階段は終わり、第4階層。
さっき伝わって来ていた若干の冷気は、たぶん理解できた。
天井から降り注ぐ淡い光と一緒に、小粒の水滴がポツリポツリと零れ落ちている。
第3階層に水場があったのかもしれないけど、ほとんど探索していないからそういうことが把握できていない。
もしくは、第4階層だけ湿度が少しだけ高いのか。
各階層、かなりの面性があるらしいけど……これはこれで、ダンジョン攻略しているってことでいいんだよな。
一応は階層を降り進めているわけだし……?
「むむむ。私、なんだかこの空気感……身に覚えがあるよ」
「それ、私も感じる」
「ど、どうかしたのか……?」
ハルナとマキが急にそんなことを言われるものだから、何事かと思って唾を飲んだ。
「あのねあのね、確定ではないんだけどモンスターが居ないと思う」
「なにそれ、超能力的なもの?」
「たぶん私もそう感じてる」
「え? もしかして、俺だけがわかっていないなにかがあったりするの?」
能力的なものじゃなくて、知識的なものならぜひとも教えてもらいたいところだ。
「本当に感覚的なものなんだけど、前回のやつに似てるの」
「そう、これはモンスターが討伐された直後の雰囲気に似てる」
「え、そういう? 俺の純粋な気持ちを返してもらってもいいですか」
血の気も引いていたし、鳥肌もかなり立ち始めてたし。
なにより『この世界にはまだまだ知らないことが沢山あるんだな』、とか思い始めていた俺の純粋な気持ちを返してもらってもいいですか?
ちょっと恥ずかしくて口には出しませんけども。
「シンくんのスキルもあるし、とりあえず急ぎ足で進んでみない?」
「たしか4階層はさっきみたいに群れるモンスターは居なかったはずだから、もしも鉢合わせたとしても危険度は低そうな気はする」
「本当にその情報を信じて大丈夫そうなのか? 今の俺、たぶんほとんどの情報を信用できないぐらいには2人のことを疑っているんだが」
「大丈夫大丈夫。たぶん」
「うん。可能性を信じよう。なにもなければ、この階層はすぐに抜けられるから」
「……わかったよ」
ここまではいい感じだった、それは間違いない。
自分の課題としっかりと向き合えていたし、探索者としての挑戦もしていた。
だというのに……俺達のダンジョン攻略、本当にこんな感じで大丈夫なのか……?
「よーっし、じゃあ――ゴーっ!」
ハルナの合図で、一直線に走り出す。
走っている最中、2人の言う通りで本当にモンスターがどこにも見当たらなかった。
なにが悲しくってこんな冒険をしなくちゃいけないんだ。
[預言者かな?]
[マジでモンスター居ないじゃんw]
[ダンジョン攻略って簡単なんだな(白目]
といった感じに、大体の人が俺と同じ感想を抱いている。
待てよ……現時点でモンスターが居ない。
それは俺達よりも先を進んでいる探索者が討伐してくれたから。
だとしたら、この階層でその人達と出会わなければ次の階層も同じなんじゃ……。
あまりにも警戒心が弱まっている、と自分でもわかっているが、モンスターが出現する気配は面白いぐらいになし。
だからといって、余計なことを考えていられる余裕はあるのか、とお叱りを受けたらなにも言い返せない。
くっ……他の人に、第4階層と第5階層をどうやって攻略したのかと質問されたら、なんて答えればいいんだよ……。
「そろそろ階段だよ!」
そんなこんな考えていたら、もう着いてしまったのか。
「はぁ……はぁ……さすがに疲れたね」
「階段はゆっくりと降りよう」
「賛成」
正確な距離はわからないけど、どれぐらい走ったんだろうか。
1キロぐらいは走ったような気がするけど。
俺も例外なく息を荒げて、体が重そうに壁に手をつきながら歩いている。
[ナイスラン]
[緊張感はあったけど、ここまでモンスターが出てこないと面白すぎる]
[ダンジョンを踏破している感じで、これはこれであり]
「そう言ってもらえると幸いです」
配信も配信で、本当にこれでいいのか――と疑問に思ってしまうが、視聴者がノリノリでいてくれてるから助かる。
そして、ちょっとだけ配信に慣れてきたからか、配信を続けている人達の気持ちが少しだけわかったような気がした。
直接的に顔を合わせていないからか、文字だけで見るからなのか、人と話をする時より凄く気軽にやり取りができる。
