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第三十九話 牢の中の覚悟

 ナルが連れて行かれた牢は、堅い木の格子で作れた薄暗い場所だった。中には藁と用を足す用の器があるだけである。

 もう既に日は昇り始め、家屋には光が差し込み始めているというのに、ここにはほとんど朝の気配はない。冬場は乾燥した空気が当たり前のこの土地では、異常なほどの湿気があった。一応掃除もしてあり、清潔な場所ではあるようだが、光がほとんどみられないこの場所を好きになれるはずがなかった。

 ここには灯りも無いのだと思ったところで、ナルは凍えている自分にようやく気がついた。この高山で冬の夜に駆け回り、そのまま捕らえられ牢に放り込まれたのだから、当然と言えば当然である。唇と手足を震わせながら室内をいくら探しても、体にくるむ布もなく、獣の毛皮もないのだと確認すると、ナルは仕方なく藁を自分の身体に被せ始めた。これで少しは温かくなるはずだった。

 体が少しだけ落ち着いてくると、今度はようやくナルは自分が何故ここにいるのか冷静に考え始めた。どうしてレイはあの瞬間に脱走者だなどと叫んだのだろう。そんなことをしてもしなくても、逃げられる可能性は変わらないのに。なにより不審なのが、レイを監視していたという見習い巫女の死である。

 当然、彼女の死には自分は無関係である。だが、自分たちが隠れていたあの林の近くで、彼女首を絞めて殺されていたのだ。首を絞められて、と考えたところで、ナルの頭には恐ろしい事が思い浮かんだ。未だ僅かな痛みさえ残る、レイに絞められた首の跡。あの時は脅かすために首を絞めるという行為をしたのだと思っていたし、実際その通りだったが、人を脅かすために首を絞めるという方法はあまり一般的ではない。そもそも、幼い頃から巫女として生活している娘にとっては、まず思いつかないことである。

 だが、つい先ほど首を絞めて人を殺した後だったらどうだろう。殺意はないにしても、その流れで首を絞めるという行為が出るのではないだろうか。

 そんな恐ろしい考えに行き着いて、ナルは戦慄した。


「ナル」


 うつむいて考えていたナルは、懐かしい声に涙がでそうになって子鹿のように素早く顔を上げた。そこにはイワナが苦い表情でただ一人立っていた。

 ナルは泣きつきたかったが、なによりもまず謝らなければならないと思った。


「浅はかなことをしてしまいました。申し訳ありません」


 恐らくイワナは事の顛末を正しく予想している。

 果たして許してもらえるだろうかと不安だったナルに返ってきたのは、意外な答えだった。


「いいえ、ナル。これはすべて私のせいなのです。許して頂戴」


 そういうとイワナは、汚れも気にせずその場に膝をつき、ナルに頭を下げた。


「なにをなさるのです。どうか立って。顔を、顔を上げて下さい。すべて私のせいなのです」


 イワナはとりあえず顔を上げたが、再び立とうとはせず、格子越しにナルの右手を乾いた皺だらけの両手で握りしめた。皺はいつか見た時よりもさらに深く多くなっており、なにより彼女がこんなにも温かい手の持ち主だったことを、ナルは初めて知った。


「いいえ、全て私が元凶です。これは全て仕組まれたことなのです」


「どういうことですか」


 イワナは姿勢を正して話し始めた。


「私が幹部達の中から生贄を選ぶように提案をしたのは、もう知っていますね」


 ナルは頷いた。


「これはその復讐です。全て、キョウが仕組んだことでしょう」


 イワナは静かに、自分が描いている真相を話し始めた。

 昨夜の会議で生贄を幹部の中から出すことを提案し、キョウの教え子であるレイが選ばれた。これは幹部達にとっても、自分の愛弟子を奪われるキョウにとっても大きな打撃だったことに違いなかった。だが、この撤回はいくら幹部のキョウでもどうしようもない。ただし、キョウはレイを逃がすと同時に、自分を生贄の危険へと晒したイワナへ復讐する手を考えたのだ。

 まずレイには予め計画を伝えておき、服装を変えて垣を越えて里を出ようとするように振る舞えと指示をする。監視を命じられている見習い巫女は、当然それに着いていく。自分がおびき出されているとは知らない見習いは、林でレイに絞殺されたのだ。

