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第151話 1010年目の錬金釜と小さな錬金術師

「おい、エリカ。今日こそはポーション作れ! もし俺がいなくなったら困るのはおまえらだろうが!」

「縁起でもないこと言わないでよ、テオ。ポーションに頼らない化粧水を今考えてるんだから。それに、私如きの魔力ではたいしたポーションは作れませんー」


 茶色い髪をお下げにして白いエプロンを身につけた少女と、青い髪の美丈夫がテーブルを挟んで言い争いをしている。


 物凄く既視感、とカモミールは内心で呟いた。

 ボルフ村でカモミールの実家に暮らしていたエリカが弟子入りしてきて8年になる。彼女ももう20歳になるのだが、かつてのカモミールと同じように三つ編みにエプロンのスタイルを崩さない。

 やはり、それが一番合理的なのだ。それに、なんと言っても可愛い。

 エリカがやってきたときにフリル付きのエプロンを着せたのはカモミールだが、亡き師のロクサーヌが自分にエプロンを着せた理由がよくわかった。端から見ると、本当に可愛いのだ。


「暇なの? 暇だから私に絡んでくるの? キャリーさん、容器の納品って明日?」

「明日ですねえ」

「陶器製の容器じゃなくて、もっと簡易的な物に詰めるのとかどうかな? 紙袋とか。毎回陶器を使うより安く上がるじゃない?」

「湿度に対する管理とか、衛生管理ができるならね。現状、まだ陶器やガラス以上に品質を保持できるものがないのよ」


 弟子の思いつきは大いに認めるが、現実的には実現しにくい。それをカモミールが指摘すると、むむうとエリカは口を尖らせた。


「もー、テオは流行の蒸気機関とか研究したらいいんじゃない?」

「やりたいが、この工房じゃ狭すぎてどうにもならねえ!」


 頭を掻きむしるテオに、カモミールはため息をついて頷く。

 数年前、既にあった蒸気機関の改良が成功し、錬金術師たちが多く研究先を変えた。それまで馬に頼っていた動力が蒸気機関によるものに移行しようとしており、時代が変わっていくのをカモミールも感じている。


 石炭の需要が高まったためにアイアランド鉱工商会は飛躍的に発展し、その直前からカモミールが提供していた労働者向けの石けんも爆発的に人気商品へとのし上がった。カールセン郊外に石けん工場を作ったのはこの頃で、攪拌機の改良や監督などでマシューはそちらにかかりきりになっていた。

 高齢ではあるが、彼はあまり老けた様子もなく、変わらず生き生きとしている。好きなことをやっているのが、何より生き甲斐になっているのだろう。


「この工房を広くすることも考えてるんだけどね……」


 10年前、カモミールとヴァージルが結婚する前に、ヴァージルは侯爵の許しを得てエノラの養子になった。これは、今後エドマンド家と関わり合いを持たないという決意の表明でもあり、一部の人はそれを悲しんだ。

 具体的には、過去に掛けられた魔法を解かれ、記憶を取り戻したエドマンド男爵家の人々である。イヴォンヌはトニーの幻から解放されて、成長して目の前にいるヴァージルに涙したし、男爵も純粋に養子を愛おしく思っていたようだ。

 イヴォンヌは独身を貫くことを宣言しているので、妹が婿を取り、男爵家を継ぐ事になっている。


 ヴァージルがエノラの息子になった頃、カモミールはエノラからある打診をされた。


「ミリーちゃん、もっと大きい工房が欲しいのよね? この家は後々ヴァージルちゃんが相続するんだから、隣の土地と合わせて大きな工房兼住宅を建てたら?」

「それは……もっとお金が貯まってからですね。家を建てても、エノラさんももちろん一緒ですよ。だって、ヴァージルのお母さんなんだから」


 一番辛いときにずっと側にいて支えてくれたエノラは、カモミールにとってもかけがえのない家族になった。離れるという選択肢はない。

 エノラの提案はとても魅力的ではあるが、いくつか問題がある。ヴァージルの財産とカモミールの財産は基本的には別の物なのだ。それについては、カモミールがヴァージルから土地と家屋の権利を買い取ることで決着できる。


 自分たちだけではどうにもならないのは、隣同士とはいえ別個の区画にまたいで家を建てることに関する許可と、資金の問題だ。許可については侯爵にそれとなく聞いてみたところ、必要になれば認可してくれるとのことだったので、それからはひたすら資金を貯めた。