不思議な感覚だ。
構図的には一方的に話しかけているだけなのに、言葉のキャッチボールがしっかりとできているような気がして、視聴者が近くにいるような親近感が湧いてくる。
「さすがに疲れたね」
「かなりの距離を走ったから、休憩時間は長めに取らないか」
「賛成」
口の中が鉄の味がするぐらいには気合を入れて走った。
できることなら足を止めて休憩したいぐらいだ。
「ここまでは思い通りに来ることができたが、最後の第5階層は大変そうだな」
「かもしれないね」
「でも、もしかしたら先行している探索者の人達も私達みたいに休憩していたかもしれないよ」
「おっ、ということは第5階層も走りに受けられちゃう可能性が上昇!?」
「そんなに上手くいくものだろうか」
[ここまできたら、逆に最後までランニングで終わってほしい]
[視聴者的には危険な状況は避けてもらえると落ち着いて見られるんだけど]
そう言われてしまうと、なんとも言い返せない。
今の俺達は、観ている人達の心をハラハラさせる戦いしかできない。
だとしたら走り抜けられる未来に期待してしまうのは仕方がないことなんだろう。
「見えてきたよ」
いよいよ運命の時が来てしまった。
数段下には通路が広がっている。
「2人のセンサー的にはどんな感じなんだ?」
「ビビビビッ、私のセンサーは――この先にモンスターが居ないことを知らせております」
「ただの勘だけど、私もそうなんじゃないかなって思う」
「ははは……」
「だけど、さすがに第5階層だからね。勘だけで進める場所じゃないと思う。リーダー、どうする?」
「……」
「ねえ、シン」
「ん? ……あ、ああ。そういえばそうだった」
初めてそう呼ばれ、あまりにも他人事のように構えていた。
……そうだ。
今の俺は、このパーティのリーダー。
こういう時こそ、メンバーから判断を委ねられる立場なんだ。
俺の判断が、もしかしたら全員の命を危機的状況に陥れてしまうかもしれない。
「休憩ついでに足を止めて考える?」
今まで誰かに判断を委ねてきていた俺が、判断をしなければならない。
マキからの提案通りに足を止めて考える時間を設ければ、間違いなく体力は回復する。
しかし逆に考えれば、今の今まで勢い付いて駆け抜けていた勢いはなくなり、先行しているパーティの恩恵を受けられなくなってしまう。
駆け抜けてきた第4階層も未知だったが、第5階層という場所はさらに未知。
階層の数字が増えるほど、単純に難易度が増えていくダンジョンにおいて、引くことができず進むことしかできないこの状況は最悪なのかもしれない。
少しでも物事を遅らせれば、目の前に広がる恐怖からは少しだけ時間を置ける……ダメだ、この考えは一番捨てなくちゃいけないんだ。
自分の気持ちを優先するんじゃなく、どうしたら全員が安全な道を進めるか考えろ。
「ここまで急かすかたちで突き進んできておいて、急に選択を委ねるのは自分勝手すぎたね。一回、休憩――」
「――いや、このまま走り抜けよう」
「え、本当にいいの? 私達の根拠のない自信をあてにして」
「そうだよ。急かしちゃってるのはこっちなんだから、ゆっくりと考えていいんだよ」
「いいや、考えた。俺の足りない頭で必死に考えた。その結果が、強行突破なんだ」
全て2人に任せているが、これからも頼る。
記憶を辿ることのなる道でも、初見でないだけでその知識はかなり大きい。
そして第4階層でも活かしたことを、また活かすだけだ。
これが、俺が足りない頭で導き出した最善策。
「最後の参考に訊きたいんだけど、第6階層に繋がる階段までの距離はどれぐらいだったりする?」
「大体同じぐらいだと思う。いや、もしかしたらもう少しだけ長いかも」
「……なるほど。わかった。行こう」
「わかった」
[このまま何事もない感じで頼む]
[戦っているところをまた見たいけど、安全走行で頼んます]
[祈りタイム]
「できるだけ走ることに集中したいけど、最低限の警戒だけは怠らないように」
「おっけーっ」
「意識する」
「それじゃあ、レッツゴーっ」
俺達は少しだけ回復した体で、再び走り出す――。
――はははっ、ここまで上手くいきすぎると怖いな。
[お疲れ様!]
