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第五十二話 後継者

 王宮に帰ると、天井から連なった瑪瑙の管玉が無数に垂れ、四隅に花が生けられた玉座の間には、輝く銀髪の張政の姿があった。

 王の留守にこの部屋には入れるのは、この玉座を設計した彼だけである。何度も彼にも専用の大きな家を造ると言っているのに、本人は不要だと断固として断り、いつもどこかに消えてしまう。そうかと思えば、今日のようにふっと現れる。

 正直気持ちを悪いが、もう慣れてしまった。

  張政は無言で帥響を玉座に導くと、その前に跪いた。


「たーだいまっと。はあ、疲れた。ふう、ちょっと熱があるかもしれない」


「お帰りなさいませ。今日の葬祭はいかがでしたか」


 帥鳴は脇の杯に用意されてある果実を手に取って頬張ると、甘味を味わって喉に通した。

 その間に張政は人に水を持ってこさせた。彼が天恵水から作り出した霊水である。天恵水とは一度も大地に触れたことの無い雨水のことで、張政はこれに自ら作った札を溶かし、呪文を唱えることによって万病に効くと霊水を作れるのだった。

 帥鳴ももうなれたもので、器を受け取るとすぐに一気に飲み干した。


「悪くない。むしろ最高よ。私とあんたの改革はうまくいっているようだわ。押しの強かった部族長も最近はすっかりおとなしいし、内政は完璧ね」


倭国の大改革は、王権の強化にはじまり、身分制度のあり方にも及んでいた。帥鳴はそれまで完全に固定化されていた身分を、本人の功績次第で昇格できるようにしたのだ。その反響は絶大で、それまでただ使役されて死ぬばかりだった生口たちが、手柄をあげてここから抜け出そうと奮起しだした。

 当然、今まで下戸(平民)だったものも、負けてはおられぬ、それ大人(貴族)を目指せと躍起になる。なにしろ、昨今の倭国の情勢は手柄を立てることには事欠かない。

 この事は、半島と出雲で戦を繰り広げる倭国の兵を今までとは比べものにならぬほどに強くした。しかも本人が戦で死亡しても、その功績は遺族に受け継がれると明言されたことから、人々はさらにがむしゃらになる。

 一昔前まで、身分が固定化され横並びだった倭国は、しだいに競争する社会へとなっていたのだった。


「自分の努力次第で、未来が輝くものなるというのは、人々の生と生活に希望を与えます。正しい社会のあり方だと存じます」


 張政は面妖な面を上げて、杖を置き、大陸風に両袖の中で手を組んだ。


「でも、実行はあんたが思っているより勇気がいったんだからね。倭国は今まで、王族と生口以外はほとんど平等で、獣や木の実、魚に稲の収穫だって平等に分け与えてきていたし、それが先祖代々の決まりだったのよ。でもそれを破って、手柄によって与えられるものに違いが生まれるようにしてしまった。今日行ったお墓だって、一昔前までは生口以外は王族も下戸もみんな一緒の集団墓地だったのに、国に功績があった者たちに特別に造った墓だったんだから」


「代々の決まりを変えるのは、中原で覇者を目指すほどの勇気が要ったことでございましょう。この張政、感服致しまする。なれど、本人が努力すればするだけ報われるという国のあり方なればこそ、発展し、忠孝というものも育まれるのです。しきたりなどで個人を国が押さえつけては、国は疲弊し、人心も荒むだけでございます」


「大陸がそうだと言いたいの?」


 張政は鋭い目顔で、張政の漆黒の瞳を見つめた。


「その通りでございます。古代に生まれた尊い教えを、漢は汚しました。天地に宿る神を遠ざけ、巫覡を迫害しました。人は祖先を祀り、子孫を残すためだけに存在し、果てなく続く子々孫々の一駒にされたのです」


「それは悪いことなの?」


「人には、それぞれ意思がございます。その本来ならば自由な意思を、皇帝が儒教という教えを利用して縛るのです。ここに問題が起きぬはずがございません。人々の葛藤、鬱憤、情熱のうねりは、現象となって世の中に現れます」


 帥鳴はしばし、未だ続いていると言われている中原の大乱を思い浮かべた。伝わる話では、漢の正当なる皇帝は、至尊の地位にありながらも争乱のために各地を転々とし、最近になってようやく都に帰還したそうである。続いて都が遷されとも聞く。

 それだけでも、今、大陸がどれほど混乱しているのかは想像が付く。

 聡明なる張政は、その諸悪の根源が儒教という教えによって、長年にわたり人々を縛り付けたからだというのだ。

 これは、あとできちんと分析しようと思い、頬杖をついたところで帥鳴は話題を変えた。


「さあ、次は外の話をしましょう。いつも通り、朝参の前に整理しておきたいわ」


 張政は長い袖の中から、大きな「紙」の巻物を取り出すと、帥鳴の前に広げた。巻物には倭国を中心に地形(地図)が描かれている。これほど詳細な地図は、出雲や半島でも手に入るまい。

