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第八話 会議

 家を出ると、空には既に高く昇った日があった。

 里は地上からは遠く、まだ十分に温かいとは言えない季節だが、春迎えの次の日の光は、いささか春を感じさせた。その内、時が来ると次第に草木は緑を増し、何種類もの花々が次々と咲き乱れてくる。木々に遊ぶ鳥は囀り、あちこちに蝶が舞い、蜂が蜜を運び動物たちは穴蔵から出てきて狩りを始める。そして巫女達は春を喜びながら、神々の祝福を感じて一層務めに励むのだ。


 気のせいか、頬を撫でる風の香りが昨日よりほんの僅かに甘くなっているような気がする。


 ナルは僅かな春の気配を感じて、毎年この里に訪れる春を思い出していた。そしてその思い出の中には、いつも隣に姉がいた。

回想しながらも、ナルの足は休んでいなかった。風を切り、ひたすらサクヤの大宮を目指す。


 ナルの家からサクヤの大宮までは、長く緩い坂道となっている。それでもナルはもともと足腰の強い娘であるから、そんな道のりもあっという間だった。

 大宮の前に行くと、案の定入り口に二人ほど年かさの巫女が見張り役のように立っていた。二人ともかなりの歳で、腰の曲がった彼女たちの背丈は、ナルとさほど変わらない。


 タカとトシという者で、大巫女のサクヤより遥かに年配の巫女である。彼女たちのように、大巫女にも幹部にも選ばれなかったものの、優れた見識と経験のある巫女は若い巫女達の教育係となって里で尊敬を集めていた。サクヤが実質巫女の育成に関わっていない事を考えれば、この二人は今のナルにとって直属の師のような存在だった。


 二人はナルの姿を見ると気の毒そうに、ああ、やはり来たかという顔をした。


「やはり来たのじゃな」


ナルが口を開くより先に、タカが先に声をかけた。


「タカ様、トシ様。どうかそこを通して下さい。倭国へ行く巫女が決まってしまう前に、姉様と話がしたいんです」


ナルは息を切らしながら、二人の大先輩に必死で訴えた。


「ナル・・・。気の毒じゃが、それはできんよ。今ここではサクヤ様をはじめ、師大殿や使節の方々と派遣される巫女の選定が行われておる。お前を初め、私たちとて入る事は許されぬのじゃ」


「トシ様・・・」


ナルは今度はトシの方に顔を向け、目で訴えかけた。


「タカ殿の言う通りじゃ。気持ちは分かるが、会議に乗り込んだところで、何も変わらんぞ。サクヤ様がククリ様を倭国に遣わすと決めれば、それでおしまいなのだから。話すのであれば全てが終わってからにするが良い」


「そんな・・・」


 それでは遅い!とナルは思った。全てが終わった後では、きっと何もかもが流れるように事態が進んでしまうだろう。そうなれば、姉妹でゆっくり話せる時間など無い。

そもそも倭国という国がどこにあるのか、ナルにはよく分かってなかった。ただ師大の言葉から、大きな争いが起こっているとても危険な場所だということは分かった。姉や自分がそこへ行くことなど絶対に嫌だし、万が一離ればなれになってしまったら、きっと一生の別れになるかも知れない。


「そんな顔をするでない。我らまで辛くなるではないか」

「そうじゃ、我らとて鬼ではないのだぞ。お主の気持ちも分かるのだ。お主もククリ様も、もとを正せば我らの可愛い教え子じゃ。選ばれるのが他の誰であっても、異国の地などに行かせたくないわい。ただどうしようもないではないか」


 今にも泣き出しそうなナルを前に、二人の老巫女は、いささか狼狽えながら言った。本来は毅然とした教育役のはずであるが、最近年のせいか情に絆されやすくなっているのだ。

ナルはそのまま黙ってしまったので、三人の間には気まずい沈黙が流れる。


「・・・・・誰がどう見ても、適任はククリ様しかおらんものな」


 トシがしょんぼりと寂しい顔で、ぽつりと言った。

「そうじゃな・・・。出来れば我らが代わりに拝命してやりたいところじゃが、我らでは倭国に辿り着くこと無く、道中で果ててしまうのがおちじゃ」

「彼の地に着いても大仕事じゃ。倭国は戦乱の最中と聞く。巫女の力を示し、人心を掌握し国を新たに立て、治める。そんな事は並の巫女では到底務まらぬ。ナルよ、もうここは腹を決めて、ククリ様に付いていくのか、ここに残るのかを考えておいた方が良いぞ」


 二人が労るような眼差しで言葉をかけると、ナルはそれを振り払うかのように抵抗した。


「そんなの、分からないじゃないですか! もしかしたら、姉様が断るかも知れません!」


 自分で言い出してから、ナルは妙に納得した。今回の話は、誰にとっても嬉しいものではない。住み慣れたこの里どころか豫国を出て、どことも知れない異国の地へ赴くなどと、誰も望むところではないのだ。


 いくら大巫女の命とはいえ、本人が頑として拒めば話は白紙になるかも知れない。まして、自分の姉は次代の大巫女と言われる娘なのである。現在の大巫女サクヤにしても、大切な後継者を異国の地に送るというのが本心であるはずがなった。


 しかしいくら自分自身に言い聞かせても、不安はつきない。大巫女の言葉は大神の言葉。絶対の重みがある事をナルも分かっている。

もし、大好きな姉と離ればなれになることがあったらどうしよう。あるいは、この住み慣れた里を離れて、遠い異国の地へ行くことになったらどうしよう。ナルの瞳からは、大きな涙が後から後からとこぼれ落ちた。

