ろしい現象がございます。古の歴史書にもそのような記録がいくつか残っております。・・・しかし、この地でその現象が起こるのは、今から四十年も先のこと」


「それは間違いないのか」


「はい。どのような神仙を頼ろうと、天の力を借りようとその理を曲げることは決して出来ませぬ。この誓約、どうかお受け下さい。そして衆目の前で王子の面目を潰し、その首をはねて倭国大王の威光を黒き軍兵にお示し下さい」

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