 レイはその後、再び垣の内へと戻っていき、ナルの元を訪れる。そして今度はナルを見習いを殺した場所の近くまでおびき出し、そこで捕らえられるように仕向け、自らは逃げたのである。

 ナルが脱走の手助けのことをどう弁解しようとも、発見された林から人の死体が出ればただではすまない。キョウは自分の教え子を奪われた代わりに、イワナの教え子であるナルを陥れたのだ。


「おまけにキョウは都で兵を司る一族の出身ですからね。麓の砦の将軍に、レイを見逃すことを頼んでいるのでしょう。レイはレイで、引き替えにあなたを陥れたのかも知れません」


 ナルはレイがもしや見習いを殺めたではとは思っていたが、さらに彼女が自分を罠にかけ、背後ではキョウが糸を引いているという事に言葉を失った。


「先生・・・私はどうなるのでしょう」


 教え子の問いに、イワナは明らかに答えを躊躇った。イワナの予想が正しければ、取り調べが公正なものであるはずがにない。すでに誰が見てもナルが見習いを殺したのだと納得するような証拠を用意してあることは容易に想像でき、幹部達にも事態が思惑通りに運ぶよう根回しをしているかも知れない。

 生贄の件でイワナに反感を感じているこの時機ならば、真実の尊さよりも感情を優先する者も出るかも知れない。あるいは、全てがキョウだけではなく幹部達の企みかもしれないのである。


「・・・私はこれが、ただの復讐で終わることだとは思いません。きっと、彼らは取引を持ちかけてくるはずです。その時」


「お断り下さい」


 暗い牢屋の中に、ナルの声が清冽に響いた。イワナはその言葉に耳を疑わずにはいられなかった。


「あなた何を」


「彼らが持ち出す取引というのは、当然生贄のことです。生贄を幹部から選ぶのを辞めさせるように結託しろというに決まっています。イワナ様が決死の思いで仕掛けた勝負ではありませんか。ここで私の為にダメにしないで下さい。どうかお断り下さい」


「自分が何を言っているか分かっているのですか。見習い殺しの犯人に仕立て上げられてしまえば、あなたは殺されて・・・いえ、待って。ああっ、そういうことなのね」


 ここでイワナはさらに気がついたようだった。

 ナルが見習い殺しの犯人になったとして、その処罰はどうなるのか。当然、豫国の法の定めと罪の重さからは処刑が相応しいが、穢れを一番に忌避しなければならない里の巫女達にそれが出来るはずがない。

 この対処にはどうしても外部の人間の手がいる。だが、脱走者と里内での殺人など、巫女団が作られて以来の不祥事であり、この事を外部にもらして公にすることなど出来るはずがない。

 罪人には処罰を下さなければならないが、公にも出来ず、処刑を実行出来るものもいない。ならばどうやって、見習い殺しの犯人の命を奪うのか。


「生贄です・・・あなたはレイの代わりに生贄にされるのです。キョウはそこまで考えて・・・なんて恐ろしい女なの!」


 イワナは恐怖を隠せず狼狽えていたが、ナルの心はすでに不思議と静かだった。そして、何かに誘われるように自分が言うべき言葉が自然と口から出た。


「先生、それでも止まらないで下さい」


「ナル・・・」


 イワナはこの娘は一体誰なのだという風に驚いた。


「私は、一度は死水を飲み、一度は生贄に選ばれた身です。それを今まで、先生の庇護で逃れていただけのことなのです」


 意外なほど冷静な声で言うナルに、イワナは激昂した。


「そんな事を私が許すと思っているのですか! あなたは私が育てた初めての教え子です。才能も未来も十分にあるというのに」


「私の代わりに生贄に選ばれた娘も、そしてサキや多くの娘たちも同じでした。私だけが特別なわけではないのです」


「小賢しいことを言わないで! 私にとっては特別なのよ。突然、自己犠牲の心が芽生えたとでもいうのですか。それはただのあきらめです。認めません! あなたがなんといおうと、私はあなたを救います。あなたはここで待っているといいわ!」


 イワナは怒りのままに立ち上がると、格子から厚い布を投げ入れ、そのまま出て行った。

 一人残されたナルは、イワナが激怒したことにひたすら感謝し、涙した。

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