年送りを明日に控えた大宮では、キョウをはじめとする幹部たちとイワナが激しく未だ言い争っていた。
未だにナルの処遇について決まらないのである。ナルが見習い巫女を殺したとされれば、彼女が生贄になることは誰もが暗黙のうちに決まるが、その決定的な証拠を、言い出したキョウは示せないでいた。キョウは元々、自分の子飼いの巫女たちに証言させることで押し切ろうとしていたのだが、イワナがそれを次々に妨害したのである。
キョウは完全に見くびっていた。どれだけ煙たく思われていようとイワナはやはり長年巫女団に君臨してきた大幹部であり、影響力と根回しの技はキョウより遙かに秀でていたのだ。生贄の件はサクヤが立ちはだかっているために、支持を得られないだけなのである。
イワナはキョウと結託していた巫女たちに接触して証言を覆して続けていた。
思えば大幹部という地位だけではなく、この里はいまや怪我を負い、病になればすぐにイワナの宮へと駆け込む者たちばかりである。誰もが一度はイワナとナルの世話になっているため、いざというときにその恩義が影響力となって、イワナを助けたのであった。
さらにはイワナが発した幹部たちに『生贄は幹部の中から』という脅しも効いていた。キョウはイワナが生贄は幹部たちの中から出すべきだと提案したことに加え、自分の教え子であるレイを失うことになったから復讐のためにナルに固執しているが、他の者はそうではない。聡い者はすでに、ここでナルを生贄しようとどうしようと次の年送りに自分の身が危ないということに気づいているのだ。
だとすればどうするのが一番良いのか。
サクヤがイワナの意見を抑え、今まで通り劣った者を生贄にし続ければ一番波風が立たないが、彼女は生贄を幹部から出すこと自体には賛成なのである。こうなればサクヤの強権を誰かが抑えなければ、自分たちの安全はない。では誰に与すれば良いのか。それはもはや大巫女の補佐であり、大幹部であり、今や里の巫女の命を司っているあの女以外にはいない。
「全くどういうことですか。あれからしばらく経ちますが、未だ巫女殺しの犯人を見つけられないばかりか。ナルの尋問さえろくに行えていないというのは」
普段は穏やかなサクヤも、いささか苛立ちって立ち並ぶ幹部たちを叱責した。
「申し訳ありません。私も努力したのですが、イワナ殿から仕事を山のようにと言い渡されそれに追われていました。さらに巫女たちが次々と証言を変えたのです。まるで、誰かからの圧力があったかのように」
キョウは相手の命を奪うような眼差しでサクヤの脇にいるイワナを睨みつけた。
「それは仕方ないことでしょう。年送りという大儀式を前に、幹部には仕事は山ほどありますもの。幹部以外に人を割けない以上、それを疎かにはできないではないですか。それに圧力とは馬鹿馬鹿しい。私にそんな力はありませんよ」
イワナの年季の入った涼しげな笑みに、キョウは今にも飛びかかりそうな勢いで拳を握りしめた。
「サクヤ様、もはや年送りまでにナルが犯人だと証明するのは不可能です。とりあえずは釈放して、年が明けたらまたじっくり調べればよろしいのではありませんか。あの子の生贄の話だって、たまたま今が年の末だったから降ってわいたような話だったのですから。ねえ、皆はどう思いますか?」
イワナは振り向いて、立ち並ぶ幹部たちに問いかけた。すると、次々にイワナに賛同する声が上がる。キョウは事態に狼狽して左右を見渡したが、誰も彼女と目を合わす者はいなかった。
イワナは勝利を確信した。これで幹部たちは掌握した。ナルを解放させるだけではなく、今後の生贄に対する方針についても自分は圧倒的な支持を得たのである。そのため、次にサクヤが放った一言に天が落ちてきたような衝撃を受けた。
「いえ、犯人がだれであれ、ナルは生贄にします」
「なぜです。一体どういう基準で選んだのですか」
イワナは大声で叫ぶように問いかけた。幹部たちも明らかに狼狽えていた。自分たちに不利有利よりも、彼女たちにも理屈と道理というものがあるのだ。
「大神様がそうお告げになったのです。あの者は、危険なのです。もっと早くに対処しておくべきでした」
「危険? そのように危険な者ならば、それこそ生贄としては不適格ではありませんか」
「大神の御慈悲です、イワナ。単に命を奪ったのでは、あの子は祟ります。だから生贄として大神の御側に上がって、仕えさせるのですよ」
サクヤはにやりとしてイワナを見た。だがイワナは憤怒の形相で構えている。
詭弁である。霊力もないナルが一体何の脅威になるというのか。
イワナにはサクヤの思惑が全く理解できなかった。そもそも生贄の話が出たのは豫国を守護する大神の力が衰えたからであり、それについて何か対策を講じなければならないという点では誰もが一致している。サクヤが言い出した古の生贄という風習は認めることはできないが、それでも今まで続いてきたのはサクヤの強権だけではなく、大神の力を維持し、豫国とそこで暮らす民を守らなくてはない、その使命が自分たち巫女にはあるという名分あったからだろう。
最初は大きくなった巫女団の数を調整することと併せ、次には内容を洗練させるためにより優れた者を捧げるというのも制度を定着させる上での手順として筋が通っている。
だが、自分とともに薬を研究し里に貢献し、かといって巫女として優れているわけでもなく、巫女殺しの犯人であると明らかでもないナルを生贄にするというのは、目的が見えない。まして、これだけ大勢が決している中でそのような強権を発動させれば、サクヤ自身とて信望を失えかねないというのに。
イワナの脳裏に、恐ろしい事が思い浮かんだ。もしや、サクヤはすでに正気を失っているのではないだろうか。
サクヤはミカドの依頼で各地の王に呪詛をかけている。呪詛をかければその汚れと罪が自身の心身を蝕み、次第に正気を失っていくというのはこの里に暮らす者ならば誰でも知っていることである。国の最高の立場にある大巫女がそのようなことになればと、イワナは寒気を覚えた。
しかしそんなイワナの考えを見透かすように、サクヤは超然として言った。
「私は正気です。私は豫国を守る大巫女として、ナルを生贄にしなくてはならないのです」