[ナイスラン!]
[豪運の持ち主すぎる]
俺達は今、両膝に手をついて「ぜぇ、はぁ」と、荒れに荒れた呼吸を頑張って整えている。
なにが凄いって、賭けに勝ってしまったのだ。
モンスターの1体とも接敵することはなく、道に迷うこともなく目的地である階段まで辿り着いてしまった。
「さすがに休憩しよう」
「もう動けないー」
「さすがにキツイね」
数段降りてから、全員が崩れるように階段を椅子にする。
だけどたぶん、俺は疲労だけじゃなく責任を全うし、取り返しのつかない状況にならなかったことを安堵して膝が崩れたんだと思う。
3人分の責任は、正直なところ俺にとってはあまりにも荷が重すぎる。
走っている最中は、思考が止まる瞬間は一度もなかった。
常に、モンスターと接敵したらどうしよう、もしもそのモンスターが強敵だったらどうしよう、誰かが転倒してしまったらどうしよう、誰かが疲労で走ることができなくなったらどうしよう。
希望や不安、様々な感情も渦巻きながらずっと走っていた。
「でもここで休憩をしているより、街で休憩した方がいいかも」
と、ハルナは壁を手すり代わりにして立ち上がっている。
「たしかに。こんな味気ない場所で休んでいるよりは、疲れた体に鞭を打って歩いた方がいいかも」
「だよね」
[スパルタかもしれないけど、たしかにそうかも]
[ありよりのあり]
「みんなが挙ってそう言っているのを観ると、さすがに興味が湧いてくるな」
マキも立ち上がっていて、俺も重い腰を持ち上げる。
「じゃあ、行こうか」
1段1段足を下ろしていく度に、足がジーンッと響く。
動いた後だから、足が棒になっているほどではないが目に見えて疲労しているのを感じる。
中腹ぐらいまで進むと、薄っすらと階段を照らしていた光が広がってきた。
「そろそろ到着だよ~っ」
眩しさのあまり腕で目を隠しながら光の扉をくぐると、すぐには理解できない光景が広がっていた。
街の中には普通に家が建っていて、高層の建物も建造されている。
今居るここは、崖の上みたいでかなりの高さになっているから全体を見渡せるが……記憶に新しいコンクリートで整備されたであろう道路があり、車も走っている。
左右に視線を動かせば、緑が生い茂っている場所もあったり、工場のような場所も視界に入ってきた。
「な、なんじゃこりゃ」
「わかる。私も最初の感想は全く一緒だったよ」
「ね。みんなそんな感想を抱くよね」
「ここって、地上とほとんど変わらないじゃん」
「そうそう。ほとんどなんでもあるんだよ」
「ダンジョンの中だからこそできることとか、造れるものとか。いろいろあって見て回るだけでも楽しい」
「てか、広すぎないか」
右から左、この入り口からだと街の全体が見渡せるが、どう考えても街っていう規模ではない。
下手したら、いや、下手しなくても1国が治まっていると言われても疑うことはないと思う。
「さて、ここで悲報のお知らせです」
「え?」
「えっと、見ての通りなんだけど……ここから下に降りるための便利なものはありません。だから――」
「再び地獄を味わないといけない」
「……」
マキが指を差す先にある、永遠に続いているのではないかと錯覚してしまうほどの、壁に沿って作られている階段が視界に入ってきた。
「まあでも、あっちには便利なものがあるんだけどね」
「人間用ではない、ってことか」
「残念ながら」
階段とは正反対に、物資を運搬するのであろう巨大なエレベーターがある。
くっ……どうにか奇跡が起きて、一緒に降りることはでき……ないか。
「じゃあ、もうしばらくがんばろー」
「景色を楽しみながら降りれば、なんとかなる」
「お、おう」
これさ、絶対に明日は筋肉痛で動くことができないだろ。