 帥鳴が頷くと、張政は続いて木製の駒を並べた。


「まず、制圧した出雲ですが、こちらは帥響殿の統治が引き続き問題なく行われております。帥響殿は人の心を読むのに長けたお方ですな。出雲王の一族を尊重し、彼らのために用意した大宮も先月完成したようです。ご自分の御子と出雲の王族を結婚させましたし、人心を宥めて彼の地をうまく掌握していると言えるでしょう」


「あの交渉は、こっちも驚くほどうまくいったわよね。でもまあ、出雲にしてみたら、倭国王都を奪還されたのとほぼ同時期に、スサノオ王が突然死んじゃったんだからね。そりゃ混乱するし、戦も負けて、こっちに対して弱腰にもなるわよ・・・。ねえ、あれほんとにあんたの仕業じゃ無いの?」


「少なくとも、私の呪詛ではございません。とはいえ、王たる者、常に狙われているのはおかしい話でも、珍しい話でもございませんでしょう。私も、あなた様を呪詛や災厄からお守りするために、幾重にも守りの術と結界を施しているのですから。ただ、それは出雲の王宮も同じ事だったでしょう。もしスサノオ王の死が呪詛によるものであったのなら、それを行った者はその守りを突破するほどの、尋常ならざる力の持ち主なのは違いありません。それはいずこの国の者か分かりませんが、用心すべきです」


 尋常ならざる力の持ち主、と聞いて帥鳴はある巫女の顔が思い浮かんだ。


「もしや、ククリ殿では」


 すると張政は珍しく、笑い出した。


「ほほほ、豫国の巫女はひたすら清らかさを保つものと聞いています。どうして人を呪えましょうか。恐れる必要はありません。思えばククリ殿も哀れな女です。自国の神のお告げを聞いたからと、その神の守護も及ばぬこの倭国で居場所を失い、行方をくらますとは」


「けど、ククリ殿は阿蘇の山に登っていたという報告もある」


「恐らく阿蘇の神と契約を結ぼうとしたのでしょう。豫国の巫女は良くやると聞きます。ですが、倭国に帰ってきていないことを考えれば、それに失敗し、逃げ出したのでございましょう」


「もう死んじゃってるとか?」


「いえ、それはございません。ククリ殿がまだ生きていることは、間違いありません」


 では、一体ククリはどこに行ったのだろう。あれほど聡明で気の強い女が、逃げ出したとは到底思えない。しかし確かに、彼女はこの二年の間に姿を見せていない。

 倭国王は玉座から立ち上がり、窓へと歩いて海のある東の方角を眺めた。

 もしや、帥大のところに行ってるのでは無いだろうか。


「・・・じゃあ、次は半島の方ね。こちらは帥大が頑張ってるのよね。壱岐島と対馬に拠点を構えて、半島の弁韓の南にあった倭国の足場も完全に回復した。帥大の母の部族は海の民だから、もともと船は持っていたし、今では漢にも負けない凄い船をたくさん揃えてるのよ」


「そうでございましたな。私も倭国の船がこれほどのものとは思ってはいませんでした。大変失礼ながら、丸木船だろうと」


帥鳴はため息をついた。


「あのねえ、倭国はっていうか、倭国王がまだ諸国宗主じゃなくて奴国王だった時には、漢の皇帝に挨拶に行っているのよ。丸太をくり抜いた船で、お土産持ってたどり着けるわけないじゃない。ちゃんとした帆船が揃ってます」


 いやはやと、張政は長い袖で顔を隠した。


「では、今後はどう考えておりますか」


 言葉の意味を察して、帥鳴の顔つきは途端に厳しくなった。


「とりあえず、半島は今の土地で十分だと思ってるわ。半島丸ごと手に入れようと思えば、三韓(弁韓、辰韓、馬韓)は結束して立ち向かってくるだろうし、今それを相手にするには力が足りないと思うの。でも時間の無駄遣いはしたくないし、私たちには船がたくさんある。だから」


 帥鳴の白い指は地図の黄海を差した。


「お見事でございます、私も同じことを考えておりました」


「そう、半島の足場が落ち着いたら、船団を帯方郡から遼東半島、山東半島に進出させる。うまく行けば、渤海と黄海の広範囲を一気に倭国の勢力圏にするのよ。三韓は海には力を入れてないし、漢は大混乱してるから、それどこじゃない。今のうちに海を倭国のものにしておけば、今後大きな利益になるわ」


「ただしも問題が二つございます」


「それはなに」


「まず遼東太守を任されている公孫一族です。公孫はいわゆる漢の地方官でしたが、国の混乱に乗じて彼の地に独立した国を持っているような状態です。表向きは漢に臣従しておりますから中央の争いから遠ざかっている分、遼東には力が蓄積されているのです。倭国の渤海、黄海進出の意図を読み取ったならば、妨害してくるでしょう。そして、もう一つ。この計画が進んでいけば、倭国の船団、すなわち水軍は交易の利権と併せて強大な力を持ちまする。その現場の指揮官は帥大将軍。帥響将軍がいくら出雲で功績を上げようと、水軍と交易などの莫大な利権を与かることとなる帥大殿の比にはなりません。そして、万一、帥大殿が謀反でも企てようものなら、倭国にそれを押さえるのは難しいでしょう。つまり」


