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第四十五話 大巫女の告白

 急いで灯りをつけ、サクヤを横にさせるために毛皮の敷物をおいて場所を作ると、ナルは彼女の青くなった顔を見て、本当にもう時が残されていないのだと悟った。あれほど美しく、時が止まっているかに見えたサクヤは、今にも消えそうな生命だった。


「イワナ様、一体サクヤ様は・・・」


「もう分かっているでしょう。私が、毒を飲ませたのです」


 その言葉にナルはほんの一瞬手が止まる。


「これしかあなたを救う方法が無かったのです。そして、サクヤ様を止める方法も」


「だからといって!」


 ナルは責めるよりも、未だに信じられずにイワナの顔を震えて見つめた。イワナはかたく目を閉じている。自分の教え子からどのような言葉をかけられようともはや覚悟している風であった。


「ナル・・・・良いのです」


「サクヤ様!」


 ナルが叫ぶと同時にイワナは駆け寄り、目を覚ましたサクヤの白い手を愛おしそうに握りしめた。


「申し訳ありません。サクヤ様・・・私は」


「良いのよ・・・・イワナ。私には全て分かっていたのだから。あの時、お茶に毒が入っていたことを私は知っていたわ」


「サクヤ様・・・・」


「私が今日死ぬのだと言うことも分かっていました・・・ほほっ、優れた巫女というのは、こういうものなのよ?」


「それが分かっていて、どうして」


「そう、決まっているのだもの・・・定めには従うのが、巫女というもの・・うっ」


 サクヤはゴホッと言って、赤黒い血を小の掌に吐き出した。


「ならばどうして・・・・あなたはその定めというものと戦おうとなさらなかったのです?!」


 歯で上唇をかみしめ、涙が流れるイワナの頬を、サクヤは細く白い手で撫でる。


「泣かないで、イワナ。私はそういう生き方をしてきた女なのだから。それに私は生涯一度だけ、定めに立ち向かったわ」


「生贄のことですね」


「そうよ。もう神の時代は終わりつつある。神がこの世で与えられる影響が、今よりもどんどん下がっていくの。私は、それに立ち向かったわ」


「分かりません。あなたとて生贄には抵抗を感じていたはず。そのような大きな事をしようとなさったというのに、どうして」


「国を守るため・・・というのは詭弁ね。私は変わることが怖かったの。時代変わるのも、人の心が変わるのも私はみんな怖かった。昔の恋も、変わることが怖くて叶えることも出来なかった。その機会はあなたと同じくあったはずなのに。・・・それよりもイワナ、あなたはなぜいつも戦えるの。変わっていくことに平気なの」


 サクヤの場違いな言葉を、イワナは彼女にとって大事な問いなのだと理解した。

 サクヤは、魂までも吐き出しそうな深い息をついた。


「私が、あなたに初めて会ったとき、あなたは言葉を失うくらい美しかった。でも時が経ってあなたは年を取り、美貌を失ってもあなたは誇りを失わなかった。愛する人を失っても、愛の結晶を失っても、変化があなたに訪れてもあなたは負けなかった。全てを諦めて、還ろうとはしなかった。生きた。なぜそれができるの?」


「なぜ、今そんな話を」


「教えて、イワナ」


「・・・・変わることや失うことを恐れて、人生を生きていけるものですか。私はただ、目の前のことに必死だっただけです。おかけであなたよりもずっと、傷だらけだけれど。それに、だからこそ得られたものもあります」


 イワナは横に目をやる。サクヤは視線の先のナルをのぞき込むように確認すると、かすかに目尻にわずかな皺を寄せて微笑んだ。


「そう、なんとなく分かったわ」


 サクヤとイワナは見つめ合い、お互いの瞳を揺らしていた。


「私も、そんな風に生きてみても良かったかもしれない」


 イワナはサクヤの手を一層強く握りしめたが、サクヤにはもう握り返す力は無いようだった。


「サクヤ様、お話中に大変失礼ですが、今はそれどころではありません。山頂のあれは、一体何なのですか」


 この時間がとても重いものだと理解してはいたが、ナルは里のために聞いておかねばならないことがある。


「・・・あれは・・・我らの大神です」


 その言葉に一同は絶句し、戦いた。

 外の風の音が大きく聞こえるほどに静まり、誰もが次の言葉が出ない。


「大神は・・・神というのは人に影響を与える存在ですが、神も人から影響を受けるものなのです。人が清らかな心で祈り祀れば、神も穏やかに清らかになり、恨み妬む心で祈れば呪いとなって神もそのようになって行く。全て私の責任です」


「もしや、あなたの呪詛で大神が」


 イワナの問いに、サクヤは瞬きでそれを肯定した。


「そう、私の呪詛が大神を穢した。穢れは広がって私たちにも影響を与えるようになって行った。ここにいる者はよく分かっているでしょう。今の巫女団の有様が。かつてはあれほど心正しく、慈愛と誇りに満ちていた巫女たちが、保身や嫉妬、悪意に満ちています。それがまた大神を穢し、その穢れがまた人に降りかかって・・・今の山頂のありさまはその極みです。大神の穢れが実体となって降りてきて、人を焦がし悪意を増幅させています」


 小雪が降るように淡々と語る大巫女とは対照的に、一同は心に吹雪が舞い込んでくるようだった。今のこの事態がそのような途方も無いことなのだとしたら、一体自分たちは何をすればいいのだろうか。


「このままだと、国が滅びるわ」


 それでもサクヤの告白は止まらなかった。

 ナルの脳裏に恐ろしい光景が浮かぶ。あの恐ろしい黒いものがどんどん大きくなり、山や川や家屋、畑、そして人、この国を飲み込む様を。そこには女も子供も全て焦げ消え、あるいは憎しみ合って殺し合うのだ。


「でも大丈夫」


 サクヤはナルに目顔を向けた。


「ナル、ここからはあなたの時代。あなたが、あなたたちがこの里と国を救うのです」


「私がですか」


「そう、私がかつてみた光景は、この山が人の悪意と神の怒りに飲み込まれる様。そしてその黒い蠢きは、この豫国全体を包み込んで全てを滅ぼすものでした。倭国を圧倒し、漢すらも凌ぐと言われたこの国の全てが砂塵とかすのです。けれどもあなたなら、その運命を変えられるかもしれません。そのためのきっかけがすぐそこに」


 サクヤは皺の無い、震える白い手で天を指さした。

 ナルたちもその指先を目で追ったが、一体その先に何があるのか分からなかった。

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