 ヴィアローズも国一番の化粧品としての評判がすっかり定着し、生産体制を強化する必要に常に駆られていた。

 一度石けん工場を建てているので、工房自体の改築については時間が掛かってしまったが、やっと目処が立った。今日はその件で、侯爵夫人との打ち合わせである。


「じゃあ、行ってきます」

「お土産もらってきてね!」


 屈託なく笑いながら師を見送るエリカに手を振り、カモミールは歩いて駅馬車の停留場へと向かった。



「これはこれは妖精の君。いつお会いしても変わらずお美しい。あなたを妻に迎えられなかったことが重ね重ね悔しくなります」


工房の拡張案のために侯爵邸を訪れたカモミールを見かけ、笑顔で走り寄ってきた青年は嫡子のジョナスだ。

 初めて出会ったときにはカモミールよりも随分小さかったジョナスは、今はもう侯爵と変わらぬほどの背丈がある。

 女性に対する優雅な礼も堂に入っていて、彼がもうこどもではないと改めて思わせるのには十分だった。


 あんず色の髪を結い上げて真珠の髪飾りを挿したカモミールは、鮮やかな黄色いワンピースを身に纏っていた。ミモザの花を思わせる可憐なデザインはタマラの手による物だ。

 自分で開発した化粧品を贅沢に使えるせいで、可愛らしい服を着ると成人したての少女に間違えられるのは軽い悩みでもある。


「ジョナス様、ご機嫌麗しゅう。ふふっ、まだそんなことを仰るのですね。わたくしが結婚してからもう10年近く……上の娘も7歳になりましたのよ。初めてお会いしたときのジョナス様と同い年ですわね」

「しかたがありません。私の思い出の中であなたはいつも鮮烈で――それ以上の輝きを、出会う令嬢の中にまだ見つけられないでいるのです」


 社交辞令か、それとも本気か。カモミールにジョナスの真意はわからない。

 エリカが弟子入りしたときに侯爵家に挨拶をしたが、カモミールによく似て、しかも年頃の近いエリカはジョナスにとっては何故か友人止まりらしい。

 密かに、「エリカだったら一目惚れされることもあるのでは」と面白がっていたカモミールは、少し残念だった。


「それでは、『勇気ある者』を付けて令嬢方とダンスを踊られては? あちらから運命の相手を見つけてくださるかもしれませんわ。侯爵様とマーガレット様も、初めから両思いだったのではないのですから」

「そうするしかないようです。もし御夫君と離れることがありましたら、いつでも私はあなたを歓迎しますよ」

「ジョナス様、その辺になさってください。奥様が我が妻をお待ちでいらっしゃいます」


 侯爵に仕えているヴァージルが、ふわふわとした笑みを浮かべたままするりとカモミールとジョナスの間に入ってきた。その身のこなしはさすがとしか言いようがない。

 彼は、変わらず過保護だ。カモミールに危ないことがないよう、いつも気に掛けてくれている。


 だから、カモミールは笑って夫の腕に腕を絡ませ、彼の目を見つめて言い切れるのだ。

 お互いに微笑み合って胸の中に生まれる温かさは、結ばれたときよりも更に増した。


「残念ながらそれはありませんわ。わたくしと夫は――ヴァージルとは、嘘と誤解とすれ違いを乗り越えて、散々苦労した末に結ばれたのですもの」


 何故かジョナスもふたりを見て嬉しそうに笑う。カモミールとヴァージルが一番大変だったときに彼は幼かったが、こどもなりに不穏な空気を感じ取ってはいたのだろう。

 ふたりの結婚式は教会で司祭に認めてもらうものであり、ごく親しい人にのみ祝われて終わったが、後からそれを知ったアナベルとジョナスは大泣きして「参列したかった」と言ってくれたらしい。

 ヴィアローズの制作者と、クリスティンの看板店員の結婚でもあり、しばらくカールセンはその話題で持ちきりになった。今はもう懐かしい話である。


「ミリー、ほら、奥様がお待ちだよ」

「ええ。それではジョナス様、失礼いたします」


 ヴァージルに促されて、カモミールは笑顔で頷くと侯爵夫人の応接間に向かう。

 ドアをノックすると、中から女主人の華やいだ声が応え、カモミールとヴァージルに慈愛を注いでくれる姉にも近しいイヴォンヌがドアを開けてくれた。


「いらっしゃい、私の妖精。あなたの好きなお菓子を用意して待っていたのよ」


 魔女の軟膏の効果でそばかすも消え、侯爵夫人の美しさは昔よりも磨きが掛かっていた。

 ふわりと室内に漂った香りで好きな紅茶も用意されていることも知り、自然とカモミールの頬に笑みが浮かぶ。



 国内に知らぬ者がいないほどの高名を得たカモミールを、人々は「小さな錬金術師」と呼ぶ。

 それは生活錬金術師であることを指すだけのものではなく、小柄で愛らしい妖精のような彼女を知って、人々が呼ぶようになったものだった。

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