「もし今の計画を実行するなら、帥大を立太子させるか、今のうちに指揮官を変えろと言うのね」


帥鳴は黒く長い睫毛を伏せて、こめかみを軽く揉んだ。


「・・・・水軍を指揮するのに、帥大以上の適任者はいないわ。帥響にしても、今の役目が一番合っているのは分かっているでしょう。となれば結局、誰を太子に立てるかということになるのよね」


 この倭国の後継者を誰にすべきなのか。それは臨時王都時代から帥鳴に課せられた責務でもあった。未だ自分は壮健ではあるが、後継者を決めているのといないのとでは大きな違いがある。


 顔を上げ、王として尊大に張政の顔を見やる。彼の表情は相変わらず凪いだ海のようにしずやかで、心のうちはかることができない。それは王たる帥鳴にとっては時に苛立たしいことであった。

 恐らく、彼とて太子には帥大が相応しいという判断を下しているはずだろう。むしろ、なぜか早くそれを宣言しないのかと不思議に思っているかもしれない。

 確かに帥大は優秀な王子である。倭国の危機に際して、豫国から巫女を迎え、国のあり方そのものを変えようという大胆な発想と行動は、他の兄弟たちにはない才能だった。そして彼は、自分についてきてくれる部下も持っているのだ。

そして生まれも良い。海の部族に生まれ、水軍を率いる彼と部族の力は今後の倭国にとって最も重要な要素の一つであろう。帥響も聡明で頭が切れて悪くはないが、王にふさわしい要素をそれぞれ挙げていけばやはり霞んでしまうのは仕方のないことだった。

 ならば、もうすでに太子は帥大で決まりだろうということになるのだが、帥鳴はどうしても決断ができないのだ。

 彼の部族が、日を崇める倭国にあって月を信仰する部族だからとか、以前ククリと想い合っていたとか、彼の妻がいまだ一人きりな上、かつては出雲に捕らえられていた女であるとかそういうことは関係ない。

 才能や背負っている勢力ではなく、問題は帥大の性質なのだ。


「・・・あいつには、自分がこうしたいとか、こうなりたいという、主体性というものがないような気がする。環境や状況に流されやすいのよ。それではどれだけ優れた才能があっても、周囲の者たちにいいようにされてしまうし、場合によっては国を滅ぼしかねない。ねえ、張政。王には聖君、暴君といるけれど、王というものは、それが正しかろうと、間違っていようと、自分がこうしたい、国をこうしたいというはっきりとした指針、欲のようなものが必要とは思わない? あの子にはそれがあまり感じられないの。だから、私にはあいつが一体この先何がしたいかがよく分からないのよ。今、倭国水軍を率いているのだって、結局、自分の妻が倭国に居づらいというのと、半島の利権のために水軍が必要というが重なったからというのが大きいわ」


 それは全て偶然なのである。

 天運、巡り合わせといえばそれは聞こえは良い。そして王がそれを持ってることはこれほど喜ばしいことはない。

 だが、もし潮の目が変わって、不運ばかりがあの子を理不尽なほどに襲い続ければ、果たして彼は逃げ出さず放り出さず、それを乗り越えられるのだろうか。確かに彼は自分の妻を救うため、豫国へと渡った。今も妻のために半島へと向かった。

 だが、やはりそれでは思考の器が小さすぎるのだ。

 むしろ帥響のように、王の権力に焦がれた上での行動であればもっと資質をはかりやすいものなのに。

 倭国王帥鳴は、背筋を伸ばし問い質した。


「太師張政。我が子帥大は、状況と環境次第で私に対して謀反を起こすと思うか」


「はい」


 張政は間髪入れずに答えた。


「かの方は危ういところがございますゆえ。状況さえ変わればあるいは」


「それは帥響も同じでは無いか」


「帥響殿には、王都に残した家族がございます。たとえ太子になれなかったことを恨み、謀反を企てようとも家族を人質にしていればまず心配いりますまい。むしろ、帥大殿が妻を連れて行かれたのがまずうございました。もっとも、妻を倭国から遠ざけたいという理由がなければ、彼は水軍と半島をあずかることを拒否したかもしれませぬが」


「そんな危うい者を王にして、大丈夫だろうか」


 すると張政は伏せていた瞳を上げて、再び玉座に座った王を見た。


「太子に立てられたらといって、王になるとは限りませぬ」


その言葉に流石の帥鳴も唇を震わせてひやりとする。


「まさか」


「太子はいつでも廃することができます。もし太子となった帥大殿にふさわしからぬところがあれば、半島の大勢が落ち着いたところで変えれば良いのです。きっと、帥響殿はその辺りのことも理解して待つでしょう」

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