 これが情にほだされやすくなった巫女達には応えるものがあった。


「ああっ、しょうのない奴よ。ここを通すことは出来ぬが、ここを右から裏に回って、壁の黒く変色している部分に耳を当ててみよ。中を覗くことは出来ないが、声が漏れ聞こえてくるじゃろうから」


「タカ殿!」


「こうなったら、もうよいではないか。私はもうナルが哀れでならん。それに会議の内容を隠して何になるさ。どんなに厳しくに管理しようと、この里で密か事なぞすぐに広まるのは、我らの娘時代から変わっておらんではないか。今日の夕方には、会議の内容は里中に広まっておるわい。それが少しばかり早まったところで、なん問題がある・・・ナル・・・ん?」


 タカがナルの方に目をやると、既に姿はなかった。話が漏れ聞こえる壁の話を聞いて、すぐさま駆けだしていったのだ。

「全く、風のような娘じゃ・・・」


 タカは大きく肩で息をすると、ふと思い出したように呟いた。


「なあ、トシ殿、さっき話どう思う?」

「さっきの話? 里で噂がすぐに広まるという話か? それはその、これだけ女ばかりなのだから、仕方ないであろう。お主だって、若い時分、私が供物をつまみ食いをした事をみんなに・・・」


「その話ではない! 全くお主はよくもまあ、そんな昔のことを・・・。そうではない。ククリ様が倭国行きを断るという話じゃ」


 トシは、はてと深く皺が刻まれた首を傾げた。


「当然断るであろう? その意思が通るかどうかは分からぬが。誰もここを離れて異国へなぞ行きたいものではないではないか」

その言葉にタカはしばらく黙ると、少し思案して思いついた事を口にした。 

「・・・いや、どうであろう。案外ククリ様は、自分から志願するかもしれん」



 大宮の部屋には五人の年若い巫女達が呼ばれていた。

 誰もが巫女としての資質に優れ、里で一目集める娘たちである。その中にはもちろん、幹部であるククリの姿もあった。


「もう、何故自分たちがここに呼ばれたのか、知らない者はいないでしょう。そうです。これよりここで、倭国へ行き国を治める巫女となる者を選びます」


 サクヤは神妙な目顔で五人を一瞥すると、ゆっくりと目を閉じた。


「まず断っておきますが、私としてもこの里の将来を担うであろう年若いあなたたちを、戦乱の彼の地へ送ることは大変憚られるのです。しかし、これは全て我らが大神の意思。何か深い意味があるのだと思います。もしかすれば、彼の地の戦乱を収めることが本意なのかも知れません」


 大巫女は目を開け、今度は我が子を慈しむように娘達を見たが、彼女たちの表情は固かった。

 無理もない。彼女たちは皆、幼い頃より里に入り、ここを終の棲家として、血の繋がらない周りの者たちと家族になって来た者たちだ。この里を出て行く事自体一大事だというのに、ましてや他国、いずこと知れない海の向こうの土地になど、誰も行きたがるはずがなかった。そこには、何の保証もないのだ。


「さて・・・」


「サクヤ様、その役目。ぜひわたくしに下さいませ」


その言葉に、一同は度肝を抜かれた。

その場はまるで時が止まったかのように、しんとなった。誰もが今の言葉、今起こった事をすぐには理解できなかったのだ。


「ククリ・・・そなた本気なのですか?」

 サクヤですら信じられないといった様子で、次期大巫女と目される娘の意思を確認した。

その問いに、ククリは一歩前に出て間髪入れずはいと応える。


「もう、皆様も分かっているはずです。巫女としての力、海を越え新しい土地で生活を始める若さ。今回の役目に、私以上の適任者はいません。わたくしにやらせて下さい」


 全く揺らぎないククリの言葉に、イワナや使節の者たちは仰天して隣にいる者と目を合わせずにはいられなかった。呼ばれた残りの四人の娘達も、ほっとしたものの本当に良いのだろうか、本気なのだろうかと隣の娘達と目を合わせている。


「そ、そうですとも。やはりククリ殿しかいませんわ。倭国で戦を収め、新たな大巫女、女王として君臨するのですもの。並の力の巫女では話になりません。ここはこの里で一番優秀な若い巫女を送るのが妥当でしょう。そうなればやはりククリ殿を置いて他にはございません。わたくしもククリ殿を推挙致します」


イワナは慌てて声を上げた。その声色には嬉々とした感情が込められている。


「ありがとうございます、イワナ殿」

 ククリはさらりとかわしたが、残された四人の娘達は複雑だった。さしずめ、イワナはククリが去った後のこの里の勢力図を思い描いて、ほくそ笑んでいるのだ。

 だが例え自分の身が安泰であろうと、今まで良き競争相手として暮らしてきた姉妹のような友人が、遠い地へ送られることを喜べるはずがなかった。


「ダメよ。何を言うのよ、ククリ。どうして自分から、火の中に飛び込むようなことを言うの?」


「そうよ。公平に行きましょう。私たちは誰が選ばれてもおかしくはない。恨みっこ無しよ。一人だけ犠牲になるような真似はしないで」


「大丈夫。私たちも覚悟してここに来たのよ。あなた一人が背負うことはないわ」


「そうよ、イワナ様が行けばいい」

 最後の言葉にぎょっとしたイワナは、慌てて四人の娘達を睨みつけた。やかましい、文句があるならかかってこいといった体である。


「ハナ、スミ、レル、タキ・・・。ありがとう。でも誤解しないで。これは私が望んでいる事でもあるの」

「どういう事です?」

「サクヤ様、もしかしたらこれが最後になるかもしれません。どうか、私の心の内を正直に語る事をお許し下さい」


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